第6感以上の「第7感」「第8感」とは
- 20世紀最大の発見は「無意識」
あなた様は
カラダが持つ「5感」について
それぞれ挙げることができますか?
5感は、それぞれ
「視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚」
ですよね。
これを仏教では、
「識(しき)」であらわします。
眼識(げんしき)
耳識(にしき)
鼻識(びしき)
舌識(ぜっしき)
身識(しんしき)
そして、
第6感と呼ばれる「意識」、
第7感の「末那識(まなしき)」
第8感の「阿頼耶識(あらやしき)」
全部で「8つ」の識(こころ)で
私たちはできているというのが
仏教の「八識」と呼ばれる考え方です。
仏教の考え方の面白いところは、
普通私たちが1つと思っている心が
8つからできていると
考えられているところです。
そして第6感以上の「感」があると
考えられているのも
面白い点だと思います。
また、仏教では
「私たちは一人一人の世界に生きている」
と教られます。
身近な家族や友達、恋人でさえ
「自分一人一人の世界で生きている」
と言うのです。
それは個人それぞれが抱えた
過去世の課題(カルマ)に取り組むため
だと言われています。
では、
意識よりも深いところにある
第7感「末那識」、第8感の「阿頼耶識」とは
一体どのような心のことを
言うのでしょうか。
そして
その境地に辿り着いた際には
どのような学びがあるのでしょうか。
ご紹介してまいりたいと思います。
◼︎第7感「末那識」
末那識は「執着する心・しがらみ」を
指します。
いつも自分のことばかり
考える心のことで無意識状態であっても
働いています。
この意識は、
己に対する愚かさ、己へのとらわれ、
己へのおごり、そして己に対する愛着心など、
自己中心で起こる心の作用で、
無意識に起こるものなので、
コントロールが難しい意識です。
「意識」によって
ダイエットを始めたのに、
「無意識」のうちにお菓子に
手を伸ばしているのは
この末那識によるものです。
しかし、
この意識の存在に気づくことは
大きな学びになります。
「なぜ、お菓子に
手を伸ばしてしまったのか
→
ダイエットの苦しみから逃れたいという
末那識によるもの。」
自分が意識の下で何を求め、
執着していたのか知ることは
とても大切な気づきになります。
◼︎第8感「阿頼耶識」
阿頼耶識は「私」そのものです。
「魂」と言った方が
わかりやすいかもしれません。
もはや意識という概念が
存在しない領域で、
体を失っても、
記憶を失っても無くならない
「私(魂)」そのものです。
自分の過去の経験したすべてが
「魂の倉庫」のなかに記録され、
過去に学んだこと、考えたことのすべてが、
善悪の区別なく混在しています。
そしてこの「魂の倉庫」を
どのように保つのか次第で
人格や品性が変わり、
運命が決まっていきます。
日頃から善い行いをして
倉庫をキレイに保っていれば
「キレイに保ってもらえるならば」と
良い経験が集まる運命になるでしょう。
逆に、
不誠実な行いばかりで
倉庫が乱れていれば
次第に朽ちる運命を導くでしょう。
阿頼耶識での学びは、
倉庫の中の人生の課題(カルマ)や
過去のどんな過ちも
自分次第で再びキレイにしていける
ということです。
5感、第6感、第7感の意識は、
この第8感に取り組むための意識
と言えます。
無意識のために
意識を働かせるなんて
少し不思議な感じもしますが、
意識の繰り返しが無意識をつくり
「私」そのものが
できていきます。
普段使っている5感の他に
直感という名の「第6感」、
執着を生む無意識下の「第7感」
そして、
「私(魂)」そのものの「第8感」
についてご紹介させていただきました。
あなた様が思っているあなた様自身は
もっと奥深いものです。
行動のクセや思考のクセは
無意識の中で作られ、
なかなか直るものではありませんが、
その改善に努めるところに
私たち人間の美しさがあると思います。
あなた様の無意識は
あなた様しか気づけない無意識。
最大の発見がきっとそこにございます。