長嶋有さんコーナー展開中!
こんにちは。
惜しむまもなく9月は終わりますが、9/30は私が最も愛する作家、長嶋有さんのお誕生日です。
で、ございますので、
ポラン堂古書店の「私の棚」のコーナーは、現在長嶋有さん一色となっております。
断っておきますが、決して我が家に一冊しかない本を心を痛めて置いているわけではありません。愛ゆえに、見かけるたびに買ってしまったり、いつかこういう特集をしたいので集めて頂ければと先生(ポラン堂店主)にオープン当初から依頼したものたちでこの棚はできています。
長嶋有さん、芥川賞の作家さんです。ピンとこない人には漫画エッセイをしている「ブルボン小林」さんと言えば伝わるかもしれません。それでもピンとこない人は一旦こちらのブログをご一読ください。もちろんご存知の方もぜひ。
今までもこのブログで『ルーティーンズ』、『今も未来も変わらない』、『ジャージの二人』など紹介して参りましたが、今回絞り込んで3選、参ります。
『問いのない答え』
私を長嶋有大ファンにした一冊、オールタイムベストの一冊。
ジャンルと言えば長編群像劇ですが、あらすじというあらすじはありません。骨格としては登場人物のほとんどがTwitterをしていて、ネムオという小説家が始めた「それはなんでしょう」という遊びに参加しているということです。例えば最初「なにをしたい?」と問いがあり、一斉に答えます。すると後から「三メートルの棒を譲り受けましたが、あなたはこれを使って『何をしたい?』」という問題本文が明かされるというもの。とはいえ、このゲームに一喜一憂する人々を描くかというとそうではないのです。
私がはまる長嶋有さんの魅力は、人が一人でいるときのことを想像できること、です。
この作品には多くの視点人物がいます。章ごとに変わるなんてものじゃなく(章立てすら特に単行本だと曖昧で)、一文のうちに視点は別のところにいる誰かに変わってしまいます。誰かが何かを気にしているとき、別の誰かは別の何かを気にしている、という具合に。
大したことじゃなく、当たり前、みんなそれぞれ考えている、と思われるかもしれませんが、それらの描写が重なってくると何が生まれると思いますか。寝ころんだままスマホを横向きにしてネットをみていると画面が横になって舌打ちして、寝ながら見ていることがわかるくらい便利になれよって悪態をついたり、雨の匂いってあんま自分にはわからないなって思ったり、今猫に避けられたなって思ったり、たくさんのそれらが重なっていくと時々、同じことを考える人がいるんです。登場人物の中に、秋葉原の事件の、先日死刑になった犯人「加藤」のことを考える人がいます。彼が掲示板に残した呟きすら、雨について、猫についてすら、この作中の数ある独白、呟きとして溶け込んでいる。
Twitterやネットスラングなど時代を越えては残らないものがこの作品にたくさん登場します。時代を越えて伝わる文学ではないかもしれません。けれどこの作品ほど、自分でない誰かが一人何を考えているか、明瞭に想像できている作品はない。今、本当に生きている誰かをちゃんと生み出せている作品はない。その点は、あらゆる文学や作品がこぞって挑んでもかなわないと思います。
私はこの作品を初めて読んだとき、なんだかずっと泣けてしまいましたし、今回読み返せばまた別のところでうるうるときてしまいました。どうかよろしければぜひ。
『タンノイのエジンバラ』
長嶋有さんの初期短編集となります。
先日BSで「夜のあぐら」がドラマ化し、本屋には新たな帯のついた『タンノイのエジンバラ』が表だしされていました。作品のファンとして喜ばしいことでした。
私の順序は『問いのない答え』からでしたが、誰かに長嶋有さんを一作目として勧めるならばこの『タンノイのエジンバラ』が最適と思っています。
特にお気に入りは「バルセロナの印象」です。
結婚半年の夫婦と夫の姉3人でスペインのバルセロナを旅行するお話です。姉は半年前に離婚し、しかも飼い猫が行方不明になってしまい、沈んでいた彼女に妻が旅行を提案して3人旅行となったのでした。
決してはちゃめちゃな旅行というわけではなく、ありそうな旅行という感じで、皆それなりに緊張もあり、気を遣い合ってもいます。例えば3日間、ローテーションで二人部屋と一人部屋を回すというのも、それぞれが一人の気楽さを公平に分けようというアイデアからです。けれど、ずっとぎくしゃくと言うわけでもなく、珍しいものを見て、楽しいことは楽しむ。三人は旅行というものを「している」し、落ち込んでいる人を励ますことを「している」し、励まされることを「している」。そこに充足したものが仄かに滲んでくるのです。
