百年前のパイプ二本
前回の仕入れで手に入れたパイプ二本。長いほうは銀巻きで1910年のシルバーが使われています。短いほうも大体同じ頃の物。共にイギリス製で、何処のメーカーかは分かりません。この時代のパイプは無名の物でも喫うと美味しい物が多いのです。パイプは同じタバコを入れてもパイプによって味わいが大きく異なります。下手な今の有名ブランドのパイプを買うより戦前のパイプのほうが遥かに美味しかったりします。ただ、パイプが本来持っているポテンシャルを引き出すのに喫い手に相応のテクニックが求められもします。今のダンヒルパイプなんかは全くお勧めしません、きっと美味しくないです値段高いだけで。ダンヒルを持ってる、という自己満足感だけですね。
昨今、グルメでもオーディオでも骨董でも、そういう自己満足の為にお金を使うのが流行ってますね、俺は(値段の高い)あそこで食っている、アンプに二百万使った、古伊万里を持っている、など。兎に角自慢したい、誇示したい。中身の本質的良し悪しじゃなく、人が噂で作り上げたブランド志向に踊らされているだけ。自分の舌、自分の眼、自分の耳じゃなく、趣味の世界までもが権威的なものに成り下がっている。
概して日本人は権威、権力に弱いですね、金沢という街も権威、権力に逆らうことはしません、長いものに巻かれるの好きですね。僕はその辺の遠因は前田藩の治政にあると思っています、恐らくですがね。ある本で、江戸時代の前田藩の捨て子政策について読んでいたのですが、他藩に比べて前田藩の捨て子に対する罰はとても厳しかったようです。幕末期でもほぼ例外なく磔(はりつけ)の刑だったようです。同じ頃岡山の津山藩では、今でいう「赤ちゃんポスト」をやれないか模索していたらしいです。同じ時代に、磔と赤ちゃんポスト。物凄い思考の差です。
権威や権力に無思考に従うのはとてもカッコ悪いことでもあります。今の若い人たちはその辺りのことを少しは考えて欲しいです。