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京都散歩👣【東山】豊臣秀吉のお墓と東山ガーデン

2022.10.15 01:30


今回は【東山】!と言っても範囲が広いですが。

元々、東山ガーデンのランチと3,500坪のオープンガーデンに行く!のがメインで歩き始めたのですが…

撮影中に秀吉のお墓を見つけちゃうもんだから…


↑画像は全てクリックすると拡大して見れます



今回はランチの予定だったので出発はのんびり。

その分人出は多かったですが、一歩内に入ると静かです。

大谷本廟スタート

東大路を東に入って1号線から渋谷通へ出て京女、今熊野へ抜ける散歩コースはちょこちょこ歩いてます。


(結局ここは何町?)


オシロイバナ



カマキリさん、カメラに登ってきました。


危ないのでこのまま草の方へ運びました。



京女(京都女子大)の南側、女坂まで出たとこで、

「東に見えるあれ、あの鳥居なに??行ってみる?」と石段へ向かいました。


さあ!今回、この豊国廟の存在を知ったのはとても興味深かったです!

この時点でなかなかの石段


え?豊臣秀吉の遺言によるお墓の場所?


【豊国廟】

豊臣秀吉の遺言により阿弥陀ヶ峰に造られたお墓。

徳川家によって破壊されたり、盗賊に金品盗まれたりしたけど、明治時代に再建される。



宮司さんに色々教えてもらいました。

「階段は523段あるけど、登り切ったら阿弥陀堂があり、ご褒美に清水寺を見下ろす眺望がありますよ!」と。


それは行かなきゃダメでしょ!

しかし、ランチの予約時間があるので先にご飯屋さんへ向かいます。


👣


【花と果樹の東山ガーデン】


ご飯は11時から。10時40分に着いたので先に山へ。


3,500坪(山全体でしょうか)あるオープンガーデン

結構な急階段を登るとジブリ感あふれる山小屋が。

なんと、こちらワンちゃんのお家だそうです🐶

雨漏り修繕中で、ワンチャンには会えませんでしたが、

60kgある大型犬×2で、

里芋など野菜を掘って食べてしまうイノシシと直接対決をするも、10針以上縫う大怪我をした事があるそうです😭


「毎年毎年イノシシに野菜、木、果物をやられる!ここも!これ見て!」とオーナーさんに色々案内してもらいました。


椅子に座ったら京都タワーまで一直線の眺め🗼




いい時間になったのでお店の方へ。

広々店内

窓側の席も落ち着くなぁ

温室みたいな室内テラス席

色んな果実のシロップや果実酒が漬け込んであって

メニューにも並んでいるそう🍹

ジャムの販売もありました。


「週替わりのランチ」

イノシシから守り抜いた里芋かしら。

「おすすめは新米!シャケなしでも美味しい!」と

ご主人が運んでくれたご飯は本当にどれも美味しかったです✨


デザートと飲み物もつきます✨

この日は紅八朔のゼリー♡


この敷地で採れたのであろう果実のジュースとのケーキセットも気になる!

こちらはまたティータイムに来ましょう〜☕️



👣

さて、豊国廟に戻ってきました!

宮司さんに挨拶をし、行ってきます!

ゆうても500段でしょ?楽勝!と思って出発しましたが…


足、膝!ガクガクでした…すいません。運動不足です。

まだ中間です。


何?天国への階段か!?


着きました!

秀吉の骨が眠る阿弥陀堂です。


そして、

清水寺を眼下に望む


秀吉はこの景色を観たかったのでしょうか。

(ここで使用している動画内のBGMはKiyomizu-deraです)




なぜ?豊国廟はこんなに静かで寂しい場所に?

正面通とは?

京都に大仏があった!

直線の区画整理が大好きな秀吉

自分を神として祀りたかった秀吉と徹底的に影響力を消したかった家康


深堀りするとめちゃくちゃ面白い!



👣

ショウゾウソウ




【豊国神社】

金ピカの秀吉公の像

後ろに見える唐門は伏見城から移築したもの。国宝です


「あの」鐘はここにあったんですね!


国家安康と書いたことで徳川家康が激怒したというあの鐘



白く囲ってありました。


豊臣家の財力の消耗が目的で家康が、秀頼に造らせた鐘なんだとか。。。


鐘楼の天井には、伏見城の女子トイレに使っていた天井絵を使用しているそうです。



かつて、奈良の大仏の3倍の大きさの大仏を造らせた秀吉。

開眼式?の前に落雷によって倒れた大仏の眉間に矢を放ったとか。


それからなんやかんやで4代目まであった大仏さま。

最後は昭和48年の3月27日の火事で焼失してしまって以降は再建されず。

釣鐘も地面に置きっぱなしだったようです。


⬆︎「大仏前」がつく交番。郵便局やお店もあります。



秀吉の影響力を徹底的に消そうとした徳川家。

元々、豊国神社は今の「新日吉神社」の辺りにあったけど、

その場所に新日吉神社や妙法院、智積院などを建て、豊国廟から、秀吉を神として祀った豊国神社、そして本願寺への道筋を分断しようとしたそうです。


当時は三十三間堂もその敷地だった方広寺は実に30万坪!

東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせたらちょうど30万坪だそうです。


なんせ下調べせずに当日のノリだけで秀吉巡りをしたので、大仏殿跡も見ずに…帰宅後に色々調べたら面白い面白い!


京都国立博物館の場所もかつては方広寺だったんですね〜。



↑正面通


五条楽園を歩いていて、「正面橋」ってなに?とか、

河原町をバスで通った時に「正面通」を通過したり、

正面ってどこに対して???とずっと思ってましたが、

この度見事解決いたしました。

豊国神社からみて「正面」に延びる通りが「正面通」でした。





豊国神社がある大和大路から東本願寺まで延びる正面通。

これも、西本願寺へ続く正面通を分断したくて、家康が東本願寺や涉成園を建てたのだとか。。。


歴史には色んな説や物語から派生したお話も色々ありますが、

なんにせよ面白いですね!!!




⬇︎この方のブログがとてもわかりやすかったです✨



⬇︎この方のもすごく勉強になりました!



楽しすぎたので、改めて豊国廟、豊国神社、方広寺、正面通、西本願寺、この辺りを巡る撮影をしたいと思います☺️




動画はこちら💁‍♀️(2022.10.15)


地図に書いてる「動画あり」の動画はこちら