『ドグマンダラ』終幕!御礼挨拶と主宰より

2018.03.02 10:05

ノミヤです。

改めまして、蟲喰い公演『ドグマンダラ』多くの方にお力添えいただき、無事終幕することが出来ました。

座組の俳優陣・スタッフ陣ひとりひとり、応援し気にかけてくださった方々、関わってくれたすべてのみなさま。

そして、実験にご参加くださり、作品を見届けてくれたあなたに、

心からの感謝を込めて。

本当に、ありがとうございます。

だいすきだ。一生嫌われても、遺伝子のはじまりから末代まで、愛している。

何よりもお伝えしたいことは以上です。

どう足掻いても、感謝のすべてをことばに置き換えることは不可能です。ことばとともに生きると決めておきながら、それに向き合うほどに、ことばの無力さを痛感する機会が増えてゆきます。矛と盾が無限ダンスです。

そして、すこしだけ、お知らせを。

超近日中に、

◎「ドグマンダラDVD」&「吟遊演舞/オロチ 完全版朗読CD+ブックレット」先行予約販売について

◎今後のシックスペースの活動について

のお知らせを、公式から発信致します。ご注目ください!

先行予約販売については、

今回残念ながら会場へお越しいただけなかった方や、急いでて注文できなかった……という方からお声をいただいたため、【三月末まで】予約の受付をさせていただくことに決まりました!

送料などお得・先行予約限定の特製特典付きですので、

気になる方はぜひ、詳細をお見逃しなく、この機会にご注文いただければと思います(^^)!


以下しばらくの文面は、まったくの蛇足です。

興味のない方はしばらくスクロールしていただき、公演写真までおすすみください。


呪いについて。同義のものとして、祈りについて。

座組のみなさんとともに、考えてきた作品でした。

「どんなはなしになるかはみんな次第ですが、わたしは、とりあえず全力の呪詛を吐きます!」

と、豪語したのを忘れてはいません。

実際に筆を執ってみると、それはもう、予想をはるかに上回り難しいことでした。

臆病が過ぎて、夜、眠れない子供でした。

眠っている間にばくだんがとんできたら。ごうとうにおそわれたら。じしんでつぶされたら。

毎晩、自分はよいこだったか。しんだら天国にいけるか。天国にはともだちや、ねこのだいちゃんや、おとうさんおかあさんおばあちゃん、しんだおばちゃんもみんないるのか。

何回も聞いて、何度も「大丈夫」といってもらわないと、恐ろしくて寝つけませんでした。

流石に、母をつかまえて繰り返し質問をすることはなくなりました。
けれど、「大丈夫」と何回いわれても信じることが出来ないいまでは、ある意味であの頃以上に、毎晩が恐ろしい。

そして毎朝、今日が来たことに、ガッツポーズをしています。

自分にとって現世は、失い難いものです。

同時にいつかは必ず、必ず、失うことがわかりきっているものです。

ありとあらゆる耐え難い痛み、をなにひとつ知らず大人になった自分にとって、


その事実に勝る切実な恐怖など、無いように思います。

そして、平和ボケ代表の自分が、どんなに切実になにを思って感じたところで、この作品を通して描きたいことを描くには足らないのではないか。

白状すると本当に不安になった瞬間がありました。

たとえば十数年前。

崩壊していく建物をみながら、
画面越しに爆撃される街をみながら、
飢餓にふるえるこどもをみながら、
もしかしたらあの中に、自分のだいすきな友人がいつか出逢って恋をする相手の、相棒と呼べる存在になるかもしれないひとがいるかもしれない。と想像しながら、
おとなの頭の悪さに対して殺意と等しい激しい憎悪を抱いたこと。 それと同時進行で、
宿題を片付け、明日遊ぶ約束をして、夕飯が油ものばっかじゃん!と親と喧嘩している自分に、 その幸福と自分自身のみにくさに対して、まだ適切なことばを思いつけていない感情で、満杯になったこと。

たとえばもっと身近な、いっしょにいるひとの痛みですら、どう足掻いても他人事でしかいられないとわかりきっているのに。

手の中の幸福について祈る度、
稚拙な呪詛が無尽蔵に、湧いてきます。

記号としてしんでゆく言葉に、同時に殺される想像力に、ふえてゆくばかりの境界線に。

このせかいはほんとうに、うつくしいのに。



結論から云うと、自分はどうにも足りません。

生涯足りないやもしれません。


不安なままです。

それでもなんとか、作品世界をかたちにできたのは、
きれいごとではない真実として、いきてくれたひとたちや、見届けてくれたあなたや、そこへ繋がる無数の意図があったからです。

どうしても「みんな」がすきであること以上に、等身大なことがないのも事実です。

いつかはすっかり夢になってしまう愛すべき現に、執着せずにはいられません。

自分が希望ある悲劇を描きたいのはつまり、日常が絶望的に幸福だからこそなのです。

「せんせい」のように、イトを吐き出し続けることは恐らく自分には難しいけれど。



境界を越えてときには破戒して、それらを繋ぎつづけてゆきたいと思います。

戯曲の真実の役目は観客という存在をなくすことだと信じて。

どうか見届けて、願わくは巻き込まれてください。

……長々書いたけど、
本当に蛇足になってしまいました。赦してください。

ここから、

非売品(完全初公開)含む、公演写真の一部を紹介してゆきます。

ご参加くださった方もそうでない方もぜひ、

ご覧ください!


(撮影 柳澤りな)


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