ARION SPASCIFICA Ⅱ
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/arion-spascif-1.html より
SPASCIFICAの図は上下二つの正四面体を180度ずらして重ね、六芒星を顕現させたものです。まだ、私たちの知らない原理なので、完全ではないと思いますが、下記の図を参考にしてください。
平面図にすると上向きの三角形が右回り、下向きの三角形が左回りで、右回りで上昇する螺旋状のエネルギーと左回りで下降するエネルギーとが発生します。これが重なると、アワの歌とDNAの二重螺旋構造につながります。そして、コイル回り磁界の流れの考え方を導入し、磁力とN極S極を考え合わせると、回転により熱を持ち、炎が発生し、発光していくと考えられますが、磁界の4つのリングが発生します。これは、縦横に二つの無限のマークが顕現することになります。また、図では省略しましたが、更に温度が高まると、黄金太陽と同じように中心線の十字が白光すると考えられます。したがって、龍が教えてくれた十と○の組み合わせは基本的かつ根本的な原理を示す印なのです。
以下、ARIONのメッセージを解読していきます。
さて スパスシフィカは浮上の用意 既に終わり
この原理は上昇するエネルギーと下降するエネルギーの加減によって、浮上することができるようです。
満天の空の下 大なる十字の下に小なる十字の回天を始めようとしている
大なる十字は、はくちょう座の中心部の別名「北十字星(Northern Cross、ノーザンクロス)のことです。龍が白鳥のように白光する十字を見せてくれた理由です。小なる十字とは、白光したの中心線の十字のことです。回転をわざわざ回天としたのは、天=テン、十(字)を強調したと思われます。SPASCIFICAも十文字です。
霊的なる者 スパスシフィカは 大洋にありて 真珠の光
光であるがゆえに霊的なスパスシフィカは太陽の下で七色に輝きます。(昨日の図のプリズムの原理です。)
銀河の知恵 ことごとく光に集まりて 第七霊線として額に届く
この光は銀河の智慧を吸収して、額に○十の印のあるものに届けます。「第七霊線」とは、歌にもなっているSeven’s Heaven(第7天国)と呼ばれる覚醒者たちの神霊界の智慧のことと思われます。
円還の愛、スパスシフィカは認証終了。
磁気の流れの円環を愛だと言っています。○十の印が認証の印です。
「スパスシフィカより熱磁気送信開始、不知火の火は点火された」
磁気という言葉が出てきました。不知火は八代海(やつしろかい)に現れる蜃気楼のことで、神気楼と掛けています。
炎の熱さと暖かさの故に、回天を始める。
これは図で説明した部分です。十字を軸とした回転です。
燃えよ力、燃えよ愛。
スパスシフィカは太古よりの言い伝え。
スパスシフィカは炎と炎の円還運動。
そして大なる十字の下に、小なる十字の回転を始めた。
スパスシフィカは既存の円鎖を絶ち、
全く新しい愛の化身としての円還を起こすだろう。
黄金太陽の覚醒への行法との関わりの述べています。「既存の円鎖を絶ち」は、過去の因縁を断つという意味です。「全く新しい愛の化身としての円還を起こすだろう。」覚醒により人間のエネルギーは全て愛、慈悲と化します。これらが仏陀やイエスに起こったことです。そして、彼らが起こしたことは、新しい愛の円環を作り出す試みでした。我々人間にもその可能性があると言明しています。
スパスシフィカはSPASCIFICAで綴り、
一つ一つの言葉を3つずつ揃え、
更に、それをバラバラにして言葉を形成すると
あなたがたにも見えるものがあるだろう。
さて、新たに解読ができましたが、これを言うべきかどうか躊躇しましたが、そのままお伝えしましょう。SPASCIFICAより9つの単語を音節から素直に抽出しました。
space pass fix certification star χ six ship catch
文章:
Fix “The Six Star” and catch the pass of certification for space ship X.
