カルマの法則
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//karumanojyou【カルマの浄化】
https://sendai.parco.jp/shopnews/?id=58700 【『カルマの法則』 ~転生の秘密~第1話】より
皆さま、こんにちは。『レムリアの扉』運命鑑定士西洋占星学の 惇 レイ です。
ウェサクの満月も過ぎ、いくぶん落ち着きを取り戻しつつあるこの頃です。
初夏の陽光にも眩しさが加わり、緑の葉の照り返しや、子どもたちの声音も、今年は特に心に響いて来ます。
さて、今回のテーマは星読みではなく『カルマ』についてです。
「カルマ」とは何なのだろう…どのように自分の人生に関わっているのだろう…と疑問に思っている方に、わかりやすく解説していきたいと思います。
Ⅰ はじめに
今の世の中の混乱を目の当たりにすると、何かの終末論や天罰のような状況と考える方もいるかもしれません。
また、占星学的に見ても天体の配置がそれを表している、と言うことには、疑問を感じるところもあるでしょう。
しかし、私たちの世界は「預言」や「星の波動」に支配されているわけではありません。
地上に住む私たちは、宇宙からの「星の波動」を受信し、メッセージを読み取り、真実を見極める能力を、自ら持って生まれてきているのです。
苦悩を抱えて生きるその過程の中で、自らの能力で過去世を思い出したり、未来を垣間見たりしながら、人はそこにある「一定のパターン」や「周期、法則」のようなものに気づくようになったと言うことなのです。
人間の中にある「潜在能力」と、「智慧の蓄積」がこの不可思議な世界を形作っているのであり、そこから未来に向かって何を創り上げていくかは、『個人の意図』と『人類の意識』次第なのです。
Ⅱ 『カルマとは』
『アクエリアスの時代』~新しい文明への移行~をブログ連載中に、「カルマ」についてのご質問をいただきました。
チベット仏教の師、ソギャル・リンポチェはその著『チベットの生と死の書』の中で、カルマについて次のように語っています。
「カルマとは“因果の自然法則”であり、転生の背後にある真理、転生をうながす力である…」
「何であれ、今起こっていることは過去のカルマの反映なのである」
それは一体何を意味しているのでしょうか?
サンスクリット語の「カルマ」とは『原因と結果の法則』を意味する言葉で、おもにインドにおいて仏教以前に生まれた概念です。
近年では、スピリチュアルの世界でも一般的に使われるようになって来ました。
“因果”とは、「原因があって結果が生じる」…それが「今いる自分に現象として現れている」ということです。
過去や過去世が何らかの“因”となって、現在や来世の自分自身を決定している、という「転生」のしくみの上に成り立つ概念と言えるでしょう。
この「カルマ」という言葉からは、良くないイメージを受けとる方が多いと思いますが、本来『行為』を意味する言葉であり、「意図、言葉、行動」による善行、悪行、そしてそのどちらでもない中立の行為を含んでいます。
Ⅲ 『カルマと選択』
過去の長きにわたる輪廻転生の中で、私たちは何か起きるたびに、どうするべきか悩み、選択し、行動するという過程を繰り返してきました。
そのひとつひとつが自分自身の判断であり、その選択は前向きのものであれ、意にそぐわない不本意なものであれ、また逃避の結果であれ、感情がそのつどセンサーとなって決定して来たものなのです。
ときに直感が“右”と導いているにも関わらず、自分の中の「怖れ」という感情がそれを拒否し、“左”を選んだこともあったことでしょう。
理性が“後で”と言っているのに、感情が“今すぐ”と判断を急かしたことはなかったでしょうか。
また、心の奥深くにあるもう一人の自分が「幸せになれなくともあの人がいい…」と必死に訴えてきたこともあったかもしれません。
そこから見えてくるものは、選択というのは必ずしも正しいとか正しくないに関わらず、あくまでも個人の自由意思によるものである…ということです。
その自由意思とは、知性、感情、道徳観、価値観など過去のカルマがかかわる今の自分の意思であり、それがすべてを決定しているという訳なのです。
第1話は「カルマ」とは何か、どんな働きがあるか、について見てまいりました。
まだまだ謎は深まるばかりでしょうが、次回はその「カルマ」を修正することができるのか、という疑問にお応えしたいと思います。
“皆さまにとっての真実が、明らかとなりますように…”
惇 レイ
https://sendai.parco.jp/shopnews/?id=58852 【『カルマの法則』 ~転生の秘密~第2話】より
皆さま、こんにちは。『レムリアの扉』運命鑑定士西洋占星学の 惇 レイ です。
仙台パルコは、時間短縮ながらも営業再開となりましたが、『レムリアの扉』は引き続きお休みをいただいております。
