同じ道〜AP.プルクラ・マディラ
朝イチで東京→水戸でお寺さんと打ち合わせ。色々宗派やお土地柄で作法は違うので、聞きつつ、学びつつ。戻って葬儀打ち合わせ。間で仕事指示。からの今水戸→東京。
こうゆー状況は不謹慎ですが、慣れているので、周りにありがたがれている。。。
プルクラん招き始めると一度は欲しくなる産地。マディラのプルクラ。またブランコやウアツマと違い面白い!
マディラはこんな感じ。メタリック感ありつつ、画像は黄色ですが、ブルーに見える時もあり、工業的デザインなシャープなイメージ。
プルクラ好きはこいつから始まってるんですが、ゴージャスになる可能性も秘めてます。
画像は同じ個体ですが、背鰭も綺麗!ギザリが良くて、チョイスする際は、背鰭欠けがない個体、マストです。→小さめから育てるのがオススメ。
また導入時がこんな感じなのに。。。
こうなっていくのを楽しむのが醍醐味です。
ゆえにアクアエフのプルクラに迷い中。
秋の晴れ空、水戸から大洗に抜ける途中の風景ですが、ここは昔のままだなぁーって。ザリガニ取りや釣りで良く通った道。
通夜まで思い出す時間になってます。よくよく変わった親父だっだなぁーって。16歳で親戚の工場に入り、日本の高度成長期に金型設計、製造を行い、30歳で独立。金型工業会?確かそんな名前だったところの会長をやり、イケイケな30代。40代になり、お金で騙され、借金人生スタート。6年の裁判で勝利。
ブラブラしながらビクターの部長になったが、社長だっだ人が人の下につくのは難しく、印象としては、40年ぐらい無職を通して好きなことをやっていた。ゴルフ、庭いじり、彫刻、歌手、ダンスをやったり、回転寿司、スナックをやろうとしたり、思春期の自分はそんな親が嫌いで早めに家をでて、頼らない道を選んだ。
あまり考えを語らない親父だったので、わからないが、ここ2日を経て、ほんとはなにを考え、なにを思っていたのかが気になり出した。
最初にやっていた金型事業が変な形で失敗し、人に裏切られ、ポッカリ穴が空いた状態を必死で埋めようとしていたのかな?って、同じ立場になり、少しわかるような気もする。ただ母、妹はそれは感じていない気がする。親戚も含め、単に自由な人だったと。
今の自分の根っこの部分は、若い頃に感じたことから成り立ってると思う。男同士ってのもありますが、話はしないが、気は通じていて、気にかけてもらっていることは感じてて、学びは多かった。
いつになるかわからないけど、そんな話をしたいなって思った一日だった。
そんなわけで、お疲れ様〜