【あなたも言ってませんか?】写メという言葉はもう古い!
みなさん、スマホで撮った写真を相手から送ってもらうとき、何といいますか?
『写メ送ってよ🤓』
という人、まだ結構いると思います。
僕はこの言葉のチョイスに若干の違和感と危機感を持っています🤔
だって深く考えてみてくださいよ、
いまの10代~20代(特に前半)の人たちって、『写メ』とか言いますかね?
『着メロ』並みに古代言語になりつつありません?
ぼくら世代からそれより上の人たちが使ってるのに、わざわざ若い子が〝合わせてくれてる感〟が否めないのです。
■写メの語源を再確認
まぁあえて説明せずとも大体、知ってる人は多いでしょう。
時代はさかのぼること2001年、この『写メ』ないし正式名称『写メール』が単語として登場いたしました。
16年前、いまのSoftbankの前身であるJ-phoneが商標登録したらしいこの言葉、
携帯電話にカメラ機能が付属され、その写真を『メールで送ること』を前提に名づけられたようですが、
『写メ』という名詞に『~する』という動詞がついて、『写メする』もしくは『写メる』という動名詞に進化。
当時学生だったぼくらの中ではその『写メ』なる行為が大流行しました。
まだまだインスタントカメラを持ち歩いていた僕らからしたら、画期的な行為でしたよね📸
ただ、当時から僕はずっとあることが引っかかっていたんです😒
■『写メを撮る』という言葉の矛盾点に納得がいかなかった学生時代
写メする事が日常的になってきて程なく、まわりの人間たちが口々にこう言いだした。
『写メ撮ろう🤩』
んんん?????
『写メ』という動名詞に『撮る』という動詞をさらに付け加え、動名詞を名詞のような使い方をしようとしたのである。
これには僕もほどほど参りました😨
言うなれば『頭痛が痛い』などと日本語覚えたての外国人も真っ青の間違った日本語が誕生した瞬間だったのです。
だって『写真をメールする行為を撮ろう』などと言うのは明らかにおかしくないですか。
そしてさらに
〝『写メ』を送らない行為〟が当たり前の文化となりました。
メールという言葉が含まれてるのにメールしないという矛盾が生じたのです📩
誰にも送らない『写メ』はもはやただの『写真』だ🐷✈️
しまいにはその『写真』のことすらも、『写メ見せて!』という始末。
しかし僕の思いとは裏腹に、この『写メを撮る』『写メを見る』という言葉は着々と認知され、時代とともに『違和感のないもの』として世間に受け入れられていくのであった。
■『写メ』はメールをする時代の言葉
ここまで説明をすればもうお気づきかもしれませんが、
そもそも『Eメール』に添付することを前提に、携帯の端末で撮った写真のことを『写メ』といっていたあの頃。
いまはもう普段のライトなコミュニケーションのツールとしてEメールはほとんど使うことが少なくなくなりましたよね。
そう、LINEでやり取りをします。
写真を送るのもLINE。受け取るのもLINE。
ほかにもFacebookのメッセンジャーでもいいし、その他SNSなんでも写真の受け渡しは可能である。
なんならApple端末ならAirdropという手もある。
そんな時代の中で、もはや『写メを送って』というのは、いかがなものなんでしょうか?
『メ』はなんなの?
『メ』要素はいったいどこなの?
なんなら『写ラ』でもいいわけじゃない?
写真を撮ってLINEで送る行為、その名も『写ラ』。
ほら、おかしいでしょう!???
だから僕は絶対に『写メ』という言葉を使わないと決めました。
きっと皆さんも、カップルのことをアベックというおっさんぐらい、この言葉に違和感を感じてきたのではないでしょうか👴🏻👵🏻
■気づかないうちに僕らを蝕む時代と矛盾したワードの数々
こんなことをずっと考えていたら、『写メ』に匹敵するぐらいの瀕死ワードがたくさん思い浮かびます👀
まず、ケータイ(携帯)📞
いや、スマホ📱でしょう。
いまやケータイと言ってる人はアラサー以上の人が多いのではないでしょうか?
僕は別に大人世代が使う言葉に対していちいち『時代遅れ』などと否定する気持ちは全くないんですが、
現代に存在しない(もしくは使用していない)代物の名前を、
なんの疑問もなく日常的に使用する事に対しての危機感を主張しているだけなのです。
『ガラケー』の『ケー』の部分が何なのか?
通じない平成生まれの人たちも少なくないと聞きます🗣
そもそもiphoneの画面にある電話アイコンの絵📞ですら、何の絵なのかわかってない人が多くなってきたそうです。
いまや(50代以上はのぞいて)スマホの普及率が90%を超えてるのだから、
ドヤ顔で『ケー番教えて』なんて言おうもんならBC時代の人間を見るような目で
『・・・え?何語?』
と聞き返されてしまう日もきっと遠くはないだろうと思う🤭
■歳をとるとは物事に興味がなくなること
まぁ多少言いすぎましたが、笑
ぼくはそんな『言葉のチョイス』に気を払わないといけないなって思うわけです。
温故知新。
古きを温めて新しきを知ることを忘れてはいけません。
でも古きを温めるだけで、新しいことを知ろうとしない人にはなってはいけません。
古いことをしっているから、新しい知識をゼロからインプットするよりも更に楽しと僕は思います。
それは古いものと、新しいものがつながるからなんです。
■僕は『昔ながらの飲食店』があまり好きではありません
『〇〇の元祖』とかで出される『開店当時からずっと継ぎ足してきた秘伝のタレ』も魅力を感じません。
ゼロからものを生み出す苦労は本当にすごいとは思いますが、
そのベースを元に進化させつづけてきた
〝今〟のニーズに合わせたものこそ、最高品だと思うからです。
だから進化のないものにはあまり魅力を感じず、
『新しきを知った』うえで生み出され、そのテイストを伝承しつつ新しいテイストを加えた今のメニューの方が好きです😌
それができなくなった時に、人は『昔はよかった』と前を見ずに言うんです。
『昔はよかった、でも今の方がもっといい』
そういってる方がよっぽどかっこいいですよね、だって時代は絶対進んでいるから。
昔の音楽しか聴かなくなったひとは、今の新しい音楽の良さを知らないだけなんです。
ということでまとめると、
僕も30を越えて、いまの若い子たちに合わせるという気持ちはなくはないですが、
逆に若い子たちよりも最前線をいく興味は持ち続けていこうと思ってはいます。
流行りに敏感になるのが目的ではなくって、
常に最新型にアップデートされた人間でいたいと思うわけです。
だからもう気軽に『ケータイで写メ撮ってLINEでメールして~』(究極)なんて言えないわけですね。笑