八雲たつ
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8760165?categoryIds=5803418 【神道における神様の一柱であるスサノオノミコトとは?】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8760152?categoryIds=5803418 【祇園祭と八坂神社】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8253114?categoryIds=5803418 【疫病と岩戸隠れ】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6913061?categoryIds=5803418 【スサノオ】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6979810?categoryIds=5803418【スサノオ・シュメール?】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6930111?categoryIds=5803418 【スサノオの剣・お神酒】
https://note.com/ichinomiyahikawa/n/nbfeaea1c514b 【~第5回~ 「八雲紋の話」】より
(今回はスサノオノミコトが高天原から日本に降りてきてからのお話です。)
スサノオノミコトは、「天岩戸」や「八岐大蛇退治」など有名な神話に登場する神様として全国でその名を知られておりますが、
武蔵一宮氷川神社は全国の一宮の中で唯一、スサノオノミコトを主祭神にしております。
その氷川神社の社紋(神紋)はスサノオノミコトの神話に由来する「八雲紋」です。
この「八雲」は、八岐大蛇を退治した後、スサノオノミコトがイナダヒメ(稲田姫)とご結婚された時に、出雲の根之堅洲国にある須賀にて詠んだ
御歌「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠み(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」(『古事記』上つ巻・『日本書紀』巻第一神代上第八段)に由来しております。
この八雲紋は大宮の地のみならず、世界との道筋も護ってきました。昭和5年(1930)に誕生した「日本郵船 氷川丸」です。
30年間に亘り、日本とアメリカを繋ぐ船として太平洋を254回横断し、現在は横浜の山下公園に係留されています。
この氷川丸は、その名の通り氷川神社から名付けられた船です。
そのため、船内の神棚には氷川神社の御祭神が祀られ、さらに、船内の装飾には氷川神社の神紋「八雲」が用いられています。
実は、スサノオノミコトが詠まれた御歌は、日本で一番最初に詠まれた和歌でもあります。
スサノオノミコトは『言葉に想いを込めて歌うこと』を私たちに授けてくださった神様でもあるのです。
https://www.hon-momoyamado.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E7%81%AB%E5%B1%B1%E3%81%A8%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98-%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89/%E7%B8%84%E6%96%87%E3%81%AE%E5%9C%B0%E9%9C%8A/ 【『縄文の地霊』 縄文文化と火山信仰をむすぶ画期的論考】より
火山の神スサノオは縄文時代に誕生した
タイトルだけ見ると、火山や古事記神話に関係する本にはみえませんが、実は、火山についての論考が本書全体を貫くテーマとなっています。縄文時代の人たちの精神文化において、最も重要なものは「火」をめぐる祭祀であり、その根幹にあるのは火山信仰だというのが著者のスタンスであるからです。
