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のらくらり。

もこもこ文明

2022.10.01 14:04

火事直後の三兄弟で、兄様がウィリアムとルイスをお風呂に入れて髪を洗ってあげるお話。

石けんを使う習慣のなかったウィリアムとルイスに文明を教えてあげる兄様、良き。


それはとても高価なもので、自分とは縁遠いものなのだとルイスは解釈していた。

たまのお風呂は冷たい水で体を濡らすくらいだったし、たまの洗濯だって冷たい水で必死に汚れを落とすものだったから、真っ白くもこもこしたそれとはおよそ縁がなかったのだ。

もこもこのふわふわを見たことがないわけではなかったけれど、どこか遠い世界のもの。

食べてみたら美味しそうだと、そんなことを思ったことはあったかもしれない。


「おぉ…」


文明、と神妙な顔で呟いたルイスを前にウィリアムは苦笑し、アルバートは驚きのあまり目を見開いていた。

三人がいるのはモリアーティ家が贔屓にしていたホテルの一室だ。

屋敷を丸ごと焼いた大きな火事からかろうじて逃げてきた幼い三兄弟は、支配人の厚意を頼りに大人三人でも優雅に過ごせるスイートを借りている。

焼け出されてしばらくは経過観察目的に入院していたのだが、多少煙を吸っただけで軽症のアルバートとウィリアムはすぐの退院を許可されたのだ。

大きな火傷を負ったルイスだけが入院継続を余儀なくされていたところ、本人だけでなく兄のウィリアムすらもルイスと離れることを拒んだために、日々の通院が出来るようこのホテルを滞在先に選んでいる。

