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扉を探して!「からだの声翻訳家®」鶴木マキ

フィルターに徹する

2018.03.09 09:51

私の習うリーディングは

目をつぶり、残像が消えた後に質問に対して

みえるビジョンから意味を読み取るもの。

自己判断ではなく、

ビジョンをみせる相手の気持ちと

同化することで正しい意味を解釈していくもの。

その解釈自体が難しく、

正しく出来ていないと思っているので、

私たちはグループレッスンを通して練習をする。

同じ気持ちで習っている者同士、

練習するということは

大変励まされること。

いつも自分の弱点を発見でき改めようという気持ちになる。

ビジョンとの対話の中で私たちが瞬時に思ったことがビジョンには通じているのではなかろうか?という気持ちに近頃なってきている。

と言うのは、

私自身が頭の中で自分に意識させるためにみえるビジョンについて思うことを言語化して意識するより以前に、思った瞬間にはもうビジョンをみせている相手には通じているから、私がそれを言語化して考え質問する頃には違うなら消え、合っていればビションが動いて強調してくるのではないだろうか

と言うことだ。

相手は私以上に私自身を知り尽くしているから、私たちにもそれに近づきなさいと言っているのではないだろうか?

なかなか人がそんなところまでいくと言うことは難しいが、そういう気持ちでみせて貰わないことには相手に対して失礼になるのではないか?

そんな風に思う近頃だ。

それと同時に、

もっと自分に素直になることが大切なのかもしれない。

みえたものに対する感覚、それをみて湧いた感情というのだろうか

そういうものはストレートで、思考するより先に感じとるもののような気がする。

言語化がどうしても後になるので、その一瞬の感情を忘れがち。

あれ、今なんて思ったんだっけ、

と言うことがビジョンをみていて起こるのだが、

実はそれが重要であったりする。

それをそのままビジョンに質問したらもしかしたらビジョンは広がっていくのではなかろうか?


そんな気持ちになる近頃の私だ。

思考に阻まれてしまうのは、

そこに私がいるからであり、

それは普通の場合当たり前のことだが、

リーディングの時だけは

質問に対しての

答えを得るための

フィルターにならなければならない。

質問者とビジョンとをつなぐ役割が

リーディングを取得する意味であるのだと、

つくづく思う近頃だ。

そこにエゴがあっては解釈できないと、

本当によくわかるようになってきたと感じている。(まだまだ足りないが)