史上最高の天才『ジョン・フォン・ノイマン』
「火星人」「悪魔の頭脳」「1000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った完璧な機械」という異名を持つ天才。
1903年~1957年のハンガリー出身のアメリカ数学者。
数学・物理学・工学・計算機化学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与え、原子爆弾開発やその後の核政策への関与でも知られる。
アインシュタインを含めた同時代の天才達が「誰が一番頭がいいか?」と話し合った結果、「やはりノイマンだろう」と意見が一致した。しかし本人は「自分よりアインシュタインだ」と答えたという。
ノイマンは暗記力、思考力は飛びぬけていたがアインシュタインのような「直感的なひらめき」「画期的な発想力」に恵まれなかったようで、それが本人的にはコンプレックスだったそう。
またノイマン型コンピューターはノイマンが作り出した訳ではなく「ノイマンと同じ計算方法で計算するコンピューター」である。
学生時代では語学、数学、歴史の授業は抜きん出て優秀であり主席であったが一方の
習字、体育、音楽の成績は落第寸前だったそう。
その運動神経は、子供時代習っていたフェンシングで先生が匙を投げるほどである。
また何十年も居住している家の棚の食器の位置すら覚えられなかったほか、1日前に会った人物の名前
すら浮かばなかった。興味がないものに対しては全く無関心であった。
ノイマン伝説
・幼少期から英才教育をうけ、ラテン語とギリシャ語を話せるようになり、父親と古典ギリシャ語
でジョークを言い合う
・6歳で8桁の掛け算を筆算で行い、8歳で微分積分をものにした。
・ゲーテの小説と44巻ある世界史を読了し、暗唱した。
・学校の先生が父親に「ご子息に普通の数学を教えるのはもったいないし、罪悪とすらいえるでし
ょう。」と訴えた。
・17歳で数学者フェケテと最初の数学論文「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」を書
きその論文は1922年にドイツ数学会雑誌に掲載される。
・23歳で数学、物理、化学の博士号を授与された。
・最年少でベルリン大学の私講師になった。
・プリンストンに招かれプリンストン高等研究所の所員に選ばれた。
(4人のメンバーのうち2人はアルベルト・アインシュタインとヘルマン・ワイル)
・ゲーム理論の成立に貢献し、量子力学を形式的に完成させた。
・ノイマンがマンハッタン計画に携わっていたとき、物理学者のエンリコ・フェルミとリチャード
・P・ファインマン(両方ノーベル賞受賞者)と3人で水爆の効率概算を競った。ファインマンは
手回し式計算機を使い、フェルミは計算尺を使い、ノイマンは暗算で挑んだが、その結果、ノイ
マンの答えが最も早く正確だった。
・電話帳の1ページを暗記し、その総和を即座に答えた。
・ENIACとの計算勝負で勝ち、「俺の次に頭の良い奴ができた」と喜んだ。