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奈良大和路ほんまもん観光相談センター

中宮寺(いっこう寺社解説18)

2018.03.04 07:07

    中宮寺は斑鳩尼寺と称し、聖徳太子が生母穴穂部間人皇后の為に建立したと伝える鵤尼寺で、単弁忍冬文装飾六弁蓮華文軒丸瓦を葺いて7世紀前半には創建された事が明かになっている。その場所は現在地より東500m程にある寺院址である。大形花崗岩の地下式の心礎を備えた塔(三重塔)と金堂・講堂?が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置で、遺構整備史跡公園化が進んでいる。鎌倉期文永(1264~75)年間に興福寺信如尼が西大寺叡尊上人らの行動に心を打たれ再興に尽力したものの、14世紀初に度々火災に見舞われ以後は衰退の一途をたどったという。

 16世紀半ば、法隆寺東院に隣接する現在地に移り、宮家皇女を迎え浄土宗門跡寺院「斑鳩御所」となる。現在聖徳宗の立宗と共に昭和28年改宗。本堂北側の入母屋の表御殿(登録有文)は近世後期の建造で、格天井の御上段の間など6室から成る。

 昭和43年落慶の山吹花に囲まれた池に浮かぶ新本堂高松宮妃の発願により、吉田五十八(よしだいそや・1894~1974)が設計した。本尊は寺では真言系での名残り「如意輪観音」と呼ぶ、国宝中飛鳥名像「弥勒半跏思惟像(楠寄木彩色像)」である。現在黒漆に覆われた人間の表情や肉体を理想化した弥勒半跏思惟像はパリ出開帳の折り、「亜細亜のビーナス」と絶賛され世界三大微笑(モナリザ・スフィンクス)の一つの異名を持つ。近年竣工された鳩和殿には実物大模造のお身代わり様が居られる。

 教科書にも登場する「天寿国繍帳」は太子を偲び妃橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が天寿国(極楽浄土)に往生した様子を刺繍で作らせた曼荼羅(染色工芸品)である。太子信仰の始まりとされるこの曼荼羅は、信如尼が法隆寺の綱封蔵から発見し、残决を繋ぎ合わせ模作を製作したが、江戸期にさらに繋いだ残决で全容は詳らかでない。月の中に兎・真ん中に薬壷・桂樹などが確認されるが、100の亀甲に4文字づつ由来が記された長さ2mはあったと考えられている。以前は本尊の前にガラス額に入れられ公開していたが、現在は門外不出の奈良国立博物館委託資料となっており、寺にあるのは模造品。

【freelance鵤書林30 いっこう記】