たかしまを彩る人 color.15 高島の盆踊り歌保存会 おどりの先生 江頭ゆかりさん
夏祭りといえば櫓(やぐら)、提灯、夜店に盆踊り。
にぎやかで活気に満ちた夜。祭りまでのカウントダウンが始まると、「ああ、この時期が来た。」「もうこんな季節か。」と奥底にある童心をくすぐり始める。
日常を送りながらも、祭りに向かって、どことなしにそわそわとした、あの雰囲気。大人は忙しさの中で。子どもは夏休み真っ盛りの中、非日常の空気感と景色を待ちわびる。
2022年7月17日(土)、3年ぶりに「高島盆踊り大会・高島おどり」が今津町のローラン名小路商店街で開催された。
今年で10回目となるこの日は、老いも若きも関係なく、輪になって和やかに、愉快に。踊る人、見る人たちで繋げられた環が、そこにあった。
滋賀県の盆踊りといえば、江州音頭(ごうしゅうおんど)が知られるなか、高島市で地域独自に受け継がれてきたのが「高島音頭」。
起源は700年ほど前、室町時代といわれている。唄は七五調で、和太鼓と三味線の拍子に乗せて踊るのを基本としている。
「高島音頭」は総称であり、朽木、高島、安曇川、新旭、今津、マキノの6町に、いくつかのそれぞれ異なる特徴をもった踊り歌が存在。独自の音頭・拍子・踊りが各地域の保存会や愛好会によって受け継がれている。
「人口5万ほどの地で、異なる踊りを継承し続けられていることは、なかなかに珍しいことです。高島の人は本当に踊りが好きなんでしょうね。」と江頭さんは微笑む。
江頭ゆかりさんは、高島市安曇川町出身。大阪での広告代理店勤務を経てイラストレーターとして独立。のちに「高島音頭保存会」のメンバーに加わり「振り付け指導の先生」としても活躍する女性だ。
小さな頃から、ものづくりが好きだったゆかりさん。作家名「SUITA」は、ゆかりさんの旧姓から。広告代理店を結婚後に退職してからは、フリーのイラストレーターとして女性誌の記事やコラムの挿絵などの創作活動をしている。
「はじめは、ただの踊り好きな一般参加者でした。私と同じく盆踊りが好きな同級生と、各地の祭りにお邪魔して。終わればさっと解散するんです。友人と、あぁ楽しかったね、と笑って。なんだかとても健康的でしょう。」と笑う。
子も成長し、夜に外出する事への制約も減った10年ほど前。ふと、子どもの頃に家族で盆踊りに行っていたのを思い出したことがきっかけとなった。
「毎年、夏が来れば母が浴衣を誂えてくれました。祖父、父が三味線で音頭取りをして。お祭り会場を家族でハシゴしました。今があるのは自然な流れなのかもしれませんね。」と振り返る。
夏の楽しかった記憶のかけらが、盆踊り好きな自分を呼び覚ます。
「市内各地の盆踊りへ行くことが恒例となっていくと、顔見知りもできて。ご一緒させていただいた地域の方が、お茶を差し入れてくださったり。すこしずつ交流も生まれました。」
高島市では、市内の保存会の高齢化と、担い手不足も手伝って、規模縮小化が顕著に。
このままでは風化していくと感じた今津の高島音頭保存会の会長・藤原勝さんが呼びかけ、市内保存会や個人有志によって「高島の盆踊り歌保存会」が2006年に結成された。
各町の保存会同士の連携を深め、市内外への普及活動として、発表会や練習会を開催。2012年より企画のローラン名小路商店街(JR湖西線近江今津駅前)での盆踊り大会もその一環として行われている。
2018年、次世代へ繋いでいくための「おどり復興プロジェクト」がスタート。
その主軸は30〜40代が担っているという。
新進気鋭な彼らによって、クラウドファンディング(ネットで賛同者を募り、少額ずつ資金を支援してもらうシステム)が行われ、地元の若者や、市内外を問わず間口を広げて呼びかけた。
翌年2019年には、動画「江頭先生の音頭教室」を制作し、各町ごとの振り付けを分かりやすいようにポイントで解説したものを公開。時代のニーズに合った形でも活動を支えている。
高島おどり事務局による「江頭先生の音頭教室」シリーズ。各町の踊りがわかりやすく動画で案内されている。
