采女神社・猿沢池(いっこう寺社解説6)
猿沢池は奈良八景の一つで「澄まず・濁らず」と言われる周囲360mの興福寺放生人口池。天皇に恋して思いを成し遂げられずに悲嘆のあまり池に身を投げた采女の秘話伝説を『大和物語』150段・能「采女」は伝える。伝説に応えて池を見るのは忍びないと采女神社が池に背を向けて祀られている(一夜の内に西を向いたと言うのは最近の増幅話)。毎年9月中秋に、花扇奉納行列と花扇「御所伝承のものを復原し、秋七草で作った2mの大扇」を手向ける管絃船の儀の〝采女祭〟は観光協会が戦後始めたイベント。池は『古事談』龍神伝説では、住んでいた龍神が采女の身投げで池が穢れた為春日山へ移り住んだが不浄となり室生の龍穴へ移ったという降雨の龍神信仰を伝える。鎌倉期の『宇治捨遺物語』「蔵人得業猿さはの池龍事」説話にも池より龍が昇る話があり、それを短編小説に描いたのが、芥川龍之介(1892~1927)の「龍」(大正8年)である。法蓮の眉間寺や柳本内山永久寺・多武峰法楽寺の如く完全廃寺の運命にあった興福寺は、南都律僧の努力で西国三十三霊場南円堂(国宝不空羂索観世音菩薩坐像・康慶作)と一言観音堂(明治期移築)の庶民信仰が廃仏の嵐中生き残り、寺の息脈を保さたれたのは皮肉なことだ。県庁舎・学校に利用建物以外の五重塔は5両(昭和5年刊奈良新聞記事、一説に50円。俗に5円15円25円とガイド本にあるが皆似非事)で金具を取る為に焚き付けに売りに出されたが、萬力を掛け牛に引かせてもビクともせず、燃やそうとしたが周りの民家が火災になると反対の末断念したと逸話が伝わる。
入水した采女を祀っているのが采女神社で春日大社の末社になっている。采女の衣掛け柳は東岸茶屋裏の摸造十三重塔横の若木に植え替えられた柳がそれと言う。
【freelance鵤書林18 いっこう記】