ZIPANG TOKIO 2020「川上村『村民憲章』 千曲川源流の村をたずねて・・・甲武信ユネスコエコパーク登録推薦決まる(埼玉県、東京都、山梨県、長野県)その弐」
川上村「みんなでつくる総合計画」
「総合計画」は 、川上村のすべての計画の基本となるもので、行政運営の総合的な指針となる計画です。将来の川上村をどのような村にしていくのか、そのために誰が、どんなことをしていくのかを、総合的・体系的にまとめるものです。5年ごとに更新する平成30年度から平成34年度とする「川上村総合計画(5か年計画)」を今年度中に策定するためのみんなでつくる総合計画の様子。
川上村「花の見頃・紅葉」
千曲川の源流「川上村」
日本最長河川の源流は川上村にある。
真夏でも身をきるような冷水に、イワナ、ヤマメなどが棲息している。
千曲川の源流「川上村 」
川上村を東西に貫流し、長野盆地で犀川と合流、 新潟県に入り全長367キロメートル信濃川となる千曲川。
廻り目平キャンプ場は、奇岩群に囲まれた金峰渓谷の中にあります。
豊かな緑と、魚影の見える渓流、そして夜には満天の星がふりそそぎます。
千曲川河畔(千曲市)戸倉上山田温泉
善光寺詣りの精進落としの湯として、戸倉上山田温泉は県内屈指の温泉街を形成してきた。
川面からの風を感じながらつけば小屋を覗いたり公園を散策したり、滔々たる流れに寄り添う千曲市には水のある心地よい風景が多い。市の中央をゆったりと流れる千曲川は、昔からこの地の生活と切り離せないものなのだ。
知る人ぞ知る温泉かけ流し「美肌の湯」
戸倉上山田温泉は、さまざまな薬効で知られる長野県屈指のいで湯「美肌の湯」の効果だけではなく、温泉療法医がすすめる名湯百選の温泉。
夏の盛りになれば川面をゆるがす威勢のいい太鼓の音やみこしの掛け声、いなせな芸妓御輿や木遣りで彩られる「戸倉上山田温泉夏まつり」大輸の花火が川をも焦がす「千曲川納涼煙火大会」など、元気のいい町衆が多い千曲市ではこの時期、日中から夜更けまで賑やかに盛り上がるのだ。
近隣には国の重要文化財を擁する寺社仏閣も数多くある。
信濃 善光寺山門
信濃 善光寺本堂
千曲川と棚田
冠着山(1,252m)や三峰山(1,131m)などを中心とする聖山高原が善光寺平に臨む北東面の傾斜地のうち,標高約460mから約560mの範囲こ展開する約25haの棚田地帯の中央を千曲川の支流である更級川が北流し,三峰山から地滑りによって堆積し安山岩風化粘土の混じる砂礫層をを深く浸食している。この他滑りによって発生した姥石,姪石,子袋石,甥石などの顕著な巨石が棚田地域に散在している。
嬢捨の棚田は,元禄10年(1697)に上流の大池から水を導くために廃水堰を建設したのに伴って開発されたものと伝える。安永6年(1777)の大池普請(改勧)までには大池堰水系で約42haが開田され、明治10年(1877)には約85haにまで増加し,ほぼ現在見る棚田地域が完成したものと考えられている。
姨捨の棚田地域から南に展開する冠者山を含めた姥捨山の一帯は,平安時代頃から観月の名所として名高く,『古今和歌集』(913年成立)に所収する「わが心なぐさめかねつさらしなや壊捨山にてる月を見て」を最古の例として,『更級日記』や『新古今和歌集』などにも月を詠んだ約40首余りの和歌が撰じられている。天正6年(1578)の製作とされる狂言本『木賊』には嬢捨の「田毎の月」が初めて登場し,江戸時代になると棚田開発が不きく進展するのに伴って、姥捨山だけでなく棚田の一枚一枚の水田に映る月かげが俳諧や紀行文の題材として注目されるになった。とりわけ,芭蕉の詠んだ「おもかげや姥ひとりなく月の友」の俳句が,長楽寺境内に遺存する明和6年(1769)の紀年銘を持つ「芭蕉翁面影塚」なる石碑に刻まれて今日に伝えられている。
田毎の月
水を張ったいくつもの田んぼに風景が映り込む、春の奇跡のような姿。
平安時代の頃から姨捨は観月の名所として知られ、万葉集にも詠まれた場所。
江戸時代から明治にかけて開田が大きく進むにつれ、小さな棚田に映りこむ月影が一層注目されるようになった。
斜面に並ぶ不揃いな形の田んぼそれぞれに月が移りゆくことを「田毎の月」と言い表し、嫉捨の田毎の月は松尾芭蕉や小林一茶など多くの俳人が訪れ、歌句の題材にもなっている。
四十八枚田
西行法師阿弥陀の四十八願にちなんで名付けたと伝えられている四十八枚田は一反歩(300坪)を48枚に分けた棚田。
姨捨の棚田の中でもかなり早くに開田されたと言われ「田毎の月」という呼び名はもともと四十八枚田に移りゆく月を指すとされている、四十八枚田地区は姨捨の名勝指定地区の一つ。
幻想的な景色が人々を魅了し続ける姨捨の棚田。今昔和歌集に姨捨の景観と月の歌が残っていることは、いかにこの風景が古くから愛されてきたかを物語っている。
棚田は国の重要文化的景観に選定、「田毎の月」は国の名勝に指定され、季節や時間で姿を変える風景は日本の原風景を想わせ、素朴な感動を与えてくれる。
姨捨の夜景
姨捨山伝説は冠着山(かむりきやま)の昔話
