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トニーパーソンズ

2022.10.28 06:35

https://paostao.blog.fc2.com/blog-category-38.html 【第七の感覚 思考~「順序が逆」再】より

でも最後には、心もただ存在で、心の仕事をやっているだけだということが理解されます。それは完全にくつろいでいます。それはただもう一つのものです。それは実際は第七感です。五感があり、感情の第六感があり、そして第七感が考えることです。ですから、考えることは第七感です。それは敵ではありません。~トニー・パーソンズ

考えることも七番目の感覚にすぎないとパーソンズは言います。

たとえば、暑いと感じていたら、夏が過ぎていつの間にか涼しくなったね、と感じるように、考えることもそれとと同じようなものだということです。

何かが起こり、それについて感じる私たちがいますが、考えることもそれと同じで、あとから感じ取っている存在の現れです。

決して、あなたが何を、どのように考えた結果、何かが起こるというような大それたものではなく、ただあとから「考えとった」存在なのです。

ただ、起こることが起き続けます。

あなたが、「結果的にどのようになる」と考えることも、その考えが起きるだけです。

なにか大事なことを、失敗のないようにやり遂げなければ、と意気込んでいれば、あなたは考えずにいられませんね。

どうやったらいいか、あれこれ思い悩むでしょう。

そして、「こう考えていれば、必ず成功する」という秘策を誰かが教えてくれないかと期待し、探し求めることでしょう。そんなものが在るなら、なんとしても知りたい、いくら出してもいいから教えてほしいと。

しかし残念ながら、考えることにそのような力はなく、むしろ考えもまた、起きてくる感覚のようなものに過ぎません。

私たちは「努力してこそ、何かを成し遂げられる」と根深く教えこまれて来たために、起きることに対して何かできないか、せめて考えることにでも力を尽くしたいと考えるのです。

充分に考えを尽くせば、何も準備しないよりもより良い結果が得られると信じたいのです。

たとえば、あなたが就職を探している学生だとします。

そこに、千載一遇で良い条件で、理想の会社の面接が受けられることになったとしましょう。

あなたは、喜ぶとともに、どうやって失敗しないで面接をパスできるかが心配で夜も眠れなくなります。どんな準備をしておけばいいか考えると、何も手につきません。

しかし、今回は、それらを考えるのを一切やめてみましょう。

面接の準備をするという脚本のドラマを、あえて見ないで、直接面接に挑みましょう。

結果は、どのようにでも起きることが起きます。

失敗して、もっと準備をしておけば、結果が変わったかもしれない、とあれこれ考える事が起きるかもしれません。

あるいは、その会社に入って、まわりの人からどうやってあの会社には入れたのかを聞かれ、「それはね、あれを準備して、こう考えて・・・」と説明を考えだしているところかもしれません。

どちらにしても起きることが起きます。

これは、運命論とか、宿命論ではなく、あなたが今まで経験したことを振り返れば、起きることが起きてきたことは明らかでしょう。

もちろん「どうすればいいか、あれこれ考えに考え続ける」ということが、あなたに起きることであれば、それが起きるでしょう。

しかし「どうすればいいか、あれこれ考える」ことを、苦痛に感じたり、思い悩む必要はありません。それは、まったく必要のないことです。

それもまた起きることなら、気にせずとも起きるだけだからです。

考えること、思考とは、第七の感覚のようなもの。

まず事が起こり、あとからあれこれ考えているのです。その感覚を「考えとって」いるだけです。

まず考えて、それで結果が左右されるという順序だと考え、考えと出来事の因果関係を無理やり創りださないでいましょう。

そうすれば、あなたは「まず何かが起きる」のを見守っているだけでいいとわかって、気楽になれるのです。

考えなくてもあなたはいつのまにか参加しているのです。

起きることが否応なしに起きるのを、ただ見ていればいいだけです。

そうすれば、意味のない悩みや杞憂に、エネルギーを奪われる必要はないことがわかり、解放されるのです。

いままでどれだけ、未来を創りだそうともがいてきたか?

