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会津若松市「思案岳」登山 2022年 秋

2022.10.19 13:13

JR只見線沿線の「会津百名山」登山。今日は会津若松市内の三等三角点峰「思案岳」(874.2m)に登った。

 

「思案岳」は会津若松市大戸町の闇川(くらかわ)地区にある山で、「会津百名山」の第73座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

思案岳 <しあんだけ> 874メートル
奥山の桃源郷のような闇川の集落、山は水の元といわれ、闇川の流れはその山々に源を発し、いつも変わらぬ清流と河鹿蛙の玉をころがすような鳴き声に誘われて訪ねよう。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p156

  

この闇川地区は、大川(阿賀川)で拓かれた河岸から東に5kmほど山間に入った地にあり、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)で“大戸嶽の北麓にて四面に高山峙ち、霜雪早く降り水田少く最幽僻の地なり”と記されている。*出処:新編會津風土記 巻之三十三「陸奥國會津郡之七 青木組 闇川村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p128-1289  URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

この闇川村の項に「思案岳」の名は無いが、「千代嶽」という名の山の記載があった。

●闇川 ○山川 ○千代嶽
村より丑寅の方にあり、高五十丈餘勢削り成すが如し

丑寅とは“北東”を指し、闇倉地区の中心部の北東に位置する山が「思案岳」となっている。また、「山の名前っておもしろい! -不思議な山名 個性の山名-」(大武美緒子著、実業之日本社刊)の“素敵&おめでたい山名リスト”(p139)に、「思案岳」が括弧書きで“千代ノ岳”と記されていることから、「千代嶽」は「思案岳」を指すのは間違いないようだ。


「思案岳」の名の由来について、上記ガイダンスでは次のように記されている。

*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社、p156-157)より引用
闇川入の小屋の奥に飯豊山があり、その山に姉妹の神が住んでいた。ひとつの山に二人の神が住むことはできないので、どちらかが飯豊山を出なければならない。そこで、どちらが出て行くべきかを話し合ったが気丈な妹は姉が出てゆくべきといい、姉は妹がとなかなか決まらなかった。妹の意見で、明日の朝、目が覚めたとき髪の毛に蓮華の花が咲いていた方が出て行くことにしようと決めた。翌朝、早く目を覚ました妹は、自分の髪に蓮華の花が咲いているのに気がつき、まだ眠っている姉の髪に花を移した。姉はそれとも知らず、自分は約束通り飯豊山を出るべきだと思い、今の思案岳の頂で考えた末、喜多方の方向に雄大な山を見つけ、その山を目差し飛んで行き住んだ。そして以前、自分が住んでいた山名をとって飯豊山とした。 

ただ、ガイダンスに“姉と妹が反対の場合や、花の咲いている所も人によって異なる”と注釈があるように、「日本山名事典<改訂版>」(三省堂、p468)では、飯豊山に向けて出て行ったのが妹で、蓮華の花は思案岳の山頂の池で花咲かせの競争をした等と違った表記がされている。

 

 

「思案岳」登山は、今年のゴールデンウィークに闇川地区に北接する黒森地区にある「高嬴山」と同日に登る計画を立てていたが、断念していた。今回は、ガイダンスで「思案岳」の名の由来に関わる“入の小屋の奥の飯豊山”(本元飯豊山)の登山口に立ち寄ってから、「思案岳」に登ることにした。


今日の旅程は以下の通り。

・会津若松駅から、会津鉄道の列車に乗って、芦ノ牧温泉駅で下車

・芦ノ牧温泉駅から、輪行した自転車で「本元飯豊山」登山口に向かう

・「本元飯豊山」登山口から「思案岳」登山口に移動

・「思案岳」登山

・下山後、只見線の会津本郷駅に自転車で移動

・只見線の列車に乗って只見町に向かい、当地で宿泊


会津地方の天気予報は晴れ。紅葉にはまだ早いが、秋晴れの下で登山できることを楽しみに、「思案岳」に挑んだ。

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ  -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)-  / -只見線の秋-