慣れない広い空間にきょろきょろと周りを見渡す弟達をよそに、アルバートはシャツの第一ボタンを外してから浴室へと足を向けた。

曰く、病院の浴室は落ち着いて体を清めることが出来なかったらしい。

そうして、ものはついでだとアルバートはウィリアムとルイスを呼び、まだどこか煤がついているようなくすんだ金髪を持つ彼らを洗おうと決めたのである。

緊張かつ警戒するルイスの頬に厚いガーゼを貼ったウィリアムは、まるで手本になるかのように衣服を脱いでアルバートに指示されるままバスタブの中へと入っていく。

分かりやすいもので、兄さんがするのなら僕も、とばかりにルイスはウィリアムの後を追いかけては慌ててバスタブへと入っていった。

幼いだけが理由ではない細く華奢な体が薄汚れている様子を見て、アルバートは少しだけ眉を顰める。

それを隠したままゆっくりと温かい湯をバスタブに溜めていき、髪用の石けんを手に取っては二人の髪を洗っていく。

ウィリアムの金色を真っ白く彩るもこもこのそれを見たルイスが発したのが、先ほどの「文明」という言葉である。


「そうだね、石けんは文明だね」

「こんなにもこもこしている泡、初めて見ました。泡はばい菌をやっつけてくれるんですよね?」

「そうだよ、ばい菌をやっつけて汚れを落としてくれるんだ」

「へぇ…すごいですね」

「…二人は今まで、石けんを使ったことはなかったのかい?」


ウィリアムの髪を泡まみれにして洗いながら、アルバートは新しく弟に迎えた小さな二人を見下ろした。

アルバートが引き取るまでの彼らが良い環境にいたとは思っていないし、引き取ってからも屋敷の人間から不当な扱いを受けていたことも知っている。

だがルイスのこの反応はアルバートの想像よりも随分と劣悪な、それこそ潔癖症の気質があるアルバートの清潔観念を覆されるほどの日々を過ごしていたのかもしれない。

決して二人の存在を嫌悪する意味ではなく、ただただそんな環境にこの二人がいたという過去に胸を痛めてしまう。

アルバートの問いにウィリアムは苦笑したように頷いて、ルイスはまだ警戒を解けない様子でアルバートを見上げていた。


「石けんは高級品ですから。僕達には分不相応なものでした」

「…別に、知らなかったわけじゃないです。知識としては知っていました」

「こうして温かいシャワーを浴びることも、バスタブにお湯を溜めるのも初めてのことですね」


知識のなさを呆れられたのかと見当違いなことを考えているルイスを見て、アルバートは怖がらせないよう緩く微笑んだ。

なるほど、清潔観念が違うどころか日々の生活に追われていてそこまで手が回らなかったのか。

可愛らしい顔をしているのにどこかくすんで見えていたのは、アルバートの気のせいではなかったらしい。

大分お湯の溜まってきたバスタブで身じろぎするルイスの周りから、ちゃぷん、と揺れる音がした。


「そうか…どうだろう、髪を洗われるのは気持ち良いかい?」

「えぇ、気持ち良いですよ。ありがとうございます」

「ルイス、湯船に浸かるのはどうだい?」

「…温かいです」

「それは良かった」


アルバートは世間の習慣を考慮すると珍しくも日々のシャワーを好んでいるし、バスタブに湯をためて体を沈めることもすきだ。

自分が気に入っているものを二人にも気に入ってもらえたのなら嬉しく思う。

何より、せっかく可愛い弟が出来たのだからより綺麗にあってほしいのだ。

初めての入浴に少しだけ気持ちが浮ついているウィリアムとルイスを見て心癒されながら、アルバートはシャワーヘッドを手に取った。


「さぁ泡を流すよ。目を閉じておいで」

「分かりました」

「わぁ…もこもこが無くなっていく…」

「ふふ」


まるで不思議なマジックを見ているような顔でルイスがウィリアムを、正確には彼の体を流れていく泡をじっと見つめている。

それが何だか可愛らしくて、アルバートは泡のなくなった綺麗な金色にタオルを被せて水分をとっていく。

思っていた通りウィリアムの髪はもっと綺麗な色をしていたようで、洗う前よりも色鮮やかな金色が現れ出てきた。


「兄さんの髪、何だかツヤツヤしてます。綺麗」

「そうかな?きっと石けんのおかげだね」

「さぁ次はルイスの番だ」

「え」


ウィリアムといつも一緒にいたルイスがそう言うのだから、きっと十分に髪の汚れは落ちたのだろう。

そうなるとルイスの髪もきっと美しく生まれ変わるに違いない。

アルバートは感心したようにウィリアムを見ているルイスに声をかけ、怖がらせないよう手に持った石けんを見せる。

これからこの石けんを使って、ウィリアムと同じように君の髪を洗っていくよ。

そういう意味を込めて事前に説明をしないと、きっとこの子は怯えたまま時間を過ごしてしまうはずだ。

アルバートの意図を察したのか、ウィリアムは肩を跳ねさせたルイスの手を握ってにっこりを笑みを向ける。


「さっぱりして気持ちが良いよ。僕がそばにいるから大丈夫」

「で、でも」

「すぐに終わらせると約束しよう。君の言う"文明"を経験するのも、たまには良いだろう?」

「……では、お願いします」


アルバートに対しての警戒は解けていないが、それでも危険はないと判断したのだろう。

もしくは、もこもこした文明とやらに好奇心が疼いたのかもしれない。

ウィリアムは頬に当てたガーゼが濡れないよう繋いでいない方の手で覆い隠し、そっと目を閉じるように声をかけた。

そうしてルイスが頷いたのを合図に、アルバートは石けんを使って再び金色を丁寧に洗っていく。

ウィリアムと髪質が似ているようで少し違うそれは絹糸のように細く、ともすれば絡まってしまいそうだ。

これは洗うのに気を使うぞと、アルバートは指先に柔らかく力を込めて泡を操っていった。


「…なんか、変な感じです」

「おや、痛かったかい?」

「うーん…?痛くは、ないですけど…」


ウィリアムの手を握りしめて目を閉じたルイスは違和感をそのままに首を傾げる。

アルバートは慌てて手を止めたが、ウィリアムの目から見てもルイスが痛がっている様子はない。

揃って困惑している兄と弟を見たウィリアムは、先に経験した洗髪を思い出しては予想できうる答えを口にした。


「ルイス、それはきっと気持ち良いんだと思うよ」

「気持ち良い?」

「泡がもこもこしているのはさっぱりするし、心地良いだろう?」

「…なるほど、確かに」

「そうなのかい?では続けても?」


もこもこの文明は気持ち良いんですねと、独特な感想を言ったルイスはアルバートの問いに頷くことで返事をした。

それでも困惑しているのは間違い無いのだから、手早く済ませるべく泡を操りながらどんどんとその面積を増やしていく。

するとまるで羊のようになったルイスを見て何故か満足感を覚えつつ、アルバートはそれを流していくためシャワーを手に取り泡を落としていった。


「もこもこが無くなっていくね」

「僕も見たいです、兄さん」

「ルイス、やめておきなさい。目に入ると滲みるから」

「え、泡は滲みるのですか?」

「あぁ。とても痛いからきちんと目を瞑っているように」

「へぇ。知らなかったね、ルイス」

「はい」


ガーゼを濡らさないよう慎重にお湯をかけてくれたおかげで、ルイスの右頬は濡れていない。

アルバートがタオルを手に取り髪の水分を拭ってからルイスが目を開けると、温まって血色の良くなった頬がそれだけではないピンク色に染まっていた。

洗髪という初めての経験に気分が高揚しているのだろう。

ウィリアムはルイスの丸い額にかかっていた髪を掻き上げて、その瞳と目を合わせてから穏やかに微笑んだ。


「気持ち良かったね、ルイス」

「はい。泡って凄いんですね、さっぱりしました」


アルバートにしてみれば石けんを使うことなど日常的で、だからこそこんな些細なことで感動している二人が不憫でしかない。

けれど、そんな生活ももうおしまいだ。

これからは清潔な環境で、きちんとお風呂に入って、丁寧に洗われた衣類を着る。

アルバートにとっての日常を新しい弟達に贈るのだと、そんな意味を込めて二人の小さな頭に手を乗せた。


「これからはいくらでも泡を使って構わないよ」

「ありがとうございます、アルバート兄さん」

「たくさんもこもこさせて良いんですか?」

「あぁ。もこもこさせた方が清潔に洗えるし、ルイスも楽しいだろう?」


確かに楽しかったけれど、それを肯定するほどまだ心を開けていないようだ。

ルイスはアルバートの言葉に目を逸らしてからウィリアムの後ろに隠れ、今度は僕が兄さんの髪を洗ってあげます、と呟いた。

そして少しだけ口に入った泡は見た目のわりに美味しくないのだと知ったルイスは、いつかアルバートの髪も洗えたら良いなと思いながらも口には出さず、心に秘めるのだった。




(兄さん兄さん、僕が髪を洗ってあげます)

(そうかい?じゃあお願いしようかな)

(はい!)


(…ねぇルイス。泡がたくさんだね?)

(もこもこの方が清潔だと兄様が言っていました)

(そうだけど、さすがにこれは…)

(…駄目ですか?)

(駄目じゃないよ。ありがとう、嬉しいよ)

(!じゃあ、もっともこもこさせますね!)

(うん。…程々にね、ルイス)


(ウィリアム、ルイス、入浴中にすまない。聞きたいこと、が…)

(兄さん)

(兄様。何の御用ですか?)

(いや…凄いな、まるで羊のようだ。ルイスが泡立てたのかい?)

(はい!一生懸命もこもこにしました!これで清潔に洗えます)

(そうか…偉いな、ルイスは)

(えぇ。偉いですね、ルイスは)