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常識や思い込みから一歩身を引いて眺める

2022.09.27 06:45

Facebook相田 公弘さん投稿記事 「一歩引いて眺める」

北野武氏の心に響く言葉より…

眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。

自分が本当にやりたい仕事はなんだろうなんて、考えなきゃいけないってことは、やりたい仕事がないというだけのこと。

探しているのは、自分が本当にやりたい仕事なんかじゃなくて、楽して稼げる仕事なのだ。

そんなものがあるわけない。

世の中が貧乏で、飯を食うのにも苦労した時代なら、子供が「自分の才能を生かせる仕事就きたい」なんて言い出したら、親に頭を叩かれるのがオチだった。

「そんな夢物語にかぶれてないで勉強でもしろ」とか「バカなことを言う前に仕事を探せ」とか。

昔の親は、苦労が子供のためになることを知っていた。今の親は、子供に苦労だけはさせたくないと思っている。けれど、昔も今も変わらないことがある。苦労をしなければ、仕事にやりがいなんて見つけられるわけがないのだ。

仕事の本当の面白さとか、やりがいというものは、何年も辛抱して続けて、ようやく見つかるかどうかというものだろう。

最初から簡単にできたら、面白くもなんともない。

昔の職人は、親方に弟子入りして、殴られたり蹴られたりしながら仕事を覚えた。

理不尽な扱いをされたこともあっただろうし、給料だってロクに貰ってはいなかったろう。

それでも、他に行き場がなかったから、必死でそこにしがみついていたわけだ。

その苦しさとか悔しさがあったから、仕事が上手くいったときの喜びもあったわけだ。

それを仕事のやりがいと言ったのだ。

その仕事のやりがいを、金で買おうとしてはいけない。

自分に合った仕事を探すという考え方がそもそもの間違いだ。

そんなものはない。

仕事を自分に合わせるのではなく、自分を仕事に合わせるのだ。

だいたい職業なんてものは、あまり自分の気の進まないものを選んだ方が上手くいくものだ。

幸せになりたいなら、いちばんやりたいことは趣味にしておいた方がいい。

気が進まないくらいの方が、いろんなことがよく見える。

どんな仕事にだって、誰も気づかない盲点というものがあるのだが、そういうものに気づくのは、好きでたまらない人間よりも、むしろちょっと引いたところから眺(なが)めている部外者だ。

もし今の自分の仕事にやりがいを感じないとしたら、それは不幸なことではなくて、むしろチャンスなのだ。

自分はこの仕事を冷静に見る目を持っていると思えばいい。

冷静に考えれば、どんな仕事であろうとも、今よりは面白くできる。

◇『北野武 超思考』幻冬舎

世の中は、時には斜めに見ることも必要だ。

真正面からばかり見てると、ことの本質が見えなくなることがあるからだ。

たとえば、「子供に苦労をさせたくない」という感情。

その気持は分かるが、若い頃に本当に一つの苦労もさせずに蝶よ花よと育てたら、年をとってから、苦労ばかりが続く人生となるのは間違いない。

だから、「子供にはたくさんの苦労をさせる」というのが本質だ。

今の時代は、豊かさの中にあって、親も、子供も我慢ができない。より楽に、より稼げることを望む。だから、芯のない、甘い人間が増えてしまう。

「仕事は辛いことがあって当たりまえ」「楽して儲ける仕事はない」「仕事のやりがいは自分で探すもの」「自分を仕事に合わせる」時には、自分を一歩引いたところから、冷静に眺めてみることも必要だ。

※【人の心に灯をともす】より


https://news.yahoo.co.jp/articles/9581f5d13540d6b70dadb692786738f81df0c5f8?page=1 【がんばりすぎて疲れてしまう前に 「ささやかなもの」に目を向けてみよう】より

 今年は桜が咲いて散るのが、例年より早かったですね。花が散るのは残念ですが、桜の木の周りの地面をよく見ると、名もない草が可憐な花を咲かせています。いや、わたしたちが知らないだけで、名前はちゃんとあるのです。

 たとえば「キュウリグサ」や「ノヂシャ」など、忙しい日々の中にも、10秒か20秒くらい、ふと足を止めてそんな花を愛でる時間はあるでしょう。花に限らなくてもいいのです。若葉が芽吹く枝の向こうに見える明るい空、夕陽に映える雲、あるいは、雨の日に窓の外から聞こえてくる静かな雨音、そんなささやかなものにふと目を留め、耳を傾ける。ほんの数秒、数十秒の時間が穏やかな幸せを与えてくれるでしょう。人生の味わいを実感するのは、案外こんなささやかな善きものたちに触れたときかもしれません。

