フラワー・オブ・ライフ・「真実の創造」
http://souzounotane.com/article/454138535.html?seesaa_related=category より
それではあらためまして、「フラワー・オブ・ライフ」第二部、『創造』 をはじめて参ります。
このセクションでは、「フラワー・オブ・ライフ」の構造的理解を深める前に、それらを組み立てていく「言葉」について、もう一度確認をして参ります。
「フラワー・オブ・ライフ」の構造を示す「言葉」は、なるべく一般的に使われている語彙を用いるように心掛けていますが、あらためてその解釈やニュアンスを確認していくという作業です。
今回は、「真実の創造」というタイトルでお話しして参ります。
私たちが普段何気なく見たり聞いたり感じたり、あるいは知っていると思い込んでいる簡単な言葉から、真実として映しだされる世界を、もう一度見立てていくという取組です。
では、早速始めましょう。
Ⅰ.社会を映し出す四つの鏡
ⅰ)概念化から細分化へ
社会環境について理解していくときに、まず何から見ていくでしょうか。
このような問いを投げかけられると、はじめは戸惑ってしまうと思います。
大きなヒントを申し上げれば、一つひとつ概念としてまとめていくことからはじめると良いでしょう。
これが、概念化といわれる分類方法になります。
概念化とは、特に難しいことではなく、スーパーなどで品物がどこにあるか、カテゴリーに分けてありますね。たとえば塩、味噌、醤油など、あるいは「調味料」として一括して分類されているかもしれません。
それと同じで、頭の中で分けていくことを概念化といいます。
なぜ、同じ分類でも、「概念化」という少し難しい言葉を使うかというと、品物ではない、つまり形の無いものや目に見えないものも分けていくからです。たとえば見えないものの代表として人の「心」や「精神」というカテゴリーがこれに当たります。
これが「概念化」の第一歩です。
つまり、第一歩は、「見える物」と「見えないもの」を分けるということです。様々な分類方法の繰り返しにより細分化された図形が「シーズ・オブ・ライフ」であり「フラワー・オブ・ライフ」なのです。
ⅱ)右側と左側の関係
では、見える「物」と見えない「もの」の関係についてご説明しましょう。
「シーズ・オブ・ライフ」や「フラワー・オブ・ライフ」にある「ライフ」が「生命」や「生活」と表わされるように、この図形そのものが「生命」や「生活」を表現しています。
これからその成り立ちをご説明して参りましょう。
ここで、大脳の仕組みを例に左右の関係性を見ていきましょう。
脳の成り立ちは「理論的」な左脳と「感情的」な右脳に分かれていることは以前ご説明しました。
そのときにも、左脳右脳の関係を、自ら脳卒中になったドクター「ジル・ボルト・テイラー博士」のお話しをしたのですが、お時間のある方は、この話をお聞きいただくと内部からの観察による左右の違いが明らかになると思います。https://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight/transcript?language=ja 18分程度
特に理論的な左脳とはその「公式」や「システム」を「見える化」するために使われる領域です。ですから、特に左脳がその役割を担っています。
形がある物や「システム」あるいは「法」など文章化されている規則は、全て左脳領域の分担となります。
反対に右脳は、目に「見えない」感情や心の内面などを感じる役割を担っています。
このように「社会」の分類も「見える物」と「見えないもの」に分けていきます。
ここでは定義上、社会に映し出された結果を見ることを想定すると、左右の逆転が起こり、右側の領域が「見える物」の世界、左側の領域が「見えないもの」の世界ということになります。
言葉の定義上、まずざっくりと「ライフ」の二つの面には、「生活」という形が見える「物」を見ていく面と、「生命」という形が見えない「もの」を感じるている面があるといえます。
それが大きく、右側と左側の領域に分かれるはじめの段階です。
ⅲ)上下の関係
社会には文化や交流の躍動的なエネルギーがあります。それをどのように表現すればよいでしょうか。
エネルギーの上昇や下降、分散や統合、差異化や合一化などの流れがあるのですが、基本的に私たちは、常にエネルギーを伝える動作をしています。
社会環境というのは、人間社会を中心に考えていく場合、社会とは人の集まりであり、便宜的に「上」を「個々人」、「下」を「集団」と分けていきます。
特に触れることによりエネルギーを伝えたり、あるいは文章や言葉で表現することにより、それを社会に伝えていくことになります。
これは外面における一つのエネルギーの形で、「触知」する力と呼びます。
そして内面でも個々の人間が集団を意識したり、あるいは集団の意識が個々人を意識したりする、心理精神的な力が加わります。これが内面のエネルギーの流れで、「察知」する力と呼びます。
以上、左右(内外)、上下の関係に分けて社会をみていくと、最終的に四つの領域に分けることが出来ます。これは次回以降、構造的にお話しをして参ります。
その四つがそれぞれに鏡のようになっていて、その鏡の面を境に、もう一つの境界が出来上がります。それが、次にご説明する「前後」の関係です。
ⅳ)前後(表裏)の関係
社会的動物とされている私たち人間が、他の動物と異なるところがあります。それは言葉を使うこともそうですが、時間的感覚を持ち合わせているということです。
特に時間軸のように時間を意識できること。これが他の動物とは異なるところです。
今瞬間の時間とは、ハイデガーが「時間とは垂直に切り立っている」と言ったように、本来の時間は軸として存在しているのではなく、その瞬間々に永遠の面があるだけなのだという表現をしました。これが「物理的な」時間の正体です。
これも、一つの概念であると思いますが、言葉に過去、現在、未来を言い表すことが出来るように、これは人間に与えられている能力として認識できるものです。
言葉を使い時系列で話ができる、そのようなシステムが作られてきた背景には、時間の認識の仕方そのものがそうなっているからだとお考えいただいて良いでしょう。
私たちは時間を超えることはできません。理論的に時間を超えるのは「光」のスピードを超えた時であると言われています。
本来の自然の摂理の時間は、一瞬の時間が永遠を表現するように、時間軸を境に、私たちは過去(後)、未来(前)の関係性を持っています。
ここでは、過去に向かう方向を私人性とし、未来に向かう方向を公人性と定義しておきます。
次回、それぞれの関係性をお示しして参ります。「左右」「上下」「前後」の三つの関係性とは何か、ご一緒に見て参りましょう。
Ⅱ.巡りの関係
そして、最後に巡りのお話しがあります。これについては、今回少しだけお話ししておきましょう。詳細につきましては第三部以降にお話ししますが、巡りには自己に向かう方向性と自分以外、特に他人に向かう方向性があるのです。
他人に向かう巡りを「時計回り」、自己に向かう巡りを「反時計回り」とします。これは仏教では、利己的、利他的という言葉を使うことがあり、その法則に似ていると思っていただいて良いでしょう。
この両方ともとても大切な巡りなのですが、特に利己的になりすぎると自己中と思われたりしてしまうことがあったり、また利他的になりすぎると、自分というアイデンティティ(自分らしさ)が失われてしまうことにもなります。
要するに、どちらも必要です。
むしろ両方のバランスを執ることが大切ということでしょう。
本日は、構造的な基礎編で、左右、上下、前後(表裏)の関係についてお話ししました。
次回は、『意味の創造』として、実際に立体的な構造をお示ししてお話しをして参ります。