春日大社(いっこう寺社解説2)
春日大社は神奈備御蓋山の山麓春日野の地に平城京鎮護の神として、藤原不比等が崇める鹿島神を勧請し、神護景雲2(768)年四棟の春日造本殿創建と伝える。しかし、「東大寺山堺四至図」(正倉院御物・天平勝寶8〔756〕年)の「神地」記載や孝謙帝「春日酒殿行幸」(天平勝寶2〔750〕年)・養老1(717)年遣唐使出発に「神祇蓋山南に祀る」の記事から遡るのは明らかと考えられる。現在の本殿は文久3(1863)年の遷宮(重要文化財指定。よって伊勢神宮の様に遷宮新調される事なく20年毎は造替のみ。平成27年は第六十次式年であった)。一殿は鹿島神・武甕槌命(たけみかづきのみこと)・二殿は香取神・経津主命(ふつぬしのみこと)・三殿は河内枚岡神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・四殿は比売神(ひめがみ)の武勇神と祭祀神を祀る。御物(ぎょぶつ)『春日権現験記』に鹿島神は白鹿に乗って遷座したことから、奈良の鹿(昭和32年生息地天然記念物489頭)は神鹿とされる。社は藤原一門の神として栄え大和国総鎮守と発展。保延1(1135)年には三・四殿の御子摂社若宮社創建。春日曼荼羅成立後、三社託宣の春日信仰「春日講」が大和一圏にとどまらず、全国勧請3000春日社から広がりが伺い知れる。また、平安期から天皇・皇族の崇敬により我が国三大勅祭の一つ3月13日斎行「春日祭」は現在も継承する。社内外に奉納された全国最多の釣灯篭1024・石灯籠1780基(高田十郎〔1881~1952〕調・平成調1814基以上・現在は節分と盆の14・15日万燈籠に灯が入るのは壮観)、保延2(1136)年から続く12月15~19日の「若宮おん祭」は大和国祭で変化を遂げ乍らも現在に受け継がれている。社は昭和21年春日神社から春日大社に名を改称し、現摂社末社61社を数え、南境内地に若宮社~夫婦大国社まで若宮15社を祀る。神佛混淆の遺構として一の鳥居右側に関白藤原忠実が永久4(1116)年発願した「春日御塔」西塔址基壇、鳥羽上皇が保延6(1140)年発願東塔址基壇・門址も必見だ。奉納古神宝や美術工芸品(甲冑・雅楽神楽関係国宝・重要文化財、異名「平安の正倉院」)は駐車場の一角、花山院弘(ひろ)匡(ただ)宮司 國寶殿で公開されている。
【freelance鵤書林14 いっこう記】