本文、参考文献をみるかぎり、著者は寺田寅彦の火山神話論「神話と地球物理学」を読んでいる気配はありません。ワノフスキーの『火山と太陽』にも目を通してはいないようですが、それもそのはず、この本は一九九二年、今から四半世紀まえ、つまり、インターネットによる文献検索など、まだ夢物語であった時代に書かれているからです。
西宮氏は大学や研究組織に属していない在野の研究者。ほぼ独力で、古事記神話のなかから火山神話を探り当てたのだとおもいます。それは、ワノフスキーや寺田寅彦の火山神話論と共通点があります。
スサノオを火山神として、議論を展開していることです。
「スサノヲこそまさに噴煙をあげて鳴動する火山噴火そのものであった」
『縄文の地霊』におけるスサノオ論において、西宮氏はまず、このような宣言を掲げ、古事記神話のなかに火山の記憶を探っていきます。
スサノヲが天に昇るさまは、まさに噴火の状況をあらわしているのである。スサノヲの昇天に際して、山や川はことごとく動(とよ)み、国土は皆揺れたという。
(アマテラスとの)対決の結果、スサノヲはおのれが勝ったと誇り、国土を荒らしまわりあげくの果てはアマテラスさえ殺してしまう。これは火山のすさまじい噴火が周辺の大地を荒廃せしめ、太陽を噴煙の陰に隠してその光を奪ってしまうさまをあらわしている。
あるいは別の記述によれば、スサノヲが激しく泣くことによって青山を枯れ山にしてしまうとあるが、これは火山の噴火によって噴出した溶岩や火山灰などが青山をまたたくまに枯れ山にしてしまうさまをあらわしている。
西宮氏が古事記神話を読む目的は、縄文時代の思考を探ることなので、古事記に描かれたスサノオが父イザナギの言うことを聞かず、姉アマテラスにも逆らう「駄々っ子」のようであることに注目します。
なぜなら、反抗的な子どものようなスサノオは、新しい時代の文化に抵抗しようとする土着文化のシンボルであり、「スサノヲがきわめて古い民族の記憶に根差した神であることを示唆している」可能性があるからです。
スサノオという神のルーツが縄文時代にあるのならば、「その実態は火山の噴火であり、そしてそれは一方では激しく初々しい強烈な生命力の象徴でもあった」というアイデアが示されています。
著者の西宮紘氏は、最近はあまり目にしなくなった在野の思想家とでもいうべき人のようです。本書のほかに、弘法大師空海についての著作などがあり、雑誌「現代思想」でもいくつかの論文を発表しています。
著者略歴によると、京都大学理学部物理学科の卒業だというので、理系出身の思想家ということになります。
ヤマタノオロチは溶岩流である
西宮氏の議論で注目すべきは、ヤマタノオロチを溶岩流とみていることです。
寺田寅彦をはじめ、「ヤマタノオロチ=溶岩」説を唱えた人はいますが、その思い付きをメモした程度にとどまっています。
それに対して、西宮氏は、火の神カグツチとの比較をとおして、ヤマタノオロチのなかにある火山的性格を、数学的な証明のような手ぎわで、明らかにしようとしています。古事記にかかれたオロチ、カグツチの神話を、十二の場面に分解して、比較対照しているのです。
さすが、京都大学理学部!
その証明が成功しているのかどうか、私大文系出身の当サイトの筆者にはチンプンカンプンですが、問題設定と結論だけでも紹介してみます。
スサノヲが火山の噴火そのものの神であり、カグツチが火の神であるならば、火という媒介項を通じて、ある種の儀式をその原像として想定することが可能であるはずである。
そのために、私はスサノヲに関してはヤマタノヲロチ神話を、カグツチに関しては前章で述べたカグツチの出生と殺害の神話を取りあげてみる。
なぜならば、この二つの神話は、その記述においてきわめて類似した構造を持っているからである。 (『縄文の地霊』)
オロチとカグツチの類似した構造とは何なのか。
① 両者は剣によって、切断され殺されていること。オロチはスサノオによって、カグツチは父親のイザナギによって。
② ふたつの神話はともに「赤」の世界を描いていること。カグツチは火の神であり、切断された体から流れ出した「血」からは、いくつかの神が出現。オロチの目は、アカカガチ(ホオズキ)の実のように赤く、はっきりとは書かれていないが、切断された巨体からながれた大量の血が連想される。
③ 両者の記述には、五穀、鉱物資源の出現という豊穣神話が盛り込まれていること。オオゲツヒメのことなど。
④ 出雲との深いかかわりが示されていること。カグツチによって死んだイザナミの墓所は出雲だとされ、スサノオは出雲に降り立ち、ヤマタノオロチと対決する。