 

 


 

 

今朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に移動。駅頭で折り畳み自転車を収納バッグに収め、駅舎に入った。

 

改札を通り1番ホームに行き、待機中の列車に乗り込んだ。

5:55、会津若松行きの始発列車が郡山を出発。

 

 

中山宿を出て、沼上トンネルを抜けると会津地方に入り、すっきりとした青空が見えるようになった。そして、猪苗代を出発すると会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)が良く見えた。山肌は、上半分以上が色付いているようだった。

 


7:11、会津若松に到着。駅周辺の市街地は濃い霧に包まれていた。

 

4-5番ホームに向かう。只見線の4番線には会津川口行きの列車が停車していたが、今日は「思案岳」最寄りの芦ノ牧温泉駅で降りるため、5番線の会津鉄道の列車に乗りこんんだ。

7:51、会津田島行きの会津鉄道の気動車が会津若松を出発。

 

会津鉄道は会津若松~西若松間は只見線に乗り入れているため、切符には“西若松→420円区間”と表示されていた。

 

 

8:11、芦ノ牧温泉に到着。後部車両には、開業(旧国鉄会津線が第三セクターへの移行)35周年を記念して今年7月に導入された“ねこ駅長”のラッピング車両だった。



駅舎に近づくと、強い香りがした。扉を開け中に入ると、待合室に献花台が設けられ、花であふれていた。

 

芦ノ牧駅の2代目名誉駅長の猫の「らぶ」が、今月5日に死んでしまっていたのは知っていたが、ここまで愛され、悼まれていたとは思いもよらず、衝撃を受け心揺さぶられた。

 

駅頭には、「らぶ」の写真額が置かれたままだった。私は「らぶ」に会ったことはないが、多くの会津鉄道の乗客や駅への訪問者にかわいがられ、癒しを与えのだろうと思った。「らぶ」の写真に向かって、ありがとう、ご苦労さまとつぶやき、首を垂れた。

 

 

 


8:23、駅頭で自転車を組み立て、準備をして出発した。

 

 

駅前通りを進み国道121号線を右折し、まもなく左折。市道を進み、大戸小学校の脇を通ると「大戸岳」の堂々とした山容が見えた。

 

 

8:41、闇川を2回渡河し、緩やかな坂を上って行くと闇川地区の菅沼集落が見え、その後方には「思案岳」が見えた。

 

8:47、桑曽根集落に入り、「大戸岳」登山口に続く林道荒俣線への分岐を通過。

 

闇川4度目の渡河後、左に目を向けると、モザイクに色付き始めた「思案岳」の山肌がはっきりと見えた。

 

 

8:51、市道を直進し、林道闇川線の入口に到着。「本元飯豊山」参道入口に行くため、熊鈴を身に着けゲートを越え未舗装道を進み、しばらくすると木板と注連縄が見えてきた。

 

9:01、「本元飯豊山」参道入口に到着。

 

入口を少し入ったところには、“飯豊山”と彫られた石碑が立っていた。“飯豊山”とは、只見線の車窓からも見える飯豊連峰の主峰、信仰の山である「飯豊山」(2,105.2m、会津百名山3座)を指している。*参考:福島県 観光交流課「やまふく -ふくしま30座-」飯豊山 URL: https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

「新編會津風土記」には、ここ(本元飯豊山)と飯豊権現の関わりを示す記述がある。*参考:福島県 会津地方振興局 喜多方市「飯豊山神社」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/tadami-river/kitakata.html

○高畑山
村東三十町にあり、昔飯豊権現を勸請せし所なりと云、毎歳八月村民此に参詣す
*出処:新編會津風土記 巻之三十三「陸奥國會津郡之七 青木組 闇川村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p128-129  URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202)

