帝国の時代34-ルクセンブルク危機
2022.10.22 11:19
ドイツ連邦再編は「ルクセンブルク危機」という思わぬ問題を引き起こした。ルクセンブルクは当時ベルギー独立の余波を受けて、大公国として1839年に独立し、ドイツ連邦の一員だった。ところがビスマルクは、北ドイツ連邦承認の見返りとして、勝手にフランスに売却しようとしていたのだ。
ところが北ドイツ連邦の結成は思いのほか手間取り、1866年9月からビスマルクは静養に出かけてこの交渉はストップした。フランスはオランダと直接交渉に乗り出して、交渉妥結寸前だったが、ごたごたしたのでこの秘密交渉がルクセンブルクの新聞にスッパ抜かれた。
ドイツの世論は激高して驚いたビスマルクは、ルクセンブルク売却をストップさせる。今度はフランスが激高し、普仏戦争の直前まで行ってしまった。これにはさすがにイギリスとロシアがまったをかけて、1867年5月11日にロンドン条約が調印された。そしてルクセンブルクの永世中立が決められたのだ。
ルクセンブルクはオランダと同君連合を組み、プロイセンは軍隊を撤退し、ルクセンブルクは非武装となり要塞は撤去された。残念ながらルクセンブルクは両大戦でドイツが武力占領したため、大戦後はNATOに加盟して軍備ももったが、憲法で中立国とされて、国際都市として発展している、学ぶことは大である。