西宮氏によると、オロチ、カグツチが剣で殺されるのは、祭祀における火の鎮火と裏表のかんけいにあり、その祭祀の背景にあるのは、火山の鎮まることへの祈りだというのです。
論証によって、以下のような回答(仮説?)がみちびかれています。
・ヤマタノオロチは火山噴火にともなう溶岩の奔流である。
・オロチを切断し殺害する神話上のアクションは、溶岩の生命力を奪うことである。
・オロチ殺しの神話は、火山噴火の鎮静を祈る祭祀とかんけいしている。
カンナビは火山だった
カンナビはふつう、神奈備という漢字で表記され、崇敬・信仰の対象となる美しい山のことだとされています。
その語源は諸説紛々としていて、「国史大辞典」には、「その語義については「神並び」「神森」「神なばり(隠)」等々の転訛説があり、あるいは朝鮮語説ごときもあって、未だ定説を存しない」と書かれています。
西宮氏は、諸説あることを踏まえたうえで、私はここで「カンナビ」すなわち「カムノヒ(神の火)」という解釈をとろう。
そう解すれば、神奈備型の山も本来的には火山を反映していると考えられるのだ。出雲の大山などは火神岳(ヒノカミダケ)と呼ばれた。(中略)
要するに、神奈備型の山は擬火山であったと言うことができるのであると述べています。
伊豆大島の三原山をはじめとして、火山の火を「御神火(ごじんか)」と呼んで、崇敬する信仰は今日においてもうっすらと存在しています。
西宮氏の見解は、カンナビという言葉に、火山信仰の歴史をみようとするものです。
古事記、日本書紀に、カンナビの語をみることはできませんが、「出雲国風土記」「万葉集」ではおなじみの言葉です。
「出雲国風土記」には、宍道湖をかこむように四か所のカンナビ山があり、そのうち二つの山が「神名火」という漢字表記になっています。
二つの山は火山そのものではありませんが、神名火の「火」が意味ありげにみえてしまいます。
出雲郡にあるカンナビ山は仏経山。ヤマタノオロチ伝説の舞台として語られる出雲市斐川町にある。写真は、島根県庁ホームページより。
先に引用した吉川弘文館「国史大辞典」は、堅実で正確な内容で評価の高いものですが、カンナビの語源を不明としたうえで、古典に記されているカンナビ山は、「すべてコニーデ型を呈し」と続けています。
コニーデとは、使用頻度の減っている地質学用語ですが、成層火山にほかなりません。たび重なる噴火による堆積物で形成された、富士山タイプの円錐形の山です。
典型的なカンナビ山がすべて、コニーデ型だというのは重大な指摘です。
カンナビという言葉を介して、古来の山への信仰と火山がリンクする可能性が生じるからです。
「生命潮流」としての火山信仰
『縄文の地霊』が出版されたのは一九九二年、版元は工作舎です。
吉田敦彦の神話学、山口昌男の文化人類学、ドイツの日本学者ネリー・ナウマンの縄文文化研究など、当時のビッグネームからの引用はあるものの、西宮氏の論述は、誰かの学説に便乗したものではなく、良くも悪くもマイペース、独特のリズムによってすすめられています。
繰り返し引用されている本があります。
『縄文の地霊』と同じ版元・工作舎から、一九八一年に出ている『生命潮流』です。この本を引用するところでは、西宮氏の文章はマイペースのリズムを失い、引用した文章の思考に引きずられているようにみえます。『縄文の地霊』という斬新な火山神話の論考は、『生命潮流』の影響下で、執筆されのは明らかだとおもいます。
『生命潮流』の筆者はライアル・ワトソン。
ちょうど、八十年代前半に、大学生活を送った本稿の筆者も、『生命潮流』をはじめとするライアル・ワトソンの本を読んだくちです。
正直にいえば、愛読したといっていいかもしれません。赤ボールペンで線をひきながら、肩に力を入れて真剣に読んだことをはっきりと覚えています。
とはいえ、社会人(某保守系新聞社記者職)になったあと、ライアル・ワトソンの本はまったく読んでいません。この文章を書くために検索したところ、六十代半ばで亡くなられていることを知り、驚いたところです。
ネット情報によると、『生命潮流』を評判の本にした「百匹目のサル」の現象は、ワトソンがでっちあげたフィクションということになっているようで、ワトソン自身が、トンデモ本の親玉のような書かれかたをしています。