「高畑山」とは、国土地理院の地理院地図には記載がないが、闇川地区入小屋集落の東にある762m標高点で、この「高畑山」の南南東の岩場が「本元飯豊山」(=“飯豊権現を勸請せし所”)となっている。“毎歳八月村民此に参詣す”については、新暦9月の第二日曜日に遥拝登山が行われいてるということで、地域に伝承されている。*参考:福島県 森林計画課 「森林文化調査カードを公開しています」4.森とくらし (21)本元飯豊山参りと修験道の伝統集落行事 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/375140.pdf

 


「本元飯豊山」参道入口から引き返し、林道のゲートを越え入小屋集落越しに、「大戸岳」の山塊を眺めた。

 

市道を下り入小屋集落を抜けると、「思案岳」と広域基幹林道・一の渡戸-四ッ屋線の分岐が近づき、右折し林道を進んだ。

 

緩やかな砂利道を上り淀川橋を渡ると、上方に「思案岳」が見え、林道は林の中に延びた。

 

この林の中を少し進むと、“ごみを捨てないで!”と不法投棄を諫める看板が見え、その反対側にピンクのリボンテープが見えた。

 

 

 

 

9:13、「思案岳」登山口とされる、擁壁間の階段下に到着。

さっそく、自転車を擁壁に立てかけ、不要な荷物を自転車に括り付けるなど登山の準備をした。

 

 

9:28、「思案岳」登山を開始。階段を上りスギ林の急坂を進んだ

 

少し進み、左手を見上げると道のような地形になっていたため乗り上がった。踏み跡とは言い難かったが、歩き易い空間になっていて、そこを進んだ。

 

スギ林を抜けると、幼木が目立つ二次林のような場所になった。地表を見ると、踏み跡らしき筋が上に延びていた。

周囲を藪で囲まれ見通しが悪くなり、熊の存在が気になった。熊鈴は付けていたが、念のため最近知った北海道大学「クマ研」の“ポイポーイ”を時折連呼しながら足を進めた。*参考:北海道新聞「「ポイポーイ」クマよけのかけ声が響く北大天塩研究林 地図とコンパスで広大な山林を調査して歩く北大クマ研のヒグマ調査に同行」(2022年9月15日) URL:https://www.hokkaido-np.co.jp/article/730946/?pu

 

 

先に進むと、緩やかな斜面に1~2m大の岩が点在する場所になった。「新編會津風土記」の記述『勢削り成すが如し』から、岩がある山ではないかと考えていたが、そのようだった。

 

 

9:42、斜面の傾斜は急になったが、前方の枝葉の間に青空が見え、尾根が近いと思った。

 

踏み跡らしき場所を進んでいると、倒木が前方を遮ったため、左の斜面に取付き、直登することにした。

 

登山靴を地面に差し込みながら急坂を進むと、まもなく尾根が見えた。

 

 

9::51、尾根に乗ると、幼木にピンクテープが巻き付けられていた。登山道が不明瞭な山では、やはりこのテープを見ると安心できる。

 

尾根の序盤は繁っていたが、踏み跡らしき場所が所々に現れるようになった。

 

しばらくは歩き易かったが、岩や大きな石が足元に広がる場所が断続的に現れ、足元の安定は続かなかった。

 

息を切らせながら急坂を登り進んでゆくと、背中に強い陽射しを感じる場所になり、振り返ると色付いた木々越しに、「大戸岳」の山塊が見えた。

 

 

斜面に現れる岩は多くなり、そこから生える木々が見られるようになった。

 

傾斜は徐々に増してゆき、地面に顔を近づけて進むような場所もあった。

 

そこで、白い花を目にし、ちょっとした癒しになった。調べると似たような花があり、葉の形状からシロヨメナ(白嫁菜)ではないかと思われた。


 

10:25、前方に大きな岩壁が見えた。

 

斜面を登り切り、岩壁の下を左(北)の方に少し進むと、舞台のような岩場があった。

 

その岩場に上ってみると、前面に「大戸岳」山塊が壁のように聳えていた。「大戸岳」の名は、会津盆地を“戸”のように塞ぐ大きな山が由来ともされているが、それが正しいと思える山容で圧倒された。

