世界のはじまり、「私」のはじまり
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
すべてが私に
この「世界」に対する好奇心は、古代からありました。
神話というものの存在がそれを物語っていると思います。というのは、地域の条件(寒いとか暑いとか、海に近いとか内陸とか)などによって、内容は異なりますが、神話には創世記のような物語が必ず出てきます。日本ならイザナギ・イザナミの国生みの神話ですね。世界のはじまりであり、同時に「私」のはじまりですね。
神話には、事実がある(織り交ぜられている)と私は考えています。無から有は生まれないのですから、古代人が見た(感得した)はずのものが語り口を変えながら受け継がれていると。
あるいは語られなくなったということには隠されるべくして隠されたもの(=封印された歴史)もあるだろうとも思います。神話が「歴史」になるというとき、それはときの勝者の歴史だったと考えられます。
たとえば、菊理姫(くくりひめ)。
『日本書紀』に出てくるのはたったの一文だけで、黄泉の国でイザナギとイザナミの争いの中に入って、仲裁をされています。その後は出てきませんが、そこに出ているということは、つまりイザナギとイザナミと同じ時代にいらっしゃった古い神様ということになります。天照大御神が誕生する以前の、土着の神様だったのだろうと考えます。
瀬織津姫もそうです。風土記や、偽書とされた『ホツマツタエ』等には載っていますが、正式な歴史の中には何一つ出てきません。
歴史の中には、埋もれてしまった裏の部分というものが必ずあります。縄文から弥生へ、そして国家の成立へという過程を通して、大陸との関わりから新しい文化が入ってきました。大陸から流れてきた人々と一緒にこの日本がつくられてきたのですが、日本を統一しようという強い意思があり、それに従わない者、同化しないものは抹殺されるか追われる宿命となったのです。そうして追いやられていったのが縄文の神々であり、ヒメたちはその象徴的な存在と言えます。
神というのは、「働き」のことです。消された女神たちは、存在というより、そのもつ働き=ものの考え方や価値観を封印されたのですね。
宇宙であれ歴史であれ、解き明かされているもの謎のもの、みな自分自身につながります。私とはわずかな時間、この世にあらわれた小さな一点にすぎないけれど、すべてを負っているわけですね。
https://book.asahi.com/article/13565127 【「君が世界のはじまり」ふくだももこ監督インタビュー 書いて撮って、ちょっとだけ視野が広くなったこのごろ】より
文:永井美帆、写真:北原千恵美
舞台やドラマの演出を手がけるなど、28歳にしてボーダーレスな活動を続けるふくだももこさん。2016年に短編小説「えん」ですばる文学賞佳作を受賞し、19年には「おいしい家族」で長編映画監督デビューしました。彼女の原点とも言える「えん」と「ブルーハーツを聴いた夜、君とキスしてさようなら」を再構築し、自ら監督した映画「君が世界のはじまり」が7月31日(金)に公開されます。地方都市に暮らす高校生たちの孤独で、危うい日々を描いた本作に込めた思いを聞きました。
あらすじ
大阪にある郊外の町で、高校2年生・えんは、コロコロと彼氏を変える親友の琴子と退屈な日々を送っていた。しかし、琴子がサッカー部のナリヒラくんに一目ぼれしたことで、2人はすれ違うようになっていく。同じ高校に通う純は、家出した母親に対して、何も行動を起こさない父親に腹を立てていた。それを忘れるように、東京からの転校生・伊尾とショッピングモールの非常階段で体を重ねるようになる。それぞれが孤独に押しつぶされそうになっていた夜、この町の高校生が父親を殺すという衝撃的な事件が起こった。
何かを表現したくて、小説を書いた
――原作となった短編小説は「えん」(2016年)と「ブルーハーツを聴いた夜、君とキスしてさようなら」(17年、以下、「ブルーハーツ」)について、「どうしようもなく特別な物語」だと語っていましたね。