リーディングや占術を通して、我々が見る未来は、ひとつは個人の運命の行く先であり、もうひとつはこの世界の大局的未来です。
個人の幸せの先にあるのものは、高次元の理想が引き寄せられ、現実化された社会でなければならないと、私は考えております。
さて前回は、行為とは選択の積み重ねである、という事実を見てきました。
今回は、原因を作ってしまった「カルマ」がもたらすものについて、考えてみたいと思います。
Ⅳ 『苦しみの世界』
「カルマの車輪を降りる」という表現を、以前から使うことがありますが、一見詩的な表現でもあり、実感として解りづらいと思われるかもしれません。
しかしある意味、「カルマ」という不確実な概念を、これほど的確に言い表している言葉は他にないと、私は思っています。
それは…確かに“降りる”ことが出来るのです。
では、どのようにして「カルマ」を降りる…つまり「カルマ」を終わらせることが出来るのでしょうか。
そのようなことは可能なのか…誰しもが疑問に感じることと思います。
しかし、それは可能なのです。
もうすでに過去や過去世で作ってしまった“因”は、変えることは出来ませんが、結果を最小限にする、または結果の“質”を変えてしまうことは出来るわけです。
その昔インドの人々は、「転生輪廻」の輪…つまり“苦しみの世界”から抜け出すことは絶対に出来ない、という切実な思想のもとに暮らしていました。
そのため、来世ではせめて、少しでも良い境遇に生まれたいとの思いで、人々は善行を積むことに必死でした。
どれほど行いに気を使い、虫も殺さぬような生活をしても抜け出せない…転生を繰り返し、山のような徳を積まなければ終わらない…
それほどの強制力を持つものが、
「カルマ(行為)の中に潜む力」であったわけです。
Ⅴ 『カルマの修正』
では「因果の法則」に基づいて、結果を見るまでの間、我々は手だしもできず、ただその結果を受け入れる以外ないのかというと、そうではありません。
カルマの潜在力が表面の意識に現れた時点で、現実化し始める前にアプローチし、変えてしまうことは出来るわけです。
意外に思われるかもしれませんが、苦行を重ねるような難しいことではありません。
それは自分自身の物の見方、考え方を変化させることから始まります。
起きつつある現象や人間関係から、自分が何をどのように学び取ったか、どれだけ深く気づいたかが、仏教で言うところの“縁”を変え、カルマの方向性を変えていくことになるのです。
「因と果」を結ぶものは“縁“です。
様々な感情の働きがそれを強めたり、弱めたりしているのです。
我々は、感情によって左右されながら物事を見て、判断して、そして選択しています。
ですから、「カルマ」の潜在的なエネルギーと力の向きを、物の見方…見解によって“縁”を変え、修正していくと言うことが可能になります。
例をあげてみましょう。
過去世において深い縁のあった人と、現世で再び巡り会ったとします。
そして恋人関係となり、一時は幸せだったものの、裏切られるという体験をしたとします。
その場合、それに対するあなたの感情はどうでしょう…
憎しみや恨みに支配され相手を憎むでしょうか。
騙された自分を恥じて自己嫌悪に陥るでしょうか。
または事実を受け入れ、苦しみを乗り越えることが出来るでしょうか。
どれもが、その時々の素直な自分の感情であり、良いも悪いも、正しいも間違っているもありません。
同じような体験をしても、違う見方考え方があり、感情のエネルギーの強さも違います。
違う感じ方、反応をしたとしても、それは学びの段階にある人間としての、ひとつの姿に過ぎないのです。
起きた事はすべて、「学び」と「気づき」のための出来事であり、それらはすべて、あなたが過去や過去世で作った「カルマ」の不均衡を正し、魂の成長を促すために、起きていることと言えるのです。
この天からの「学びの課題」に取り組み、自分なりの答えを出していく過程で、“縁”は次々と変わっていき、「カルマ」の結果の大小のみならず、その方向性自体が変わっていくのです。
つまり、原因がもたらす当然の結果として、起きる現象の“質”も変わっていく、ということになるわけです。
以上第2話は、「カルマ」を変えることは出来るのか、ということについて見てまいりました。
次回は、それが転生とどのように関わっているか、について考えてみたいと思います。
“皆さまにとっての、真実が明らかとなりますように…”
https://sendai.parco.jp/shopnews/?id=59127 【『カルマの法則 ~転生の秘密~最終話】より
皆さま、こんにちは。『レムリアの扉』運命鑑定士西洋占星学の 惇 レイ です。
この時期、4月26日の「冥王星」に始まり、「土星、金星、木星」と、4つの天体が次々と『逆行』しています。
星の波動への感受性が強い方は、知らぬ間に停滞や混乱を感じとり、戸惑いや不調を感じているかもしれません。
