女子の大望
この何日か、本当に気分が重かった。才能の多寡はいかんともしがたく、仕事をすることに私はこれほど苦しんでいるのである。
いつもヘラヘラしているようであるが、私だって仕事に関しては真面目になる。いくら知恵を絞っても、創造性に満ちたアイデアが浮かばないのだ。しかしやらなければならない。私は徹夜の態勢となり、他のことはすべてぽっぽり出して何かにとりつかれたように机に向かった。
ちょっと一息という名目のもと、ファッション誌をよだれを垂らしそうな顔で読んでいたら「今の時代は、キレイじゃなきゃダメな時代です。政治家でも、学者でも、キレイじゃなきゃ誰も耳を傾けてくれません」とまるで警鐘を打ち鳴らすかのような記事が掲載されていた。
私はさっそく鏡の前に立つ。あら、これって私のことじゃない。
そこに映っていたのは、艶をすっかり失ったわびしい髪に、ひどくむくんで、だらっと締まりがなくなった肉体をした女性講師の寒々とした光景であった。
昔の美人は、ちょっと目鼻立ちがよく肌が美しければよかったが、現代の女性はそれだけではすまない。まずスタイルのよさが重要視され、ファッションセンスも問われる。頭の回転がよく、いろんな話題もなければ駄目だし、男性のあしらい方もうまくなければならない。現代の美人というのは本当に忙しいのだ。
何よりも男性の心をとらえるのは、よく手入れされ、ブロウした髪である。美しい髪の女性というのは、男性たちに多くのメッセージを送り続けているかのようだ。
ねえ、こんな風に髪を大切にするのは、いい女の証なのよ。髪だけじゃないの、肌も体のいたるところもピカピカにしてあるのよ。私って上等の女でしょう。こむずかしいことも言わない、めんどくさくもない、ただひたすらキレイな女なのよ。
忙しさが私をデブとブスの道へと追い立てているんだわ。わーんと泣きたくなる私であった。が、言い訳は絶対によくない。女性はその時の状態でしか評価されないのだ。早急に手を打たなければ、まちがっても見てみぬふりをして状況を悪化させてはならない。そんなわけで、私はそこに載ってある美容院に電話をかけた。なんということであろうか、今日ちょうど“空き”があると言われた。さすがに料金が高いが、キレイになるためなら何であろう。私は銀行へ寄り、美容院へ向かった。
「毛量スゴいですね」美容師さんはおずおずと言った。
私の髪の毛は太くて荒々しい。量が多すぎるからすくことをすすめられた。行きつけの美容院ではないのでカットをする予定ではなかったが、お願いすることにする。
頼りがいのある陽極の髪がどっさりと床に落ちていく。その量に驚いたアシスタントのコが皆をよんできて、口々に「わー、スゴい」と言ったのである。
私はぷりぷりした。自分が見せる分にはいいが、人が勝手にこういうことをすると腹が立つ性格なのだ。
ここ数日間まともに寝ていないこともあり、もう普通の精神状態ではない私は、美容院を出てすぐに友人のMちゃんに電話して、大声でわめいていた。
ややあってMちゃんが口を開いた「ところでさ、素敵なバーをみつけたの、今夜一緒に行かない」
私の顔色が変わった。新しいものにすぐに飛びつくミーハー精神の私はこういう話にのらなかったことは一度もない。
Mちゃんはなおも重ねて言う「お美しい恵美子さんにぴったりのお店だから、おしゃれしてきてね」
そう、Mちゃんは人を思いっきりノセて、やる気を持たせてくれる名人なのだ。美人で気働きができるMちゃんは私の周りの誰からも評判がよい。
賞賛も受け、私はとってもいい気分。家に帰り母に電話し自慢したら「どんなあくどい手を使ったの。Mちゃんが可哀想じゃない、Mちゃん大丈夫かしら」と本気で心配された。
自慢めいた言いぐさで恐縮であるが、ごくたまには「キレイになったね」「おしゃれしてるね」という言葉をいただくことがある。私はこれを宝石のように大切に集めておく。そして人生に物語をはじめたいとき、そっと手のひらにのせ頭の上からぱらぱらとふりかける。
キレイを眠りから覚ませてやろう。そう、私は“キレイ”という魔法の杖をふるいながら、おまじないを喉から湧き上がらせる「さあ、みんなゆっくりと目を開けるのよ」
瞼のうえにアイシャドウで光と影を綾なし、神秘的ななまなざしを宿す。心の色に合わせたリップで唇に濃淡あるささやきを操る。考えぬいて選んだ服をまとい、うっとりするような気配をちりばめる。小物にだって端々まで凝りに凝って、エレガンスはとりわけ見えないところの中に忍ばせる。こういう耽美を奏でる時間こそ、女性として自信と誇りの柱となるはずだ。
続きあります。