近代アジアの動乱17-薩長同盟、幕末へ
2022.10.14 10:18
京都を追い出された長州藩は、1864年8月20日「禁門の変」で武力奪還を目指すが失敗、朝廷では徳川、薩摩、会津、土佐、越前、宇和島の参預会議ができる。ところが、幕府権力の再建を目指す一橋慶喜と権力や貿易への参与を求める薩摩との対立が顕在化した。とりあえず長州征伐を行ったが、穏便に済ませた。
ところが翌65年1月12日、高杉晋作がリーダーとなり「功山寺挙兵」によって長州は態度を硬化させ、幕府側は第二次長州征伐を決定。幕府と袂を分かった薩摩藩は薩長秘密同盟を結び、坂本龍馬が仲介して長州に武器援助を行った。
ここで長州藩は長崎のグラバーから、最新鋭ライフルであるミニエー銃を入手した。さらに下関戦争の経験より平民をも含めた様式戦術を取り入れ、また幕府側の足並みも揃わず、小倉城まで長州は攻め込む。そして7月20日将軍徳川家茂が死去して、戦争は継続困難となった。
12月5日、幕府側の最終兵器、一橋慶喜が将軍に就任して、フランスと連携して慶応の改革を開始した。しかし67年1月30日、慶喜びいきの孝明天皇が崩御し、14歳の睦仁親王が継いだ。慶喜のもとで改革を主導権を取り戻そうとする幕府、倒幕に動く薩長、天皇政権を作ろうとする土佐など激動の幕末が始まる。