この場所は、もう少し眺望を良くすれば、“眺望岩舞台”として「思案岳」登山の魅力を高めるのではないだろうかと思った。

 

 

“岩舞台”から先は、岩場を迂回するように踏み跡が続き、歩き易くなった。

 

途中、木々の間に目を向けると、右下に登山前に通過した入小屋集落が見えた。

 

 

踏み跡は続いた。

 

そして、頭上が開け尾根を進む事になるが、ブナやナラが生え岩が点在し、足元は凸凹だった。

 

 

10:37、尾根道は巨岩に遮られた。越えられなくもなかったので、真っすぐ進もうと思ったが、左側を見ると踏み跡があったので、そちらを進んだ。

 

踏み跡ははっきりしていて、徐々に傾斜が緩くなっていった。

 

地表の様子から頂上は近いと思い、右手を見ると二つの頂が見えた。そこで、踏み跡を離れ藪を漕いで手前の頂にのってみたが、藪が濃いままだったので、漕ぎながら北に進んだ。

 

すると、前方の藪が薄くなり、地表に石柱が埋まっているのが見えた。

 

 

 

 

10:44、「思案岳」山頂に到着。登山口から1時間16分で到着することができた。

 

“思案岳 874m”と手書きされたはがきサイズほどの金属板が、近くで一番太いナラに木ねじで固定されていた。

 

三角点石標に触れて、登頂を祝った。

 

石標には、“三等”の文字が認められた。

 

 

山頂は籔や木々に覆われ、眺望は全く得られなかった。

東面の様子。

 

西面の様子。

10:50、「思案岳」山頂を後にした。下山も同じコースをたどる...予定だった。 

 

 

山頂尾根を過ぎ、“岩舞台”から岩壁の前に立ち見下ろすと、吸い込まれるような斜面だった。近くに落ちていた太目の枝を拾い、斜面の上部に差し込みながら、慎重に下った。 

 

枝葉の密度が薄くなる度に、「大戸岳」山塊が見えると圧を感じた。

 

また、途中には木の根元を炭焼きに使ったような跡が見られらた。

 

...下りは順調に思え、『そろそろ登山口から最初に乗った尾根に着くだろう』という距離に達したが、周りを良く見ると見覚えのない風景で、まもなくスギ林が見えてきた。登山口直近のスギ林とは立地や形状が違っていたため、自分が登りルートから西側に外れている事に気付いた。事前にGoogleMapで見ていた空撮写真を思い出し、斜面を東に向かって直進した。

 

まもなく、前方が明るくなった。

 

11:27、尾根に到着し、本来のルートに戻った。ロスは、5分ぐらいの無駄で済んだようだった。

 

尾根から、再び急坂を慎重に下り、スギ林に入り縁を歩いた。

 

スギ林を抜けると、すぐに階段が見えた。

 

 

 

 

11:37、「思案岳」登山口に戻った。下山は47分だった。

 

平日の山里の山で、藪も多いとされていたのでクマとの遭遇を心配したが、2つの熊鈴と「北大クマ研」の“ポイポーイ”に守られたようだった。

 

急坂の下りで活躍した枝は、膝丈ぐらいにして使った。一度も滑ることなく、大変助かった。

 

「思案岳」登山を無事に終えた。事前の情報通り、山頂からの眺望は得られなかったが、藪漕ぎはほとんどなく、急坂を慎重に登り下りすれば困難の無い山だった。


課題は、標高が900m未満ということから、①女性でも登下山し易くする、②クマ対策、③見晴らし場所の設置だと感じた。

①について、「思案岳」の難所は急坂の登りで、10m程のヒモ場を最低3箇所必要だと思った。②のクマ対策は、登山ルートの刈払い(春と秋)と、一斗缶+殴打棒を複数個所に設置する事が想定される。③の見晴らし場所の設置は、8合目付近の“岩舞台”の前面を塞ぐ木々を伐採し「大戸岳」の山容を見えるようにする、というのが良いと思った。

 