「六芒星を固定し、救世のための宇宙船の乗船許可証をつかみなさい。」
注意:(caiは大文字がX=キリストを意味しますが、救世ととりました。)
ARIONには、別にこのようなメッセージがあります。
我々宇宙神霊団はオリオン星系M42に新しい太陽系を用意している。地球からの転生魂を受け入れる余地のある太陽系だが、全ての人の霊魂を受け入れる余地はない。M42に転生できる霊魂は限られているのだ。その理由は今は話せない。了解してもらいたい。
我々も地球破滅の方向には、決して進んでほしくはないが、最後の手段として用意しているのが、この新しい太陽系なのだ。しかし、この太陽系が成熟して人類という形で生命発生できるまで、まだまだ気の遠くなるような時間が必要なので、極力、地球存続の方向へと努力してもらいたい。M42へ転生できない霊魂は、それまでの成果を無にしなくてはならない。魂にとって、非常に辛いことが起きるのだ。
和尚ラジニーシも進化した魂がどこか他の星で新しい世界を創ることを示唆するようなことを言っていました。それを宇宙神霊がさらに具体的に補足していることになります。
しかしながら、それは最後の手段だと言っていますので、我々は御霊磨きに励むべきであろうと思います。額に○十の印とは日月神示でも触れていますし、聖書でも神の印と記述された箇所があります。これは、物理的な印を言っているのではなく、0から10までの、神を直感で感じることができることを指します。10から0に減じていく考え方もあり、フトマニは両方を表すので数霊22とされるのです。0は空であり○で、霊、不可視なものを意味しています。
宇宙船ってUFOのことかと思われると思いますが、宇宙人の操縦する物質的な乗り物ではなく、物質的な可視化できるものと霊的な目でみることのできないものをつなぐ架け橋のような仕組みですから、極めて霊的なものです。創造の秘密は神々の想像にあります。
卍について
卍(万字)ですが、閉じると◇十になりますが、そのまま中心を持ち上げると正四角錐になり、一箇所切って、組み立てると正四面体になります。また、逆卍というのもあり、これは逆回転(左回り)で、卍は右回転を意味していますら、これらの意味もARIONは加味していると思われます。上の三角形、下の三角形のように。
ARION 黄金太陽
さて、昨日の図形をみて、黄金三角の方は、図形が少し異なると思ますので、改めて、解読を試みたいと思います。もう少し詳しくとのリクエストも頂きました。手元にあるARIONのメッセージは、次のものです。
卍と十字の組み合わせは立体で考えよ
金色の三角はその中に四角い底辺をもつ
卍と十字から正八面体~そしてこれはプラトン立体に繋がる
上昇三角は白く光り、下降三角は黄泉の光り…水平と垂直の運動を
これらは作図について言っているので、次の図を見てください
裏と表に対となる火炎を持つ。
最後の黄金の玉は上下の三角形の光り炎が融合したものであるという意味です。
黄金太陽は、その交わせる光をクロスとし、
卍に十字を掛け合わせ、炎の祭典、彼岸の彼方…彼岸への接岸
その玉を黄金太陽と呼び、水平と垂直の運動をしていて、十字、縦と横の中心軸は、高温であるがゆえに発光しています。これは、昨日、龍の教えてくれた図に符合しています。黄金太陽は炎の祭典であり、彼岸の彼方、彼岸への接岸すなわち覚醒への瞑想手段になり得ることをほのめかしています。
上向き三角は、額よりやや上に掲げて光りを仰ぎ見よ…それでいい
手の中に黄金太陽を想像し、それが額よりやや上に掲げて光を仰ぎみろと言っています。
「ようやく曙光が見えたと思ったら、
嵐の前触れである大きな黒雲があるだろう。
しかし、勇気ある者たちよ、怯んではならない
風の力によっても、光りを消すことは出来ないからだ。
光りを消すことの出来るのは、ただ一つ。
それは、光りだけなのだから」
額よりやや上に光が感じられるようになったら、自分の中の暗い想念の黒雲を感じるだろう。それが嵐のようにあなたの心をかき乱したとしても、風の力では消えることがないのだから、怯んではならない。その光を消すことができるのは、本物の光だけだと先にありうることを示唆しています。
咆哮する乱心の獅子は捨ておいて、
あなたがたは、自分の血で書き留めねばならない。
心は何を泣き叫ぼうとも、それは捨てて、自分の血(→智)で自己同化することなく意識の光をあてろと言っています。それらは、記憶することではなく、ただ、鏡のような智の光で消え去ります。
未来は過去に還元され、過去は未来に向けて収斂(しゅうれん)する。
すると、未来と過去がなくなる瞬間、今ここにあるという瞬間が訪れます。
光の子らは、瞬きの間に愛を確認するだろう。
その一瞬、あなた方は、自分の中の愛の存在を確認するだろう。
闇の者によって打たれた鳥は、この愛によって甦る。
甦るということは、黄泉に行き、そして戻ることだ。
闇の存在によって、自我の籠に封じ込められていたあなたの魂は、その愛によって蘇る。それは、自我の死を経て、蘇る。
黄泉から戻る時に振り返ってはならない。
なぜならば、黄泉の国には後ろしか無いからだ。
自我の死が起こった時、決して振り返ってはいけない。何かの思考にとらわれて、自己同化してはいけない。起こるがままに任せなさい。
大空には鷲が舞い、
地上には狼が走る。
海には人魚が歌い、星を愛でる。
目を閉じていると様々な幻影をみるかもしれない。霊界を覗き見ることもあるかもしれない。
目を開けて見えるものと、
目を閉じて見えるものとを、混同してはならない。
しかし、この二つのものは一つのものの陰であることも
忘れてはならない。
そして、目を開けば、現世がある。これらを混同してはならないが、それらは存在全体の一なるものの影であることも忘れてはならない。