それに費やした気力は、実はどちらでも良かったという事実を知るのです。


https://ameblo.jp/innerlight-rt/entry-12496730801.html 【トニーパーソンズのリトリート・その1】より

こんにちは、ヒーラー・クレアボヤントの谷岡です。

6月にドイツで行われたトニーパーソンズのレジデンシャル(リトリート)に参加したのでその体験を綴りたいと思います。

もっと早く書きたかったのですが、帰国後体調不良で療養していたので遅くなってしまいました。

トニーパーソンズはOpen Secretという本を執筆しているいわゆる非二元・ノンデュアリティのティーチャーです。

非二元とは悟りの考え方の一つで、分離はない、全てが一つという意味です。

多くのティーチャーとは違いトニーは全ては空っぽ、何もない、私たちもいない・・・という逆からの解釈を前に出して教えています。

だから、個人的な悩みに関する質問にはいつも「あなたは存在しないのだから、病気や人間関係も存在しない」ときっぱりと答えます。

質問の答えはいつも同じなんだけど、言葉の奥に、言葉をはずしたところに何かがあって、

何かが生まれるような、何かを思い出すような感じを受けるのです。

数年前にロンドンのMeetingに参加し、今回が初めてのリトリートです。

会場はドイツ北部の田舎町Cadenbergeにあるフェニックスという素敵な施設。

ここは今回初めて利用されたそうです。

周りにはオーガニックの畑が広がっていて、オーナー曰く、海の中にある小さな島のようなところです。

9月のドイツ南部での開催に出席予定でしたが、申し込み時にこの施設のHPを見てとても気に入り、急遽旅程を6月に変更しました。

(略)

<リトリートで全体的に感じた事>

このリトリートにはさまざまな人たちが集まっていました。

大きな気づきをした人、悟りを探求している人、重篤な心の病気を抱えた方、家族の悩みが頭から離れない様子の方、ちょっとした好奇心で参加した方・・・

まるで一人一人が音符でになって全員が一つの曲を奏でている様でした。

低くて重い音や高くて軽やかな音が、時には楽しく流れるように、

時には重く重厚にそれぞれが大切な役割をもって混ざり合い美しいメロディを奏でていたように感じました。

トニーの話はぶれず、いつもきっぱりと同じこと(私たちは存在しない)を話しているので、話を聞いて納得するというよりは、言葉の向こうに何かを感じ、日が経つごとに口元に笑みをたたえる人が増えていくのです。

言葉や思考を超えたところに何かがあり、ただここに存在することに安らぎや喜びを感じるのでしょう


https://ameblo.jp/innerlight-rt/entry-12501123100.html 【トニーパーソンズのリトリート・その2】よ

こんにちは、スピリチュアルヒーラー・クレアボヤント(透視能力者)の谷岡です。

トニーのリトリートの続きです。

参加者は私以外全てヨーロッパの方々だったので、「このリトリートだけの為に遥々ドイツまで来たの?」と何人もに聞かれたのです。

寄り道して観光を楽しんだことを話すと、良かったねと返事が返ってきました。

トニーの集まりに参加する方はインテリ系が多いと聞いていました。

実際、ロンドンのミーティングに以前参加した時も周りの方はそんな感じだったのですが、

今回の参加者はかなりカジュアルな感じで、とても楽しく過ごしました。

コンマリさんの断捨離がドイツでも流行っているらしく、日本ではどうかとドイツ紳士に聞かれたので、数年前に流行ってたと答えると、「先輩~」と崇められました。

彼の奥さんは買い物依存傾向があり、最近大量に洋服を処分したそうです。

彼はというと「ぼくはまだやってないけど、そのうち妻を断捨離するよ」・・・

そしたら他の参加者が「そのうち自分もゴミ箱に捨てないとね」・・・トニーのいう「自分は存在しない」「自分という考えを捨てる」という意味なのです・・・全員爆

こんな風に和やかな感じで過ぎていきました。

そして、ある常連の男性の言葉がとても印象に残っています。

「数年前までずっと熱心に探求(悟りを求め)していたんだ。

でも、トニーに会って、もう探し求める必要がないって事がわかり、心の底からホッとしたんだ。本当の安らぎを感じたよ。」

・・・この言葉を聞いた時に鳥肌が立ち、彼から何とも形容し難い、まばゆいエネルギーを感じました。

それがきっと、“悟り”が彼を見つけた瞬間なのでしょう。

私個人に起こったことはというと・・・

最初の3日間はとても穏やかに過ぎてゆき、美しい自然との一体感や人々との繋がりを深いところで感じていました。思考もゆったりと流れていました。

しかし、最終日の夜にちょっとしたトラブルがあり、あっという間に様々な考えが頭をよぎりました。

いわゆるマインドチャッテイングが活発になったのです。

思考(ここでは余分な考えという意味で使っています)は私の頭のすぐ横に待機していたようです。

思考が私たちの苦しみになっているので、今まではそれを鎮めようと意識していましたが、

何だかそれがどうでもいい感じがして思考に親しみすら感じました。

「お帰り」と心のなかで笑いながらそれに呼びかけていました。

思考が活発になっても大丈夫ありのままでいい という感覚が深まったように思います