肝心の「思案岳」登山口までの二次交通だが、自転車を輪行しなければ、徒歩のみとなる。登山口まで最寄りの会津鉄道・芦ノ牧温泉駅からは約6km、只見線を利用する場合は会津本郷駅は約16km、それぞれ離れている。このため徒歩の場合、只見線を利用した登山は現実的ではない。

また、「本元飯豊山」と「思案岳」を同じ日に登る事は十分可能なので、会津鉄道・芦ノ牧温泉駅で下車後に登山口まで歩き、下山後は宿泊する芦ノ牧温泉の旅館に登山口までの送迎を依頼するというのも考えられる。

只見線を利用し「思案岳」登山を行うには、今のところ輪行が現実的だ。ただ、「思案岳」は会津本郷~会津坂本間で車窓からその神々しい山容を見せてくれる飯豊連峰に関わる「本元飯豊山」と只見線に縁深い山、という事から「本元飯豊山→思案岳」登山後にバスで会津本郷駅に送ってもらい、列車に乗って車窓から「飯豊山」を眺めるというツアーの企画は魅力があるのではないか。このようなツアー、もしくはイベントが企画されることを願いたい。

 

 

11:55、「思案岳」登山口を出発し、林道をバイパスし闇川ふれあいセンターから市道に入り、緩やかな坂を快調に下った。上三寄地区に入り国道121号線が近づくと、大川(阿賀川)を挟んで「大戸岳」の対岸にあり、会津盆地を塞ぐもう一方の“戸”なる「小野岳」(1,383.4m、会津百名山41座)が見えた。

 

国道121号線に入りすぐに横断し、会津若松熱塩温泉自転車道路を兼用する市道を1.6km進み左折、県道23号(会津高田上三寄)線に入った。会津若松市と会津高田町の境となる馬越橋上で、大川(阿賀川)の向こうに「大戸岳」山塊を眺めた。只見線の大川橋梁上から見える山容と、ほぼ同じだった。

 

 

大石地区に入った直後に右斜め延びる町道に入り、1kmほど進んでから大川(阿賀川)の堤防の道を駆けた。

 

堤防道を2kmほど進み、「本郷温泉 湯陶里」の前を通過。時間があれば、ここで登山の汗を流したかったが、本数の少ない只見線の列車に乗るため叶わなかった。

 

「本郷温泉 湯陶里」の先にある「せせらぎ公園オートキャンプ場」の前を通過。平日ということで、利用者は居ないようだった。

 

 

12:57、会津本郷駅に到着。

 

自転車を折り畳みに輪行バッグに入れて待合室に入り、時刻表を見ると、当たり前だが、下り欄に3箇所“小出”の文字があった。

 

列車の到着が近付き、ホームに出た。進行方向の只見方面に目を向けると、会津百名山61座「明神ヶ岳」(1,074m)の山容が良く見えた。

 

まもなく、「磐梯山」を背景に、小出行きの列車が入ってきた。

13:08、下りのキハE120形2両編成が会津本郷を出発した。

 

驚くことに、車内は平日にも関わらず満員だった。立ち客も、ゆうに20名越えていた。私も輪行バッグを邪魔にならないように、開閉頻度の少ない進行方向右側の扉の近くに立って車内で過ごした。

 

切符は、事前に購入していた。今日は只見町内に泊まるため、会津本郷~只見間で、運賃は1,520円だった。

 


列車は会津高田を出て、右大カーブで進路を真北に変えた。刈田越しには「磐梯山」が見えた。

この後列車は、根岸新鶴を経て若宮の手前で会津坂下町に入り、会津坂下を出発後に七折峠を越えて奥会津地方を進んだ。

 

 

 

七折峠の中の塔寺を経て、会津坂本を出て柳津町に入り、会津柳津を出発し郷戸との間にある“Myビューポイント”を通過。会津百名山86座「飯谷山」(783m)も山容が良く見えた。

 

滝谷を出発し滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。渓谷の色付きは進んでいなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧1873-1960」 

 

 