おどり復興プロジェクト始動から2年後の2020年は、折しも感染症対策が推奨された始めた年。例外なく保存会もイベント開催は自粛となったが、自宅でも踊りを楽しもうと「高島おどりオンライン2020」を開催。
広げ繋げていくことを、止めてしまわないようにー。
盆踊り大会の開催を見送ること2回。
場をリアルで共有できず、物足りない夏を乗り越えて。ようやく迎えた10回目のこの日は、村から夏の賑わいが遠ざかって40年近くとなる「椋川音頭」(今津町椋川)の復活が叶った日でもあった。
正確には一度復活を試みたことがあったが、継続できずに15年経ってしまったのだそう。
昨年、椋川音頭復活プロジェクトも発足。ゆかりさんは保存会のメンバーと椋川へ赴き、協力を得てリサーチ。
幸いにも、音源が残されており、集落の子どもたちと一緒に踊りの手ほどきを受けた。
曲がスタートすれば、長年のブランクを物ともしない古老のしなやかな踊りに、おもわず目を見張った。そしてその場にいた人たちによって、集落の人々の奥底に仕舞われていた記憶を記録する日でもあったという。
集落から帰ると、撮影した踊りを何度も見返し、分析しながら基本動作とすり合わせて自身に落とし込んだ。
基本は「イチ、ニ、サン」のリズムで区切る踊りが、椋川は「イチ、ニ、サン、シ」と三から四でも動きがあるため、ゆかりさんにも少し難しく感じたそう。
「人に教えるのに分かりやすいフレーズを考えながら練習を重ねました。そういうこともあって、10回目の節目でもある今回は、継承することの意味についてより深く心に刻まれました。」と振り返る。
満を持して、7つ目となる「椋川音頭」が高島おどりに加わり、日の目を浴びた。
盆踊り大会開始前に行った練習。「シュワー」という掛け声で、椋川音頭の特徴を分かりやすく説明。この日は椋川の集落の方も参加。懐かしみ、楽しんだという。
「実は天増川(今津町)にもあって。椋川同様、廃れて久しく、踊り手がおられないようで…。それなら新たに作ってみては?と保存会の大先輩に背中を押されました。」
リサーチする中で音源や、記録の確認作業など課題は多い。
けれど、さぁ、やるしかない。託されたバトンをまた、次へ繋げるために。
現存の高島音頭の特徴を捉えつつ、新たに作り上げていく作業は、ゆかりさんにとっても保存会にとっても、まるでこれまでの総決算のよう。
晴れて8つ目として加われば、他の地域ではあまり類を見ないイベントとして、日本各地を行脚する盆踊り愛好家(通称・ボンオドラー)の新たなメッカとなりそうだ。
2006年に高島市の無形民俗文化財に選定された高島音頭。
年月が経てば景色が変わっていくように、継承というのは、必ずしも形や体裁を固く守り繋げることではないのかもしれない。
先人たちの想いとともに、今を生きる人たちが主体となっていくものだからー。
「上手いも下手も関係なく、楽しかったらそれで良くて。こうやって、みんなで踊ることが地域の記憶に。これからも、みんなと未来に繋いでいく一歩の日にしていきたい。」と語った。
あの囃子や三味線、にぎわいの中にいた子どもたちが、いずれ「今年もこの季節が来た」、「みんなで踊ったなぁ」と、故郷に想いを馳せる日や、家族と足を運ぶ日、そんな日が増えることを願いながら。
今津東小学校の親子レクレーション(2019年)でのようす。体育館に櫓をたて、保存会さんたちと児童と参加した保護者が輪になり踊った。
祖父母世代に親世代。3世代が一緒になってにぎやかに踊ることは今では少し貴重な風景。全児童と保護者が体育館にいっぱいになって踊るさまは、とても粋で、保存会さんによる「大人たちの本気」を感じた1日となった。
5,6年生の有志は練習日を設けて太鼓の稽古をつけてもらい、本番に臨んだ。
(取材/撮影:川島沙織)
高島の盆踊り歌保存会
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