みな精一杯の「生」にあふれています
Ayuka Mizoguchi
私という存在も人生もすべてストーリーであって、ほんとうは何も起きていない。ここに大いなる救いと究極の平和がある。安心しよう。あなたは大丈夫♪
作家しりこだま(しりこ)@shiriko1971
言葉はゆっくりと届けるもの。決して言葉を投げつけてはいけない。投げつけたら、その反動で自分にも返ってくる。そしてお互い気まずくなる。つまり言葉は行動と同じ。それは心の表現でもある。自分の常識と相手の常識は違う。自分の当然と相手の当然は違う。ものさしの長さも違う。言葉は穏やかにね。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事 「生」という文字
生きる、の「生」という文字、もともとは芽が出ること、はえることを意味しています。ひと粒の小さなタネが芽を出し、葉っぱとなり、成長していきます。
この、「いのちの働き」が生です。お日様に当たり、雨をいただき、風を受け、大地のぬくもりに養分をもらって、伸びていくのです。
こんな意味を込めて、ひとつの文字、たった5画の「生」が生まれたと思うと、人間ってすごいな・・・と感動してしまいます。
いいえ、ものごとは、みんなそういうものですね。私たちが受け継いできた伝統とか文化の根っこは、やはり「良く生きていこう」「みんなで助け合って頑張ろう」という真摯で素直な思いによるものです。
いつの間にか、勝者だ・敗者だと、わが身がひとりで生きてきたような顔をするようになりましたが、それ・・・、恥ずかしいことです。安易に使われる「自己責任」という言葉も、「生」の文字の前には小さくなっていきます。
先日、こんな言葉に触れましたました。
「声が大きな人をそんなに気にする必要はない」。辻山良雄さんという、書店主の随想集から拾ったものだそうです。
風が心地よい時期になりました。ゆっくりと見回せば、みな精一杯の「生」にあふれています。おかげさまですね。·
季節ごとに
いま、我がふるさとは、刈り入れを待つ稲穂がたわわに実り黄金の景色です。子どもの頃から見慣れたものですが、毎年毎年、その美しさに圧倒されます。この荘厳なほどの美しさが、いのちを養ってくれるとは。本当に、ありがたいことです。
それにしても、季節ごとに、美しいものに触れることのできるこの国は、詩情にあふれていますね。
秋を「深まる」と言いますが、味わいのある表現で、こういう感じる心を自然が育ててくれたわけです。
「枯れゆく草のうつくしさにすわる」。
山頭火の句。枯れゆくものに向ける、この目です。
見えないものを見るという力・・・。たとえば面影という言葉です。辞書では「記憶によって心に思い浮かべる顔や姿」となりますが、独特のイマジネーションです。
「おかげさま」につらなります。それが、ごく普通の生活の中に確かにあるということが、精神性の豊かを物語っています。
「侘び・寂び」は、難しい文化論のようですが、簡素なものに美しさを見ることです。自然を愛でる方法であるとともに、勝者や強者にはない協調性や調和を至上とする文化。
こんな感覚が希薄になったように思いますが、日本人に自分の国の特徴を尋ねると、年齢などに関係なく、かなりの確率で「四季がある」という答えが返ってくるそうです。四季というのは実際には、日本だけでなく世界の各地にあるのですが、日本人にとっての四季は、季節の変化にとどまりません。時代がかわってもなお心象をも含んだ特別なものです。「おかげさま」のご先祖様から受け継いだもの・・・。
庭先のケイトウ。畦には、彼岸花。
生と死とのまわいを感じつつ・・・物思う季節です。