日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第三章 月夜の足跡 1
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第三章 月夜の足跡 1
平木の死は、すぐに東京に伝えらえた。嵯峨朝彦は、すぐに京都に向かうといったが、荒川と樋口が止めた。その現場に北朝鮮のテロリストや松原の部下が待ち構え、罠を仕掛けている可能性があるからだ。菊池綾子が向かった。この二人は、少なくとも北朝鮮の人々に、そして、松原の率いる左翼過激派にも面が割れていないからである、京都ではすでに、嵯峨朝彦と今田陽子が尾行されており、また平木は殺された。樋口は福岡で大友佳彦と遭遇している。そのように考えると、誰もいないというのが現状である。荒川という選択肢もあったが、菊池の方が夜の女性たちのネットワークを使える。たまたま、祇園に菊池綾子の面倒を見たホステスがいるということから、菊池が向かうことになったのだ。
「綾子姐さん」
菊池は、バー右府に向かう前に、先に祇園の馴染みの店に向かった。元々は、太田寅正が関西に遠征した時に使っている店で、銀龍組の兄弟分の虎徹会の経営している店である。
「桃子姐さん。お久しぶり」
「今日は寅政さんは来てないの」
「ちょっとね」
菊池はにっこり笑うと、首を少し傾げた。これで、寅正の話はしないという合図である。
「倶楽部幾松」は、この祇園の中でも高級クラブで知られる。それだけに北朝鮮のテロリストや、わけのわからないチンピラは入ってくることはできない。大店の社長や、組長クラス、政治家でも京都府会議員のクラスでなければ入ってこれないようなクラブであり、ホステスもしっかりしている。もちろん、ホステスのほとんどが虎徹会の構成員と何らかの関係がある女性であり、店長といわれる黒服は、端正な顔立ちで堅気に見えても、暴力団の組員であることは間違いがない。それだけに、ここに来れば、チンピラなどに盗聴されたり、あるいはなにか邪魔をされるようなことはない。ある意味で虎徹会の組の本部で話し合っているようなものだ。
「今回はどうして。綾子姐さんが直々に来るなんて」
「いや、旦那の入れ込んだ話でね」
「ああ、あっちね」
相原桃子は右手の人差し指を右に振るとちょっと振って見せた。綾子は何も言わずに頷くと、目の前の水割りを飲んだ。
「右府の平木さんの事ね」
「そう。なにか知っていることある」
お互いがお互いのことをよく知っている桃子と綾子である。
相原桃子は、虎徹会の会長西園寺公一の愛人だ。菊池綾子が、太田寅正に世話になってすぐ、太田寅正は綾子を連れて京都に入った。なにか取引があったらしい。しかし、さすがに組のかんけいに綾子を連れてゆくわけにはいかない寅正は、綾子を公一の愛人の相原桃子に預けたのだ。相原桃子は、クラブの事などだけではなく、広域暴力団の組長の愛人という立場を、この時に綾子に教えていたのである。
その後、今度は西園寺が東京にやってきた。関西において暴力団の抗争があった時に、桃子を避難させに来たのである。その時に、桃子をかくまったのが綾子であった。当然に、相原桃子を狙う者も少なくなかったが、綾子はしっかりと桃子を守った。愛人といっても実はこの二人は同い年であり、生活の境遇もよく似ていた。それだけに何か通じるものがあったのかもしれない。桃子を高校の同級生の暴走族であったマサに会わせ、そしてマサのバイクで逃がしたりもしたのである。桃子も西園寺が危機であったかもしれないのに、そのようにバイクを乗り回して楽し衣生活をしていたのである。
綾子からすれば、桃子は様々なことを教えてくれた姉であり先輩である。しかし、桃子からすれば綾子は、命の恩人であり大事な遊び友達であった。
「八条のバー紅花。そこの金日浩、日本名は岩村浩一が平木さんを殺した犯人よ」
「なんで」