好意的なネット書評でさえ、「ファンタジーとして楽しむにはいいが、真剣に読むような本ではない」と書かれており、すこし胸が痛みました。
あれだけ熱心に読んだのに、『生命潮流』に書かれていた個々のファクト、エピソードを、まるで思い出せません。本そのものも、どこかに行ってしまいました。覚えているのは「百匹目のサル」だけです。
おぼろげな記憶をもとに、タイトルから逆算してみると、たぶん、こんな内容だったのではとおもいます。
物理学的な現実と超常現象のあいだ、生物と鉱物など非生物のあいだ、個人の意識と集合的な無意識のあいだには、私たちが常識的なかんがえているほどの壁は存在しない。地球全体あるいは宇宙全体は、私たちの知らないルールによって結びついており、大きな潮の流れのように、時間のなかを漂っている──。
かんたんに言ってしまえば、『生命潮流』は、ニューエイジとかニューサイエンスなどと称された一群の、今かんがえると少し危なっかしい本のひとつです。バブル崩壊直後、日本のニューエイジ的な読者に向けて、火山神話論の大著『縄文の地霊』は出版された、といえるかもしれません。
火山という現象は、地球物理学・地質学の用語で説明されるものですが、その活動のダイナミズムは、生命以上に生命的です。
マントルはまさしく太洋の潮のように漂い、地表のプレートをすこしずつ動かしています。それはあたかも永遠の生命のようでもあります。
生命を超えた神として、火山を崇敬する精神文化が、日本列島にはたしかに存在しているようにみえます。
それが、『生命潮流』に象徴される二〇世紀末の異端思想と交錯したところから、『縄文の地霊』は書かれたのではないでしょうか。
(桃山堂)
https://djdaddy.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-3cb6.html 【ヤマタノオロチの正体】より
昨年、出雲のホテルの部屋にたまたまおいてあった古事記現代語訳を読んで以来、ヤマタノオロチの正体がなんであるか、ずっと興味がありました。
私は地学が大好きですので、今回は神話と地学を結びつけてみたヤマタノオロチ神話の話です。
斐伊川(ひいがわ)を見、またその川の歴史を垣間見たときに、この川がかつて暴れ川で、上流の山には古代たたら製鉄所があり、花崗岩由来の砂鉄を含んだ真砂(マサ)や、鉄分を含む赤い水が、大雨のあと流れを変えながら、さながら蛇や龍がのたうち回りながら流れていく様を、ヤマタノオロチとしたものと当初は想像しました。
当初は、というのは、当ブログ記事の最後で、この定説を否定するからです。
Webこちらは、島根県おおだwebミュージアムより借用した斐伊川(ひいがわ)の位置図。図の右下から発し右上の宍道(しんじ)湖にそそぎます。
ピンク色で示される花崗岩質の地質に源を発し、出雲平野で東進します。崩れやすい真砂を排出するため洪水が頻発したことでしょう。
こちらは、「神亀時代出雲郡之図」。(出雲を原郷とする人たちより)真ん中で屈曲する大きな川が斐伊川で、弥生時代のころまで出雲平野を西進し、海にそそいでいたことを表わしています。
この暴れ川を、のちのスサノオなる地元リーダーが、築堤したり流れを変えるなどして東進させ抑え込んだ、この斐伊川の平定のことをヤマタノオロチ退治神話として残した、というのが定説です。
出雲に旅した翌年の5月、古事記上の数々の謎を解くには、まずは神様が最初に下りてきた高千穂峰(タカチホミネ)に登ってみなければらちがあかないぞ、高千穂峰がスタートだ、そう思った私は、羽田から福岡に飛び、レンタカーを駆って高速に乗り、鳥栖の吉野ケ里遺跡や、宮崎県は西都原(サイトバル)古墳を経由し、慣れぬ登山を試みました。
しばらく寄り道します。
道中の佐賀県吉野ケ里遺跡では、蚕の繭から生糸をよっていく実演が行われていました。生糸の生産というと、古事記上では、アマテラスという女神の仕事です。アマテラスは生糸工場の工場長というか支配人のような立場でもありました。
生糸の生産は、平成の世でも、皇宮の中で美智子様の仕事となっており、雅子様も引継ぎされていますね。
二つ目の寄り道は宮崎県西都原(さいとばる)古墳。そのなかで、私が注目したのは、「鬼のいわや古墳」
鬼のいわや古墳の内部。正面上部のやや右に、黒い隙間、というか穴が見えますか?