すごく大好きなところが、ミロの美術館の場面なのですが、一時間後に集合しようとそれぞれが別行動をしていて、ベンチで休んでいる夫に妻が声をかけるのです。
「また疲れたの?」やがて妻がやってきていった。妻はミロの美術館は何度かきていたから、僕と同じようにすいすいとみてきたようだ。
「またっていうけど、疲れは回数じゃないんだ」僕は理屈をいった。妻は僕の隣に腰をおろして室内の絵やオブジェをぐるりと見回した。僕はその横顔をみた。この旅行中も何度か意識して横顔をみた。注意して長くみたわけではなく、振り向いた拍子にちょっと目がいったというくらいの短さで。すぐに妻が不思議そうにこちらを向く。
「どうしたの」
「横顔をみてた」僕はいった。妻は少しも照れずに
「私もお姉さんが絵をみる横顔をみたよ」姉は一枚一枚を真剣に時間をかけて観ていたという。口内の飴をかまずにとかして味わうようにして、と妻はいった。
なんか、うまく伝わるでしょうか。この一連の文章の良さ。咽喉の奥がきゅるきゅる鳴るくらいきゅっとしたのですが、理屈で語れるものではなく、良い、のですよ。
この作品を読んだきっかけで、私は横顔という言葉のフェチになりました。
『泣かない女はいない』
長嶋有さんの創作の幅を紹介するならと思い、3作目はこちら。
物流会社の事務に勤める女性目線の作品で、郊外の職場の閉じた空気感と恋人がいながらも心変わりをしていく様子が、リアリティをもって描かれます。
主人公・睦美が淡々とした性格なのもあって、職場恋愛ものと言えどどんよりした感じもねちねちした感じもなく、ただ惹かれていくというのは伝わる繊細さがいいのです。
タイトルの「泣かない女はいない」ですが、決して世相に逆らった古風な偏見とかではなく作中に登場するボブ・マーリーの「No woman, No cry」の訳を指します。この歌の詞は「泣くな、女よ」とあるのですが、彼女が惹かれる上司・桶川は「泣かない女はいない」という誤訳を皆の前で伝えます。それがわざとか、わざとではないのか、実際に「泣かない女」である睦美はそれを強烈に印象に残してしまいます。泣かない女はいないほうがいいのか、いたほうがいいのか……。
もう一作セットになっている作品「センスなし」も、私が相当好きな作品です。
こちらも女性目線で、夫の不貞を知った女性とその友人と聖飢魔Ⅱについての話です。
主人公・保子は聖飢魔Ⅱ、デーモン小暮が中学生の頃から好きでした。学生時代、デーモン小暮のオールナイトニッポンを聞いていることを、同級生のみどりに言い当てられ、剝き出しのテープを貸したところから彼女らの友情は始まります。
大人になり、お互いの近況に踏み込み過ぎず彼女たちは電話で話します。最近の子たちは自分たちの世代よりも断然センスがいいのだと、「ほんの数歳遅くに生まれていれば、私も好きな音楽はスピッツだのオザケンだったのに」とみどりは言います。
擦り切れたカセットテープをウォークマンに入れ、コンビニで単三電池を買って、それぞれ聞きながら別れる帰り道。昔好きになったものをずっと好きだということの美しさと現実の自分の情けなさやら不甲斐なさが交互に訪れて、揺さぶり、やがてみどりから「あなたにいわなければいけないことがある」と告げられる。……その後が私にはすごく刺さりました。あー、と後からも来ます。おすすめです。
以上です。
本当は5作以上の紹介を考えていたのですが、一つ目から長く書きすぎたので断念しました。紹介しすぎることで、面白さが損なわれてはいけない、とこのブログにおいて今更な重圧を感じてしまった為でもあります。
私が長嶋有さんを初読したのは2017年でした。自分がこんなに本を読めるのかというくらい没頭して2か月ほどで出版されている全小説を読みました。本屋にて、まだ文庫化されていない単行本を躊躇なく三冊つかんで、レジに持っていく勢いは、今のところあの一回しかありません。
読み始めると数行で、何でもない頁で目がうるうるしてしまうことも少なくないです。『問いのない答え』の「NTTがフレッツの工事にくるかどうか」の会話とか、『ジャージの二人』のコンビニから「ビックコミックオリジナル」の「増刊号」を買ってくる親父とか、アイテムに意味があるというようでそうではなくて、質感が良い。滲む愛着が良いのです。
この記事で何をどう伝えられたか自信がないのですが、ぜひポラン堂古書店、もしくはお近くの書店で手に取っていただきたいです。