疲れたとき、ふと足元や身のまわりのささやかなものに目を向けてみる

 そして、ふだん見過ごしている美や善を感じ取る感性は、知らず知らずのうちに自分を縛っている常識や思い込みから一歩身を引いて、自分の生活を見つめ直すゆとりを生むかもしれません。

 もちろん、大きな夢や志に向かって一心不乱に突き進むのも、決して悪いことではありません。夢を見るのは、志を抱くのは、すばらしいことです。ただ、人生はいつも順風満帆ではないのです。大志を抱いて失意に沈むこともあります。あるいは、努力が息切れして、どっと疲れて休みたくなることもあります。そんな時、上を、遠くを見ていた視線を足元に向け、身のまわりのささやかなものを見て、心を満たすことができるなら、心が癒やされ、もっと粘り強くがんばれるかもしれません。そしてたまには、こんな視線の転換が、これまでと違うやり方を発見するきっかけになるといいと思います。

 ただ、人はなかなか身のまわりの物事をこのように細やかに感じ取ることができないものです。時間の余裕がない、というわけではないでしょう。どれほど多忙な生活の中でも10秒、20秒あるいは1分、2分くらいのすきま時間はあります。ないのは“気持ちの余裕”です。あるいは、そんなささやかなものを感じ取る感性が鈍くなっているのかもしれません。

 気持ちの余裕がないから、感性が鈍ったのか、感性が鈍いから、気持ちの余裕も生まれないのか。どっちがニワトリでどっちが卵か分からないけれど、気持ちの余裕と感性を取り戻す方が人は幸せになれるとは言えるでしょう。では、どうすればいいのでしょうか?

 まあ、いろんな方法があるのでしょう。人それぞれ、自分にあった方法を選べば良いと思います。わたしが「これはいいかも」と思う方法をご紹介したいと思います。

気軽に始められる趣味の世界 「ハイク」効果とは?

 1年半前、フランスで“L’effet Haiku”『ハイク効果』という本が出版されました。「ハイク」とは「俳句」のことです(フランス語はHは発音しませんので、実際の発音は「アイク」になります)。※

※注 “L’effet Haiku”のiは、上の「・」が2つつきます。

 俳句は20世紀の初頭にヨーロッパでも紹介され、今では多くの素人の愛好家がいます。3行、17音節というごく短い定型詩であることが、たくさんのアマチュアを引きつける理由です。短いから生活の一場面を切り取るだけで作品になります。全体の構成などを考えなくても手軽に作れます。しかも形が決まっているから、五七五の音節を整えればそれらしい「作品」になる。この手軽さが素人にはありがたいのです。

 この本ではさまざまなハイク効果が説明されています。いくつかキーワードを拾って紹介してみましょう。

  “reculer(後退する、身を退く)

  se decentrer du probleme(問題から距離を置く)” ※

※注 「decentrer」dのあとのeと、「probleme」のlのあとのeの上には 「 ’ 」(アクサン)がつきます。

 「一つの問題に囚われて視野狭窄に陥っているとき(いわゆる「ドツボにはまっている」とき)、そんな自分の状況を俳句に読もうとすることで、そこから一歩引いて自分を客観的に、冷静に観察するゆとりが生まれる」

 あるいは、

  “ne laisser passer la vie(人生を流れるに任せない)

   regarder la vie autrement(人生を別な視点から眺める)”

 「何気ない生活の一場面を切り取って短い詩に表現することで、いまこの時がかけがえのない価値あるものに変貌する。あるいは「平凡」の一言で片付けられそうな人生の出来事に俳句という表現を与えることで、深い価値を感じ取れるようになる」

 わたしは俳句に関わる団体のまわし者ではありませんが、俳句は言葉を素材とする点で、楽器の演奏や絵画などより、多くの人にとってハードルが低いでしょう。特別な仕掛けも道具も要らずどこでも実践できます。そして、生活のさりげない瞬間を短い言葉で表現しようとすることで、感性とゆとりを生むきっかけになる、と期待していいと思います。

俳句以外に、こんな方法も

 もちろん同じような効果が得られるのなら、俳句にこだわらなくてもいいのです。日ごろの常識や思い込みから一歩身を引いて、自分と自分のまわりを新鮮なまなざしで眺めるきっかけであればいいのです。

 たとえば、自分の中に小さな妖精を育てて、時折それに語りかける。電車の窓からビルが見えるとき、「ほら、窓ガラスに日の光がキラキラ反射してきれいだよ」とか。仕事で失敗したとか「ああ、またバカなことをしたね」とか。自問自答ではなく、誰かに語りかけること、誰かに何かを言葉で伝えようとすることは、「いまこの時のかけがえのない価値」を感じ取り、「一歩引いて自分を客観的に、冷静に観察する」きっかけになるかもしれません。

(心療内科医・松田ゆたか)