穴のアップ。岩が一個分、抜け落ちています。
話は脱線しますが、この伝説とは・・・
・・・地元の一人の鬼が美人で有名なコノハナサクヤ姫を嫁に欲しいと言ったところ、父親のオオヤマツミが、「一晩で岩屋を作ったら嫁にやる」と条件を出しました。
鬼は一所懸命に岩屋を作りあげました。ところが父親が完成した岩屋の石をこっそりと一つ抜いてしまったのです。岩屋は翌朝未完成とみなされ、鬼は残念ながら姫を嫁にすることができませんでした・・・。という悲しいおはなし。
この話に注目したのは、おととし、東北の岩木山に行ったときに、近くにあった集落、十腰内(とこしない)という変わった地名があって、調べたことがあったからです。
十腰内(とこしない)の伝説とは・・・
・・・一人の鬼が地元の美しい女性を嫁にほしいと望みました。父親が、「一晩で十振り(十腰)の刀を仕上げたら嫁にやる」と条件を出しました。鬼は一緒懸命に鍛冶を行いなんとか十振りの刀を完成させました。ところが鬼が目を離したすきに父親が刀一振りを隠してしまったのです。「刀は十腰無いぞ」、と言って嫁にはやらず、泣く泣く鬼は去っていった・・・十腰無い=十腰内という話です。
どちらも鬼を力はあるけど間抜けな存在で、嫁にやる存在ではない、家族の一員にはしない存在、とみているのが共通しています。
おそらく山に住む力強いしかし狩猟採集を行っていた縄文系の、なかには鍛冶・産鉄系もやっていたでしょう、そういう元からいた日本人を、新たな支配者側の弥生系日本人が区別してみていた表れではないかなと思います。
2022年4月30日追記:無知とは恐ろしいもので、十腰内の伝説ですが、4年経ちまして私も新たなアイヌ語地名の知識を得ました。上記の伝説はもともと創作に思えますが、やはり縄文人を低くみるための創作であると確信しました。
十腰内はアイヌ語地名ととらえるのが自然です。知里真志保著の「地名アイヌ語小辞典」を紐解くと、「ト」(沼)「コシ」(向こう側)「ナイ」(沢)と分解できます。また、大友幸男著の「日本のアイヌ語地名」P138には十腰内の事例が掲載されており、「トコム」(こぶ山)「ウシ」(ある)「ナイ」(沢)と、「ト」(沼)「コッ」(跡)「ウシ」(ある)「ナイ」(沢)の二つが説かれています。
まとめますとトコシナイは、沼の向こう側の沢、こぶ山がある沢、沼の干上がった跡がある沢、などの意味を持った土地となりましょう。地図を見ましたら十腰内のあたりには溜池が無数にあり、畑を維持するための水に悩む地域だとわかります。雪解け水を溜め、春から夏にかけて利用し秋には干上がる沼が多数ある場所、が想像できます。「ウシ」は単にある、ではなく群生・群居する場所の意味があり(知里真志保氏)、「トコッウシナイ」は「干上がった溜池や沼が無数にある沢」、とするのが最もふさわしいかと思います。
さて、話を高千穂登山に戻します。高千穂峰は、高天原(タカマガハラ)という神の国からアマテラスの命令によりニニギが降り立った火山です。
高千穂峰への登山道です。最初のうちは緑の中のなだらかな道を進みます。登山初心者の私は、ペースが速く、ベテランぽい二人の男性に追いついてしまい、その二人のあまりのゆっくりさに、追い抜いてしまいました。
ベテラン二人のうちの一人が、私が追い付いて後ろを歩いているときに、「登山はこうやって、ゆっくり、一歩足を上げ、一歩足を上げ、していくくらいでちょうどいいんだよね」と仲間に言いました。でもそれは、きっと後ろについた私に言ったのです。それを無視して私は追い抜きました。
登山道の、馬の糞です。
というのは冗談で、火山性の赤い石がごろごろ転がっています。たしかに糞みたいです。古事記のなかには、糞が神になる話がでてきます。こういう火山弾のことを糞と表現したのかなと思いました。
途中、昨年大噴火した新燃岳の火口がよく見えました。わずかばかり水蒸気を上げていました。
お鉢、という丸い火口のふちを進みます。転落したら地獄です。お鉢は活火山で、地の底から熱気が吹き上げてきました。奥に高千穂峰の頂上が見えました。
このあたりで、私は相当へばっていました。追い抜いた二人組は、まだ私に追いついていませんが、だいぶ近づいてきているのが見えました。追い越した人に追い越されたくはありませんね。先を急ぎます。
お鉢の火口を三分の一くらい回り込み、いったん少し下ってから高千穂峰の山頂へ直登します。お鉢と高千穂峰の間の低地に、霧島神宮がありました。