『逆行』は運命学的には「調整期間」ともいわれており、“正しい道”に戻るために、過去に意識を向けさせられ、やり残した課題や責任と向き合う時間、という意味があります。
とはいえ『逆行』というのは、地球から見た、あくまでも見かけ上の天体の動きであり、体験することはすべて、ホログラムを見るかのような、意識上の現象となることでしょう。
通り過ぎた現実世界の“残像”を見て、我々が見い出すものは、未来へ向けた“希望の光”となるでしょうか。
さて、「カルマ」についての最終話は、「転生」との関わりについて見てまいります。
Ⅵ 『カルマの車輪を降りる』
「学び」や「気づき」と言われるものは、すべて自分の意識を変えるためにこそ必要なものです。
そもそも「3次元世界」は、苦しみという体験を通して学ぶ世界であり、過去において人間は、ほんの数えるほどの学びのために、人生のほとんどの歳月を費やしてきました。
また、生きることで精一杯の時代には、気づく機会もなく一生を終え、宿題を来世へ持ち越した事例は計り知れません。
しかし今、人類は「苦しみから学ぶ」というこの世の“掟”が、絶対的なものではないことに、気づきつつあるのです。
言い換えれば、『高次元の存在』としての自己に、目覚め始めたと言っても良いでしょう。
その目覚めがもたらすものは「意識の持つ潜在的な力」によって、自らの「カルマ」の課題に取り組み、終わらせることが出来るという可能性なのです。
必ずしも、この世界の現実を体験することなく、意識の上で体験し現実のものとして乗り越え、解決していく…
それは『カルマの法則』と呼ばれる原因と結果の「因果律」を3次元的にではなく、4次元的に捉えて終わらせて行くという高度な階梯を、登ることでもあるのです。
誤解される方もいますが、『カルマの法則』は逃れない運命論や宿命論とは違うものです。
決定づけられたものではなく、幾多の転生の途中で作り出された、個々の人格の偏ったバランスを取り戻すための、言わば『宇宙のシステム』のようなものなのです。
ですから、どのような事柄であれ、今自分に起きていることは、過去のカルマ…行為の反映なのであり、その状況を作り出したあなたには、本来それを変える力が宇宙から与えられているのです。
「あなたのカルマの結果を変えることは、あなたにしか出来ない」という表現が、まさに正しいと言えるでしょう。
原因となったカルマは、未来において成熟し、必ずその人にとっての完壁なタイミングで結果をもたらし、大きな学びの機会を与えます。
そこから、何をどれくらい学ぶかはその人の魂の成長の段階により決まってきます。
そして最終的には、一人ひとりの人間が、完全にエネルギーのバランスを取り戻したとき、つまり、仏教で言われるところの「中道」に至った時に、生まれ変わりは終わりを遂げるのです。
つまり、人間が経験し得るすべての人生を体験し、学び終えたとき、人は「カルマの車輪」を降り、魂はさらなる浄化のために、地上に転生する必要はなくなるというわけです。
“二度と母の母胎に宿るとは無いであろう…”
とブッダがいわれる境涯に、ついに魂が到達するということになります。
Ⅶ 『高次元への道』
それでは「カルマの車輪」を降り、転生輪廻のループから抜け出した魂は、どうなっていくのでしょうか。
輪廻の輪を解脱した魂は、つぎの段階として『高次の世界』へとシフトします。
我々が、この「3次元世界」に生まれ変わりを繰り返す理由は、「カルマ」によりバランスを崩したエネルギーに、完全なる調和を取り戻すためです。
そのために、あらゆることを体験し尽くし、目の前のさまざまな課題や難問に取り組み、ひとつひとつ学び、修正しながら、バランスを取り戻す作業をして行くのです。
『高次の世界』に到達するためには、一見「善」と思われる行為であっても、「不善」の行為と同じように、二極の一方に傾いていてはいけません。
『高次の世界』は二元性の世界ではなく、善悪も罪も罰もない完全なバランスと調和の世界であるからです。
誰しもが、完全なる平等であり、原因と原因の『宇宙の法則』に則って、魂が成長し、進化していく過程に「在る」だけなのです。
すべてが変化の上に成り立ち、自由意思のもとに存在しているこの世界で、未来を創り出しているのはあなた自身です。
あなたの運命の決定権は、ただ一人あなたにあり、今現在の行為…「カルマ」の結果が未来のあなたを創り出しているのです。
“今のあなたはかつてのあなたであり、未来のあなたは今のあなたである…”
ーブッダの言葉よりー
以上3回に渡り、『カルマの法則』について皆さまと共に、考えてまいりました。
私たちの運命の道のりは、果てしないものですが、「転生には終わりがある」という真実を「カルマ」は示しているのです。
“皆さまにとっての真実が、明らかとなりますように…
そして今を生きることの意味に、気づかれますように…”
惇レイ (Jun-ray)