なら 對山摟(たいざんろう)と子規の庭(しきのにわ) 名所旧蹟12
2018.03.06 15:50
對山樓は、菩提町の菊水樓・池之町の三景摟と並んで明治・大正期まで今小路押上町にあった一流旅館(對山樓の名は山岡鐡舟の撰と言う)。明治から大正期には、岡倉天心・フェノロサ・黒板勝美・高村光雲・滝廉太郎・下田歌子・正岡子規などの学者・政府高官・芸術家の名前が宿帳に残る。會津八一(1881~1956)も花芝町の吉沢屋や日吉館に移るまで宿泊地としている。
正岡子規(1867~1902)は好物の柿を月ヶ瀬娘に剥いてもらって、「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」と共に東大寺の鐘を聞いて「柿食えば………寺」と呼んだ場所。平成18年日本料理天平倶楽部の敷地内に旧旅館の柿古木周辺を整備し、若草山・大佛殿を借景にした庭が造られたのが子規の庭。庭は横の入り口から拝観可(無料)。
對山楼の前身は江戸期には旅籠角屋(角定)と称したと言う。中世の東大寺郷街から発展した転害郷は京・伊賀からの奈良口で、近世・近代明治期まで奈良の一番の繁華街であり、名物旅籠は幕末にも元勲伊藤博文・山形有朋・大山巌などの奈良での宿泊処であった。
【freelance鵤書林57 いっこう記】