この時点で、追い抜いた二人組に、追い抜かれました。あまりに典型的な「うさぎと亀」の昔話を地で行ってしまい、ほとほといやになりました。
軽く脱水症状になっていて、暑いのに冷や汗が出てほんとにやばいぞ、という感じ。引き返す勇気(笑い)をだそうか迷いましたが、ひさびさに「根性」を出し、登り続けました。
私を抜き返すときに二人のベテランさんが、声をかけてくれました。
「あと三十分くらいで頂上だよ」「本当ですか?がんばります!」
情けないとかは感じません。背中を押してもらえた一言でした。ありがとうございました。
ついに頂上。視線の先は、新燃岳。水蒸気を上げていました。
高千穂峰の山頂に突き刺さる逆鉾(さかほこ)。鎌倉時代あたりに突き刺されたのでは、という説があります。
ここがアマテラスに派遣されたニニギが降り立った場所です。高千穂峰は、まわりの丸い火口を持つ火山とは異質で、溶岩ドームによって栓をされたように火口が閉じた火山です。
天皇家の祖、アマテラスがつかわしたニニギらによって、火山の勢いが平定されたしるしの逆鉾と思われます。
山頂から振り返ったお鉢。ふちを登山道が通ているのが見えます。山頂で一休みし、無事に麓に下りることができました。
こちらは宮崎県西都原にあるニニギの嫁、コノハナサクヤ姫のお墓。
コノハナサクヤ姫の墓(左)と伝わる古墳によりそうようにニニギの墓と言われる古墳が右にあります。前方後円墳のようです。
山頂を丸い溶岩ドームで覆われた高千穂峰は、水平な地平線を持つお鉢を従えています。高千穂峰とお鉢のコンビが前方後円墳になったのかもしれないと思いました。
さて、高千穂峰の山頂に立って、なにをつかんだか。古事記の謎はなにか解けたのか。正直言って、登るのに必死過ぎて、そのときはあまり感じるものはありませんでした。
さて、ここからは、帰宅後のお話です。やっと本題です。ヤマタノオロチの正体についてです。
答えから。ヤマタノオロチは溶岩流です。斐伊川などの暴れ川、ではありません。
こちらの写真は普賢岳復興事務所のサイトから拝借した雲仙普賢岳からの火砕流。
日本に多くある安山岩マグマの火山は、粘り気があり溶岩流というより火砕流になることが多いのですが、夜は火砕流も高温のため赤く光ります。
こちらは2018年に噴火したハワイ、キラウエア火山の溶岩。ハワイの溶岩は粘り気が少ない玄武岩マグマのため平地でも止まらずによく流れます。富士山もこのタイプの溶岩です。まさに赤い大蛇。私はこの映像からインスピレーションを受けました。
古事記では、ヤマタノオロチは、赤く血のしたたる腹を持ち、目はホオヅキのように赤いのです。オロチは大蛇のこと。
その赤い大蛇をスサノオが太刀で一振りすると、刃が欠けてしまいます。欠けてしまうということは硬いのです。蛇や川の流れなら太刀が負けるわけありません。刃は欠けません。
ということは、ヤマタノオロチは石のように硬く、赤いのです。そして蛇のようにくねくねと進んでくるのです。それは溶岩流以外の何物でもないでしょう。溶岩は冷えて固まると刀をはじく硬い石になります。
こちらは、高千穂峰の隣、新燃(しんもえ)岳を左下に置いた航空写真。地質学的に宮崎県の高原(たかはる)町は、「溶岩末端崖」(ようがんまったんがい)で有名なのです。溶岩末端は溶岩の流れが止まった場所で、冷えて固まり崖になります。その後も農地開発、都市開発がされず林となり緑になっているのがわかります。いくつもある溶岩末端崖を目印にして赤い矢印で溶岩流を再現しました。
ちなみに、ここ高原(たかはる)は、高天原(たかまがはら)の転じた地名という説もあります。
この流れを古代の人はどう見たか。
「神の山から得体のしれない赤いものがいくつもの頭をもって近づいてくる!それはすべてを焼き尽くす!」
それはそれは恐ろしい光景だったのではないでしょうか。めったには起こらないけど、起こったら壊滅的な目にあう。
それをヤマタノオロチ神話として、人間の手に負えない神によるしわざとして、神語りとして引きついだのではないでしょうか。
神のしわざは別の神にしかコントロールできない。
親から子へ数千年に渡り語り継がれた恐ろしい赤い流れ、ヤマタノオロチ。
天からニニギが降臨し、このヤマタノオロチを発生させる火山の頂に剣を刺し(実際には高千穂峰に代表される溶岩ドームによって栓がされたのであるが)、世の中を平らかにした。
数千年にもわたって語りつかれてきた話は、西暦712年、天孫族の栄光とともに古事記に文字として固定された。
私はそう見ています。