会津桧原を出て桧の原トンネル内で観光減速し、列車は「第一只見川橋梁」を渡った。

 

会津西方を出た直後には「第二只見川橋梁」を渡った。上流側に聳える会津百名山82座「三坂山」(831.9m)も、雲に覆われることなく全体の稜線が良く見えた。

 

 

会津宮下を出て、東北電力㈱宮下発電所・宮下ダムの脇を駆け、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。観光減速はここでも行われ、ゆっくり景色を見る事ができた。ここは陽が当たり、下流側の渓谷の山肌は淡いモザイク模様だった。

 

この後、早戸を出て金山町に入り会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡った。ここは東北電力㈱上田発電所・ダムの直下ということで、ダム湖というより水の流れが見られる事の方が多くなっているが、今日は水鏡が見え、左岸の山肌を映していた。

 

列車が会津中川を出発すると、緩やかな右カーブに差し掛かり、列車が減速し次駅到着を告げる車内放送が流れた。車窓から後方に顔を向けると、上田ダム湖に突き出た大志集落が見えた。

 

 

14:58、会津川口に到着。多くの客が降りたが、列車すれ違いで31分停車するため、荷物を置いたままホームに降り写真を撮る方も多かった。

 

15:25、会津若松行きの列車が到着した。


この上り列車には、乗り込む客も多く、ホームは混雑した。全線再開通から半月以上経った平日は、大変喜ばしい事だが、席に座って車窓からの景色をゆったりと眺められない客が多くいると思うと、残念だった。

 

 

15:29、下りの小出行きが会津川口を出発。車内の混雑は、あまり変わらず、私は立ったままだった。

まもなく、列車は只見川への河口に架かる野尻川橋梁を渡った。ここも水鏡が周りの風景を映していた。

 

しばらく只見川沿いを走った列車は、ほんの少し川と離れた後に“新”「第五只見川橋梁」を渡った。ここは風が吹き抜けるためか、水面には波が立ち、水鏡は出ていなかった。

 

本名を出発し、東北電力㈱本名発電所・ダムの直下にある“新”「第六只見川橋梁」を渡った。ダムはゲート1門を開放していたが、開放幅が狭いようで、落水は少なかった。

 

会津越川会津横田を経て“新”「第七只見川橋梁」を渡り、列車は会津大塩に停車。只見線全線再開通を祝う幟が、立てられたままだった。

 

滝トンネルン内で只見町に入り抜けると、列車は塩沢地区と十島地区の間の只見川(滝ダム湖)沿いを駆けた。

 

会津塩沢を経て「第八只見川橋梁」を渡り、会津蒲生を出発後に振り返って只見四名山蒲生岳」(828m、会津百名山83座)を見ると、山頂付近に西陽が当たっていた。

 

叶津川橋梁を走行中、上流側に只見四名山「浅草岳」(1,585.4m、会津百名山29座)の山頂付近が見えた。

 

 

 

 

16:21、只見に到着。輪行バッグを抱えてホームに降りた。多くの降車客が連絡道を歩き、駅舎に向かうのが見えた。

 

遅れて駅舎に入り、駅頭に出ると、人の姿がほとんどなかった。駅頭の全線運転再開日からの“カウント電光表示機”は18日となっていた。

 

只見線広場やコンテナハウスにも、人影は見られなかった。降車客は、宿の送迎車両に乗り込んで去ったか、駅周辺の宿に向かったあとのようだった。

 

 

駅頭で自転車を組み立て、上野原踏切に行き列車を眺めた。今日は、猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線に現れる“寝観音”様の御姿がはっきりと見えた。

 

小出行きの列車の出発を見送り、今夜の宿となる民宿「山響の家」に向かった。町役場駅前宿舎には、只見線全線運転再開の幟が2つ、掲げられたままになっていた。列車の混み具合も含め、全線運転再開の“宴”はまだ続いているようだと感じた。今後は、できれば適度な混み具合を継続し、賑わいが継続して欲しいと思った。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考: 

・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日) 

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

 

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。