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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロマン派の時代49-リスト聖職者に

2022.09.28 11:31

ヴァイマールの宮廷楽団長となったフランツ・リストは、カロリーネと安定した生活を送り、ハンガリー狂騒曲などの名曲を作曲した。しかし正式な夫婦でない2人への風当たりも強く、カロリーネはロシアの夫と離婚の手続きをしようと決めた。夫はカロリーネの相続した遺産の分与を条件に離婚にOKした。

今度はカトリックの結婚無効の申請である。ところが1853年、リストのパトロンだった大公夫妻が死去し、新大公が就任した。この大公は、プライドの塊のようなリストを嫌った、まあ無理はない。その横やりで、一旦降りた結婚無効が取り消されてしまう。リストは59年宮廷楽団長を辞任した。

二人はローマに住むことになり、ここでリストは信仰に目覚め、何と最下級だが聖職者の資格を取った。黒衣を着た彼は「リスト神父」とか「カソリックを着たメフィストフェレス」ともからかわれた。しかしリストは、独自の視点からカトリック的タイトルの音楽をつくった。

ヴァイマール時代からリストはワグナーと交流があり、ワグナーはリストの官能的でダイナミックな音楽に影響を受けた。しかしワグナーの影響を受けたのは、リストの娘コジマである。彼女は夫がある身で、ワグナーに恋し、65年には子供まで誕生した。彼女はワグナー音楽のプロモーターとなる。