公団
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
一昨日、大阪日本民芸館で開催されています
「濱田庄司と柳宗理ーふたりの館長ー」展を
観に行ってきました。大阪日本民芸館の初代
館長•濱田庄司(期間:1972〜)、二代目館長・
柳宗理(期間:1978〜)はそれぞれ陶芸家とプロ
ダクトデザイナーと立場は違いますが、それ
ぞれの作品と、館長時代の蒐集品が並びます
1階の濱田庄司の作品群、1968年を中心に蒐集した民藝品の数々も素晴らしいのですが、
2階の柳宗理さんの展示は、普段の民藝館の雰
囲気と随分違って面白かったです。テーブル
、椅子、カトラリー、テーブルウェアのフル
コーディネイトは圧巻。柳宗理時代の蒐集が
インドなど海外の染織品が中心なのも印象的
です。柳宗理の手掛けたプロダクトと国内外
の民藝品とは相性がいいですよね。
民藝館の展示は、品名、地域、時代などの最
低限の情報のみが表示されることが基本です
が、今回、雑誌民藝に柳宗理が連載していた
エッセイとモノが並んでいて珍しいことだと
思いますが、その文章を読み入ってしまいました。(当時の)民藝への危機感が溢れてい
て、柳宗理の目線は未来に向かっているよう
に感じました。そこに書かれていることは今
現在にも当てはまるように思います。
「今日の生活用品は殆ど機械製品であり、機
械製品を良くしなければ、我々の将来は到底
救われないということは言うまでもないだろ
う。そして機械製品でも、民藝の心を持てば
必ず素晴らしいものになり得る」
「機械製品には手工藝品にはない独自の美し
さがあり、又、手工藝品は手工藝品でなくて
は醸し出せない美しさがあるはずなのです。
手工藝品が美しいからといって、機械でそれ
を真似て造っても、到底、元の手工藝品には
かなわないでしょう。又、その逆も言えるわ
けです。但し、良さそのものの価値について
は、両者優劣はないはずです。
(中略)
過去及び現在は未来のためにあるのです。し
からざれば、民藝館も単に過去の民藝の墓場
となってしまうでしょう。」
「今日の日用品は殆ど意識的にデザインされ
ていて趣味的な匂いがするのが多いのです
が、この皿には人間のあくの嫌らしさは微塵
もなく素晴らしい純粋な、清楚な姿を現して
いると言えるでしょう。民藝の言う不ニの美
、絶対の美とは正にこのような美をさすので
はないでしょうか?民藝愛好家も従来の骨董
趣味より一歩前進して、未来に明るく生きて
ゆきたいものです。」
「河井寛次郎さんは機械は手の延長したもの
であるとよく言われてましたが、なるほど、
人間が造るものを、手工藝と機械工藝とに分
けるのは、素直でないような気がしないでも
ありません。手工藝的製品であれ、機械的工
藝品であれ、良いものは良いのであって、そ
の良いという絶対的な美の世界には、手工藝
的とか機械工藝的とかという区別された二元
の世界は、自ずと解消されてしまうと言えな
いでしょうか。」
柳宗理と父•宗悦との親子関係がどういうもの
だったかは全く知りませんが、同じでは決し
てないですが、対立するものではないように
思います。
柳宗理のフルコーディネートを見てて、本展
とは全く関係ないのですが、あることをふと
思い出しました。
僕は現在戸建てに住んでるのですが、生まれ
てずっと団地住まいでした。団地住まいだっ
たからこそ戸建てへの憧れがもしかしたらあ
ったのかもしれませんが、逆にうちの父親は
団地住まいへの憧れがあったということを随
分最近になって聞きました。典型的な高度成長期のサラリーマンなのでしょうか?
単品単品ではもちろん柳宗理のプロダクトは
見てますし今自宅でも使ってますが、フルコーディネートでみると、僕にとってはどこか
昔住んでいた公団住宅を思い起こさせるもの
でした。うちの実家はそんなに洗練されて
なかったですけど。先程は圧巻と書きました
が、一点一点では今の時代にも、どんな生活
スタイルにも合うのに、全部揃えると古く感じてしまったのかな?とも思います。
民藝がスタイル化してしまってるという批判
はあって実際そうだと思いますが、どのよう
なスタイルで民藝(品)を提案するかというこ
とは時代を越えていくのに必要な観点に思い
ました。
個人的な感想で、話が本筋からズレてしまい
ましたが。。。今回の展示もおススメですの
で、ご興味ありましたら是非ご覧になってください。
テマヒマはこの後11時オープンで皆様のお越
しをお待ちしております。ランチのご予約は
5組で残り3席となっています。
それでは、好いモノ、好いコト、好いトキを
テマヒマで。今日も好い一日を!