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童話作家|浜尾まさひろ

第12回 「童話」って何?

2022.10.06 18:03

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス著、1958年 )表紙


「童話」って何?


童話とは何か、この原点を探りたいと思います。「辛くて重い」という字を縦に連結させる漢字を「童」(わらべ)と書きます。

「童」というと可愛らしい子ども像をイメージしますが、もともとは悪い子どもを表わしていました。

古代では、罪を犯した者は大人でも子どもでも容赦なく罰していました。が、子どもは未来に可能性が残されているので、死刑になることは少なかったようです。そこで、誰が見ても犯罪者とわかるように、両目のまぶたの上に「辛」と入れ墨を入れて刻印を背負わせました。犯した罪の「重さ」を実感させたのです。つまり「童」とは子どもの罪人の証しという意味がありました。

童話に「良い子」を書いてはいけない暗黙のルールがあるのがこのためかは定かではありませんが……。童話作家、あるいは児童文学評論家といわれる先生方の著書には、子どもの視点で書かれた、子どもが読む文学が童話であると説いています。しかし、立原えりか先生は「童の話」と書いて「童話」と読ませることに違和感をお持ちでした。

童話は子どもだけが読者とは限らない、子どもだけが読む文学ではない……と考えるからです。

立原先生は少女時代から読書家で「怪盗ルパン」や「小公女」などを胸をわくわくさせながら読まれていました。でも、アンデルセンの「人魚姫」はどこが面白いのかわからなかったといいます。

王子を助けた人魚姫が王子に恋をして、そのために魔女と契約を交わしました。「声」と引き換えに人間の姿となった人魚姫は毎晩、二本の足で歩くことが辛くて……、歩くたびに痛みを感じるようになるのです。

大人になった立原先生は「人魚姫」を読み返したときに、それが「恋の痛み」であることを知ったのだといいます。大人になって、その奥深さに気づかされたのでした。

童話は子どもだけに読まれる文学ではない……と、私も思います。

イギリスの童話作家フイリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」は今や古典的な名作として知られています。

はしかにかかったトムは、叔父と叔母が住むアパートに預けられます。ホールの大時計が13時を告げると、彼は存在しないはずの不思議な庭園を発見し、一人の少女と出逢います。ラストに少女が誰なのか、あきらかになる長編ファンタジーです。

初めてこの童話を読み終えた私は、しばらくの間、感動で恍惚の余韻に浸っておりました。子どもの頃に読んでいたとしても、今ほどの感動には至らなかったでしょう。

すぐれた童話は、童心を失いつつある大人こそが読むべき文学ではないのか、とさえ私には思えてなりません。

浜尾


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