「えん」を書いた当時、同世代の映画監督、山戸結希さんの存在が大きくて、「もう映画をやめよう」と思っていました。山戸さんとは初めて映画を撮った年が同じで、デビュー作の時から知っていたんですけど、「山戸さんが『溺れるナイフ』(ジョージ朝倉の人気漫画)を原作に、映画を撮るらしい」といううわさを聞いて、「すごいスピードだな」と打ちひしがれました。
どうやって映画を作ればいいか分からなくなって、だけど何かを表現したくて、「えん」を書くことにしました。東京から実家の大阪に戻っていて、やることがなかったので2週間くらいで書き上げました。小説を書いたのは、それが初めてです。もともと私は20歳くらいまで、本を読まない人間だったんですよ。でも、映画学校に通っていた時、先生が作家、西加奈子さんの『さくら』を買ってくれたんです。「君は西加奈子みたいな映画を撮ればいいんじゃない?」と言いながら。その本がすごくおもしろくて、今ではすっかり西加奈子さんのファンです。
「えん」の主人公えんと琴子には、私の「陽の部分」を詰め込みました。この小説は、えんの目線から書いていますが、私自身、琴子にもすごく思い入れがあります。それで、琴子の目線からつづった小説「君か、それ以外」を今年発表しました。この映画がヒットして、まとめて短編集として出せたらいいんですけどね。琴子が一目ぼれするナリヒラくんにも自分と重なる部分があります。家族の問題を周りに打ち明けることが出来ず、1人で悩んでいるナリヒラくんの姿が昔の自分を見ているようで、「あの頃の自分を救いたい」という気持ちで書きました。「ブルーハーツ」の主人公、純にも自分自身を投影している部分があり、どちらの小説も自分が体験したことを織り交ぜています。
©2020『君が世界のはじまり』製作委員会
――そんな「えん」と「ブルーハーツ」が一つの映画になりました。二つ物語を再構築し、映画にしようというのはふくださんのアイデアですか?
映画プロデューサーである佐々木史朗さんからの提案です。史朗さんは、私の映画学校で理事長をされていて、卒業制作を覚えていてくださったんです。ある日、「えん」と「ブルーハーツ」を読んだ史朗さんから連絡を頂いて、「この二つの小説を映画にしてみない?」って。舞台も、登場人物も違う二つの小説を一つの映画にするなんて、自分では想像もしていなかったですね。
それから「脚本をどうしよう?」という話になり、私はこれまで「おいしい家族」(19年公開)などで脚本を書いていますが、今回は自信が持てませんでした。小説で一度完結させた物語を再び脚本にして、映像化する技術が今の自分にはないと感じていて。それで、史朗さんから名前があがったのが映画「リンダリンダリンダ」などを手がけた向井康介さんです。向井さんは、「もう青春映画を書くことはない」と考えていたようですが、小説を読んで、引き受けてくださることになりました。
――脚本化にあたって、向井さんとはどんなお話をされたんですか?
向井さんが書いてくださった最初のプロットを見た時、二つのストーリーがある事件を軸にして、しっかり一つ物語になっていて、「こういうことやったんや~!」と衝撃を受けました。事前に何かお願いしたわけではないのに、私が大切にしたかった部分をしっかりくみ取ってくれていて。映画には、小説には出てこないオリジナルの場面がいくつかありますが、「えんなら、きっとこう言うよね」とか、一人ひとりのキャラクター像をちゃんと理解してくれていたのが大きかったです。途中途中で細かい言い回しなどの修正を重ねつつ、完成した脚本を読ませてもらった時は「プロってすごい!」の一言でした。自分の脚本はまだまだだと、勉強になりましたね。
©2020『君が世界のはじまり』製作委員会
私が「正解」になってはいけない
――原作者であり、監督でもあるという特別な立場ですが、小説と映画で作品への向き合い方は違いましたか?
