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七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

163. 車あれこれ - 2022.10.23

2022.10.23 00:43

 

ブロ友のかたがお車のことを書かれていたので、ちょっと自分も書いてみようと思う。

 

高校生のころ、地元の地味な都立の学校に通っていた。

のんびりしており、オートバイや車の免許も自由だった。

家計に余裕があれば、部活してるのに免許もっているのもいれば、帰宅部でアルバイトの子は自分で貯めたお金で免許を持っていた。


クラスメイトの女子が、試験場に学科だけの試験いくだけで身分証がわりになるから、あたし別に普段は乗らないけど、と原付の免許をみせてくれた。勉強ができる子で、大学も推薦で、その後に米国に留学していた。

 

高3になって部活を早めに引退し、400ccのバイクで学校の近くの団地に停めてバイク通学する猛者グループもいた。地味な学校の中では少数派であったが、目立った。

20歳の同窓会で会うと、彼らは浪人したが(バイクを売って予備校に通った、といってたのがいて印象に残っている)、みんなそれなりの大学の大学生になっていた。

 

雰囲気的には、受験があるので、そういうオートバイ派とは距離をおく方が大多数だったけど、免許とること自体は珍しくはないという感じ(推薦ではやく進路が決まったら特に)。

わたしは当時は、だんぜん自転車派だった。オートバイは、大きな重そうな機械で音も大きくて、なんか遠い違う世界。

 

わたしは部活の水泳とは別に、マウンテンバイクタイプの自転車で走るのが好きで、夏休みに一人で輪行して福島県の奥只見まで電車で行って、お昼過ぎに田舎の山の中の駅で自転車を組んで、午後そのまま栃尾あたりを経由して新潟の親戚宅まで行ったりした。

学校のこと以外での、高3夏の思い出。

 

水泳部で3年の夏まで活動して、秋になって勉強しなきゃと思っていたけど、何か自分がどうしたいかわからずもんもんとしていた。

何のためかわからないけど、部活引退してから、土日だけ近所の商店街の古い喫茶店で、ウェイターのバイトを夜までして、2代目のマスターから、あがる前に夕ご飯を頂いた。土曜は夕方からで、日曜は昼過ぎからいっていた。

土日の夜に両親と一緒にいたくなかった。はやく一人暮らししたかった。

 

そんな高3の秋だった。

わたしには同じクラスに、男子の友人 Xがいて彼は美術部で(彼は大学も美術系に進学)、Xは、3年になって車の免許をとっていた。

Xがいうには、今日は学校に借りてきたレンタカーできているので(?!)、同じ美術部の後輩の Aちゃんとこの後(土曜なので)ドライブにいきたいが、自分が誘うと断るので、わたし(MW)が誘ってほしいと相談された。


わたしは、じゃあ俺、あの子の教室にいってくるわって、一人で、何かよくわからないなっておもいながら、そのまま1つ下の学年の2年生がいる上の階へあがる。

すぐに廊下で Aにでくわす。

各学年で9クラスくらいあって休み時間で混雑しているのに、どうしてそういうことが起こるのか、よくわからないナイスタイミングだった。


美術部の Aのことは知っていた。

彼女が新入生のときの体験入部で、水泳部にはなしをききにきたことがあり、背が高かったので目立った。

結局、水泳部には入らなかったのに(美術部なので)、ごくまれに学内ですれ違うと会釈してくれるので、ずっと覚えていた。

あと、わたしが学校の何かの課題で書いた作文を、国語の教師が学校内に掲示したことがあって、図書室で偶然会っての立ち話しで、そのことにふれてくれたり(その時点では少し前のはなしで、よく覚えているなと感心した)、大人びた子だった。

 

”Aちゃん?”

"MW先輩"

"Xが車の免許取って、車借りてきているから、放課後に Aちゃんとドライブ行きたいって"

"MW先輩も一緒ですか?"

"いや、シートが2つしかない車だっていってた"

"行きません"

 

ということで、そりゃそうだよなと思って、Xとわたしの2人でドライブにいくことになった。

Xは、Aちゃんはシャイだから仕方ないよね、と真顔でいっていた。

わたしは自転車を学校において、明日のうちに歩いてとりにこないと、って思ったことを覚えている。


Xは、教職員や用務のための駐車場に、レンタカーしてきた車を堂々ととめていた。海に行こうとかいって、土曜の放課後、学校の帰りにそのままブロロロって、出発。

いま思うと、ほんとうにむちゃくちゃだった。

でもバイク通学の生徒に対してもそうだったけど、学校は、誰も、何も言わない。時代でしょうか。

 

海と言っても東京なので、波止場というかコンテナ船とかのとまるところだった。

ホンダのビートという2シーターのオープンカーで、色は、黄色だった。なんかおもちゃみたいな可愛い車だった。学校からの走り出しからは、ずっと幌を開けていた。

 

季節は、たしか 11月で、晴れていればオープンカーの幌をあけて気持ちの良い季節かもしれないけど、その日はどんより曇ってちょっと寒くて、あれ冬がきたのかなっていう、幌を開けると、やせがまん?みたいな天気だった。

レンタカー返却の前、ガソリンスタンドの店員に、寒くないのってニヤニヤされたのも、よく覚えている。


曇った土曜の夕方の、誰もいないコンテナ船のための波止場。

"MWも運転したら?"

"おれ免許ないよ、バイクでさえ免許ないから”

"運転簡単だよ、教えてあげるよ”


本当に簡単だった。

MT車で、言われた通り、クラッチ切ってギアを入れて、アクセルをふめばはしるし、ハンドルをまわせば曲がるし、片足でクラッチ切ってもう片足でブレーキをふめば、とまる。

少しの間のつもりが、Xがいうがままに(右だのシフト上げてだのと)、あたりが暗くなるまで波止場をぐるぐるゆっくり運転して、楽しかった。


その後、わたしは高校を卒業し、東京からみた地方の大学に進学した。 

  

大学を出て社会人になる頃、すでにXは車のデザイナーになる修業をするからといって、ヨーロッパ某国にいた。

一時帰国していたとき、地方の大学生のわたしに会いにきてくれ、こんどは私の車に乗ってもらい、山の峠道にドライブにいった。

いまのような FBも無いころで、その後は、音信不通になってしまった。

 

わたし自身の車のはなしは、いまの車が 13年目に突入して 12万kmですってだけのつもりが、ずいぶん手前で長くなりました💦

私は大学で、趣味が半分、生活の必要が半分で、車だけでなくて 250 ccのバイクにも乗るようになりました。

続きは(あるかわかりませんがあるとしても)また今度にします...