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琉大事件を考える(仮称)

本土では…

2018.03.09 05:06

私の母は、昭和34年に奄美から大阪へ出てきている。

大阪での勤務先は、西淀川区内にあった電機会社。

その会社には、奄美や沖縄の人も多くいた。

西淀川区は、尼崎市の隣だしね。

尼崎市には、奄美や沖縄の人が多く住んでいたしね。

尼崎市在住の沖縄人のオバチャンはね、いつも サーターアンダギーを作って持ってきていた。

そのオバチャンも、去年 亡くなったって





私の母(奄美人)は、大阪での就職に関しては、本当に恵まれた方だったと思う…


わかりにくいですが💦

サーターアンダギーやポークランチョンミート、他にも…etc.

大阪では、この写真のような沖縄の食べ物を販売する店は、わりとあったんですよね。


奄美からは、黒糖やポークランチョンミートなども、よく送られてきてた


ちなみに、このお店は

私と同級生だった子ん家でもある(^w^)

ただね、私は高見小学校&伝法小学校、此花中学校にも何ヵ月かいたからね

どこで、クラスが同じだったか

まぁ、私は学童保育にも通ってたし

その学童保育には、此花区内の小学校の子と同じだったし



つづく