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身体を車にたとえると

2018.03.09 22:54

身体を車にたとえると、人間の身体では足は、車の足回りと同じです。

いくら性能の良いエンジンを積んでいてもタイヤが駄目なら動力を伝えることはできません。


身体もそれと同じで足はとても大事な器官です。

内臓にも関係しますし、神経や血管リンパ、もちろん筋肉にも影響します。

F1のレースでもタイヤでレースの勝敗をわけると言われる程大事な部品です。

でも医療はどうでしょうか?

あまり注意が払われていないと思いませんか?


もちろん怪我をしたり傷めたりしたら問題になります。

しかし、痛みを起こさないかぎりあまり問題にはしませんよね。

特に内臓疾患に関しては足を問題にする人は殆どない。

でも、そんな大事な器官をなおざりにするから治せないものが沢山あるってことに気づくべきです。


軽自動車のまま大排気量のエンジンだけつけても速く走ることはできません。

足回りのショックやボディの剛性、タイヤにいたるまで大排気量エンジンを制御する部品がついていなくては何の意味もありません。


でもレースで最適な車を作ったとしましょう。

もの凄く性能の良い車です。

このコースを走るなら最適なセッティングをされたマシンです。

そこに私のようなど素人が乗ったら速く走らせることができますか?

無理ですよね。


最終的には人間が操作しなければ速く走らせることはできません。

これと同じように良い身体をもっていてもドライバーの意思が意識を伝って筋肉に伝達し関節を動かして確実に車に伝わってこそ速く走れる訳です。

つまり訓練された乗り手が重要になってくる訳です。

身体の性能の善し悪しはあっても意思を伝える意識(ドライバーの技量)がないとうまく乗りこなせないという訳です。

人間の身体はそれが一日や数時間で終わず死ぬまで運転し続けるということです。


細胞分裂し、新しいものに入れ替わる。

それと同じように意識によって動く身体も常に入れ替わる。

車と違うのは常に新しいものに少しずつ入れ替わっているということです。

生かすも殺すもその人の意思が関係します。

そしてその意思をどのように伝えて動かすかでも身体の性能に大きな違いがでます。

何もしないでボーっとしている人と何かをしようと目的をもった人とは違います。


そして意識には形がない。

だから厄介です。

身体は車のボディにたとえることができます。

しかし、その人の考えや意思は誰にも見えない。

車は確認できても、その中に乗っている人が見えないのと同じです。

その人が何を考えて車を操作しているのかも見えないですよね。

ただ結果として車の動きで予測はできます。


身体の動きってそういうことなんですよね。

姿勢も同じです。

姿勢は運動です。

姿勢を変えると筋肉を動かします。

つまり運動です。

スポーツとは違います。


自分にとって自然な姿勢が重力に逆らっていなければ楽に生活できて当たり前ですよね。

もし自分にとって楽だと思っている姿勢が重力に逆らった姿勢だったらしんどくなるのは当たり前です。

乗り手が悪い訳です。

それによって病気症状が出てくる訳です。


だから重力に逆らわない姿勢はどういう姿勢なのかを知っている必要はあります。

車ならアライメントです。

ただ身体を車の部品を取り替えるように変えることは出来ません。

これが機械と人間の違いです。

徐々にしか変わらない。


自分の能力を最大限引き出すことができれば軽自動車でもポルシェを抜くことは可能になってきます。

意識ってもの凄く大事です。

こんな動画がありました。