時の概念
時の概念はとても大事です。
わたしは ティーリッヒの「永遠の今」の影響を受けました。
火の鳥伝説も 心を揺さぶるものでした。
若き日 ニヒリストであった私は ニーチェがツァラトウストラとして語った「死後の世界はない」という言葉に安堵の息をつきました。然し霊魂不滅(エネルギー不滅の法則)とも知るに至りました。
中学生の頃、私は生きる意味を探し続けても得られない故、ニヒリズムの淵に落ち込んでしまいました。
生きることも死ぬこともできない必死のあがきの中で 「生きる意味を問う」ことを放棄し 生かされているものとして 創造主の意志に沿うものとして「生き方を問われるものになろう」と決め 啓示宗教であるキリスト教に掛けて人生を歩み続けました。
しかし、キリスト教の時の概念が直線であることに疑問を持ってしまいました。
聖書改ざん説を読んだこともありますが イエスを殺そうとしたアウグスティヌスに原因があるとは驚きです。
(下のお亡くなりになったマイミク。まんだら。さんの記事です)世界の前と後ろを切り離すとはどんな意味でしょう?
ローマ帝国だけが世界だったからでしょうか?
異次元のものをこの世にもたらす役割とは啓示を受ける祭司の役割だということでしょうか?
「円環の生命観」とはあの世にこの世が包含されているということでしょうか?
神道はあの世(あめ)とこの世(うつしよ)を分けますが「ま」を至るところに見出しあの世とこの世を一つとして考えていたのでしょうか?どなたかお考えを聞かせてください。
まんだらやさんの日記
密教タロット:1手品師【円環の世界か直線の世界か?】
手品師は机の上に自分の道具を広げて、これから何かをしようと考えています。
左手の棒(杖) は、より高い世界から流れてくる情報の受信機。帽子の形は、無限のマークです。
キリスト教の 世界では、アウグスティヌスが世界の前と後ろを切り離し、単一の宇宙像を作りました。
そのため に時間は直線的なものとなりました。
個人の主体は絶対であるという考え方は、直線時間の思想 から生まれました。
大きな楕円を、知覚(視野)を狭めて切り取ると、その部分はあたかも直線のように見えます。
連鎖する円環の生命観である、ヒンドゥー教や密教的な世界観では、死は転生の始まりになります。
手品師は、異次元からもたらしたものを、この世にもたらす商人です。
その前のカードの愚者が、 探究者であれば、入口の内側に居る存在です。
修験道の山伏も、都から日本中を回り、マレビトとして村の人々に迎えられました。
彼は情報提 供者でもあります。
修験者は山師と呼ばれ、一発当てるために山に登っていたのです。
空海は、唐に行く渡航費用をこれで賄ったに相違ありません。
愚者が、探究者として金(貴重なもの)を掘り当てる錬金術師の一つの役割ならば、それを火にか けて製錬する役割が手品師の仕事です。
そして私のソウルカードが、この手品師です。
チベット・ラダックという僻地で発見したものを、日本の人々に伝える役割をしています。
資本主義が崩壊するといわれている昨今、新しいパラダイムをどこからか見つけてきたいですね!!