「京都は、複雑だからね。もともと保守といわれる人が、なぜか共産主義者になっていたりするのよ。これはね、色々な理由があるんだけど、一つには、京都が本当の都なのに、東京に首都を取られたというようなプライドがあるといわれているのよ。そこに、本物の共産主義者が入ってきてしまったりするの。」
「へえ。何だか難しい感じね」
綾子は、あまり勉強は得意な方ではないので、共産主義などといわれても何のことだかわからなかった。
「それに、今では同和といわれる人々も、昔は天皇家の使用人であったりしたから、冠位を持っていたり、皇室の秘密をたくさん持っていたりという感じなの。でも、そこに外国人が入ってきて、戦後はかなり複雑な状況になってしまっているのよ。東京みたいに単純じゃないからね」
「そうなんだ」
「平木さんは、そういう京都を知りすぎていたから、というか、平木さん自身が昔の皇室の汚い部分を請け負ってきた家柄だからね。そういう難しいことはよくわかっていると思うの。だから、ある意味で左翼とか北朝鮮とか言っていても、自分は大丈夫と思ってしまったんじゃないかな」
相原桃子も、少し高めのブランデーを自分のグラスに注いだ。
「でも平木さんの仇はとらなきゃ」
綾子はそういった。
「止めておきなさい。そういうことはこっちに任せておけばいいの」
「そういうわけにはいかないわ」
「だって、綾子姐さん一人なら、今でも金日浩の事なんかわからないでしょ。こっちは平木さんの死に方だけですべてわかってしまうし、すでにうちの組の人々が、ずっと紅花を監視しているのよ」
「なんで監視してるの」
「そりゃそうでしょ」
あいはらももこは、ブランデーに口をつけた。店長が近くにいることを確認し、そして、ほかに客がいないことをしっかりと見たのちに、口を開いた。
「だって、金日浩が単独で平木を殺すはずがないじゃないの」
「どういうこと」
「要するに黒幕がいるということ。それが東京の陳文敏とか、大沢三郎ではなく、京都にいる誰か、それも天皇を殺すことに同意している人物がいるということなのよ。」
「日本人なのに」
声に出す代わりに、桃子は軽く頷いた。
「どうしてよ」
「そりゃそうでしょう。世の中にはいろんな考え方の人がいるの。私たちみたいに、暴力団が正義の味方だと思っている人もいるからね。でもね、京都には、東京の政府には反対けど天皇陛下には忠誠を誓うという人は少なくないの。出もそのような人の中にまぎれて、何をするかわからない人がいるから困るのよ」
「じゃあ、どうすればよいの」
「綾子姐さんが、ちゃんと寅正組長に、そして他の人に報告できるようにしてあげる。私も綾子姐さんに命を助けてもらった借りがあるから、うちの人もちゃんとやるよ。」
「とりあえず、平木さんの店を見に行っていい」
「店長」
桃子は、店長を呼んだ。店長と呼ばれた男、虎徹会の幹部の山科悟郎が、部下を数名連れてきた。
「私、山科悟郎がご案内します。ただし、北朝鮮の連中が見張っているはずですので車からは降りないようにしてください。」
綾子は頷いた。
部下に運転させた車は、柳馬場通りを北上した。そしてバー右府の前でいきなり運転手が煙草を投げ捨てた。
「なんだお前ら」
まだ非常線が貼られているバー右府の前に立っていた警察官が、すぐに近寄ってきた。山科は、窓を開けると車から降りずに話をした。その時に、後ろの座席の窓も開けたのである。綾子は、バーの写真を社内から移すことができた。一方、若者たちは、四方八方にカメラを向けて、ずっと写真を撮っていた。
もともと平木がこの場所ということをえらんだばしょだけあって、この右府を監視するには、数か所のビルの屋上しかない。しかし、その屋上には、監視用カメラと思われるモノを持った人が確認できた。
「まあ、これからはマナーよく走りまっせ」
写真が撮り終わった感じの綾子を見ると、山科はそのままアクセルを踏んで右府の前をと過ぎ去った。