向井さんの脚本を読んだ時点で、小説と映画は全くの別物だと思っていました。小説は基本的に私の頭の中だけで完結していたけど、映画はいろいろな人の力が加わって、物語が出来上がっていく。あえて小説と映画でつながっている部分をあげるとしたら、えんや琴子、純という登場人物を作り出したのは私なので、監督として映画を撮りながら、セリフの裏にある感情を理解できるという部分ですね。別の人が書いた小説だったら、「何でこう言ったんだろう?」と想像することしかできないけど、今回に限っては正解が分かる。だけど、私が「正解」になってしまってはいけないので、俳優と話し合って、一緒に登場人物の感情を考えていきました。
――映画には、それぞれに葛藤を抱え、エネルギーを爆発させる高校生たちが登場します。製作を通じて当時を思い返したり、大人になった今、何か感じたりしたことはありましたか?
撮影の現場で実際に動いている高校生たち見て、いとおしく思ったり、まぶしく感じたりすることはありました。振り返ると、あの時代から20代前半くらいまでって、家族とか友達とか、ごく身近なことが悩みの大半を占めていた気がします。でも、20代後半になって、自分のことばっかり考えるのに飽きてしまって(笑)。悩みのメインテーマが変わってきました。
3年くらい前から#MeToo運動をはじめとするフェミニズムに触れる機会が多くなって、自分のことだけでなく、「どこかに傷ついている人がいるなら、ちゃんとそのことに思いを巡らせよう」という価値観になりました。ただ、全部をまともに受け止めているとしんどいじゃないですか。それで、身近にいる男性に対して攻撃的になったこともありました。でも、最近はうまく距離をとることが出来てきて、ちょっとだけ視野が広くなったかのかな。いつか、こうした社会問題をテーマに作品を書きたいと構想中です。
もう一つ目標を語っていいですか? 明確な目標としては、映像業界に保育部を作りたいです。打ち合わせだったり、撮影現場だったり、誰もが当たり前に子どもを連れて来られる環境にしたい。映像業界はまだまだ労働環境が整っていないところが多いけど、早くなんとかしないと、優秀なスタッフがいなくなってしまいます。そしてそれは自分のためにもなることだと思っています。
FacebookTaiki Shimizuさん投稿記事
「見る順番で結末が変わる」という宣伝文句に興味を惹かれて 観てきました。
1本目「君僕」→2本目「僕君」の順番で見るなら「幸せな物語」。
1本目「僕君」→2本目「君僕」の順番で見るなら「切ない物語」になるという 。
今日はこの映画のレビューと 我々も実は 日常的に経験している並行世界について書いてみました
https://ameblo.jp/taiki-ism/entry-12768215175.html 【パラレルワールドの理解が深まる映画】より
人生を最も楽にする方法は、覚悟を決めること。
本当はやりたいことなのに、怖いと思っていることを始めること。
魂を生きる覚悟を決めると怖れや不安は一気に落ちる。
苦悩の正体は、過去の安定にすがり変化を避けるための逃げ道を探す、そのマインドなのである。 しみずたいき
こういうパラレルワールド(並行世界)ものが好物なので、2本の映画を一気に観てきました。
両親の離婚の時に、主人公が父親の方を選んだ その後の人生が「君を愛したひとりの僕へ」。
主人公が母親の方を選んだ その後の人生が「僕が愛したすべての君へ」の物語になります。
見る順番で結末が変わる内容で、1本目「君僕」→2本目「僕君」の順番で見るなら幸せな話
1本目「僕君」→2本目「君僕」の順番で見るなら切ない話になるということで自分は「幸せな話」になる順で見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=uSoazE86qNs
実際の人生にも いくつかの重要な分岐点ってあるけれど、例えば、じぶんがAさんと結婚する道を選んだとしても、選ばれなかったBさんと結婚する道を選んだ自分が…
または独身の道を選んだ自分もまた…どこかのパラレルな世界で生きている…。それが 並行世界 です。
先日 パートナーと一緒に食べた夜ご飯が自分は寿司を食べたと記憶してるのに、相手は中華を食べたと記憶している場合そんな記憶違いってたまにあるじゃないですか!?
それはどちらかの記憶が間違っているのではなく、どちらかが別の並行世界での体験を記憶しているのかもしれない…ということ。
あと 散々部屋中を探してもに見つからなかった失くし物が 目の前で見つかったり、左側に置いたはずのカバンが右側に置いてある場合も、並行世界を移動しているのかもしれない。
カラダは移動していないだけで、意識は 別の世界に頻繁に移動しているということ。
この映画を見ていて、マンデラエフェクトもまた並行世界を移動した記憶や痕跡なのでは?
と思えてきました。
例えば、ピカチュウの尻尾は、黄色と黒だった記憶、ミッキーマウスの服が、サスペンダーだった記憶、セックスアンドシティが、セックスインザシティだった記憶、ケネディ大統領の車が、4人乗りだった写真と6人乗りだった写真、
マンデラ大統領が、80年代に刑務所で亡くなった記憶を持つ人が多数いる。
これらの、記憶と事実が異なる現象は、「マンデラ・エフェクト」と呼ばれていて、それって、もしかしたら別の世界線を移動した記憶なのかもしれない。
並行世界やマンデラエフェクトの話って、実は波動の法則や引き寄せの法則とも深くリンクします。
エササニの存在たちは「いまは分岐する世界を体験し始める時期」と言います。
去年の冬至頃から各々の信念が芽吹き始め、現実化されてきます。
例えば、ある陰謀説を信じる人はその世界を経験するようになります。
自分には価値がないと腹の底で信じる人は、価値がないと感じる現実を経験することになります。
その逆もしかりです。
分岐の象徴として、これまではうまくいっていた関係に「亀裂」が入る現象が起きたりもします。
現在は たくさんのタイムラインがあみだくじのように交差していて、鍵を握るのは“あなたの選択”です。
別な言い方をすれば、あなたの在り方、波動が変わるとタイムラインも変わるということ。
あなたが経験している”全て”はあなたのエネルギー(波動)から やってきているからです。
他の誰かがあなたに影響を与えているのではなく、あなたの周波数内にあるエネルギーが
物質化されているに過ぎないわけです。
ですから、アセンションの時代のタイムシフト(並行世界の移動)の秘訣は、物質化された外の現象を”起点に”それを映し出した元である自分の周波数(映写機)内にある”不安や恐怖ベースの要らないエネルギー”を見つけ出して手放していくこと。
新しい並行世界(次元)にシフトする手前で、必ず貴方の持っている不安や恐怖ベースの古い周波数のエネルギーが浮上してきますが、それをしっかりと見て、手放していけば、あなたが生きたい 魂が望む世界(並行世界)が見えてきます。
「精神世界について理解したから」と言って、自分を知るプロセスを止めてしまわないでください。
私たちはもっともっと深く「自分とは何者なのか」を知る必要があります。
もっともっと自分を掘り下げてみていく必要があるのです。
魂が望む世界を生きるには、貴方がなりたい自分(在り方)を邪魔する周波数にまず気づき、手放し、統合していく必要があります。
それをするのは今のタイミングです。
いまは 地球の歴史史上、最も重要な時期です。
気がつけば、私はここにいた。大きな交差点だ。横断歩道の上に私は立っている。
ここはどこだろう?
知っているような、知らないような。私に向かって車が走ってくる。だけど車は私をすり抜ける。信号が変わって、今度は人が歩いてくる。
だけど人も私をすり抜ける。喧騒も、空気も、光も、みんな私をすり抜ける。
誰も私に気づいてないみたいだ。私はまるで、交差点の幽霊だった。
いったいどうして、いつからここにいるのか私には分からない。というか、自分が誰なのかもよく分からない。
なんとなく、ついさっきまで誰かと一緒にいたような気がするんだけど、
多分その誰かは私を置いてどこかへ行ってしまった。
けど、ひとりぼっちで何も分からなくても、不思議と不安はなかった
怖くなんてない。寂しくなんてない。
そう思えた。たった一つだけ、分かっていることがあったから。私は誰かを待っている。
交差点でひとり、ずっと…私は誰かを、待っている。「君を愛したひとりの僕へ」より