「姨捨山」伝説の里は、冠着山の麓が舞台。山あいの月見スポットでもある。この辺りには、いにしえより姨をこの山に捨てた男性が、名月を見て後悔に耐えられずに連れ帰ったという逸話があり、「大和物語」や「今昔物語集」などにも掲載されている。
この地では、さらに連れ帰り隠していた姨の知恵によって、殿様の出す難題を解決。その後、老人を大切にしたと伝えられている。
長野県南佐久郡
「川上村」
川上村も遠い昔から人々が住みつき、栄枯盛衰をくり返しながらも、様々な生活を送り、文化を育んできました。生活の道具をはじめ、絶やすことなく守ってきた樹木や自然、心支えとなった信仰や日々の娯楽など、人の活動によって生まれる文化は時代によって変化しながらも、現在に受け継がれています。
大深山遺跡
縄文時代中期(4,500~5,000年前)の遺跡で、標高1,300メートルの台地にあり、
遺跡としては最高所に位置しています。
竪穴住居跡が50ヶ所、数万点に及ぶ土器、
石器が発見されており、住居跡には2棟の竪穴式住居が復元されています。貴重な出土品は文化センターで展示保存しています。
大深山遺跡出土香炉形土器・釣手土器
川上村では約2万年前の旧石器時代から人々が訪れ生活をはじめ、縄文時代になると大深山をはじめ村内各地で人々が生活するようになります。弥生時代以降は人々もこの地を離れていくようになりますが、平安時代には再び生活するようになります。時代が流れ、金峰山が修験道の山として信仰を集め、川端下、梓山から金が産出することが知られるにいたり、一つの隆盛を築きました。そして江戸時代には天領として治められ、十文字峠や三国峠を介して人々が行き交い情報の流れがありました。稲などの不適作地であるがゆえに、人々の苦労は計り知れないものがありましたが、林業の隆盛、落葉松苗栽培の発展を経て、現在は、高原野菜の一大産地が築かれています。
レタス生産量日本一の野菜王国
川上村は、千曲川源流に広がる高原野菜の名産地。全村が標高1,100m以上の高所にあり、日本一の生産量を誇る夏レタスをはじめ、冷涼な気候を生かした多彩な高原
野菜を栽培しています。生産から流通に至
る一貫した品質管理体制のもと、新鮮で美
味しい鮮度を保ったまま出荷されます。
すべては時代の流れの中で蓄積されてきた先人の文化があったからこそです。現在、村人が受け継いでいる、村内の貴重な文化財を保存し学習して役立ていくことは、将来に向けての大きな役割でしょう。
秘境の川上犬
川上犬は長野県南佐久郡川上村原産の和犬です。「秩父山塊のヤマイヌが、猟師によって飼い慣らされた」との言い伝えが残り、現在でも、その野性的な要素が多々残る魅力あふれる犬です。
しかし、戦時中には軍の撲殺令等により、川上犬は絶滅の危機にひんした時期がありました。それでも戦後の貧困な時代に、村内有志の努力により復興され、現在では約350頭までに生息数は回復しています。
昭和58年には、川上村に生息する川上犬の中から、容姿や血統の優れた犬が、長野県の天然記念物に指定され、今日までその条件が継承されています。
川上犬保存会では、保存会の主旨に同意を得られる方にのみ、天然記念物の子孫にあたる子犬を分譲しておられる。
川上犬自体が稀少種で、その中でも長野県の天然記念物に指定された犬の子孫ですから、長野県の文化財保護条例が適応されます。従って、分譲といっても、ペットショップやブリーダーから購入する犬とは違い私物化できず、長野県の生きた文化財を共有する事になるため、事前審査もあります。
事前審査の内容は、自然環境を中心とした飼育環境を重視し、川上犬の体質に適合しない高温多湿な地域や、都市部にお住まいの場合は、ご遠慮頂くこともあるそうです。
お問い合わせ先
信州川上犬保存会 電話番号:0267-97-2518
川上犬基礎情報
川上犬は、長野県南佐久郡川上村を原産とする和犬で、「山梨・埼玉・群馬・長野にまたがる秩父山塊のヤマイヌ(ニホンオオカミ)が、猟師によって飼い慣らされたもの」との言い伝えも残るほど運動能力が高く、野性味が強い。川上村は標高1100メートル~1400メートルに位置するため寒冷な気候で、ヤマイヌの生息域と合致する。
川上犬は、子犬でも-25℃以下にもなる村の厳しい冬の気候に耐えるほど寒さに対しては強いが、夏場に高温多湿となる地域での飼育には向かない。
川上村の沿革
■ 位置と地勢
川上村は長野県の最東端。山梨、埼玉、群馬の三県と隣接し、東西23km、南北16km、総面積209.61km。
北の村境から、東南の村境にかけて男山、天狗山、甲武信ヶ岳、国師ヶ岳、金峰山など秩父多摩甲斐国立公園の主峰がそびえ、村落の中心を東西に千曲川が流れています。全国的に名高い高原野菜の一大産地です。
■ 沿革
歴史は古く、旧石器時代の遺跡や縄文時代中期の大深山遺跡(国指定史跡)があり、中世には武田氏の勢力下で金を採掘、江戸時代には天領として幕府の直轄支
配を受けました。明治22年町村制施行により、川端下、梓山、秋山、居倉、大深山、原、御所平の7ヶ村と大明村の内樋沢を編入して川上村となり現在に至っています。
朝日岳から金峰山を望む
金峰山は「奥秩父の盟主」「山の中の山、百貫の貫禄を持つ」などと形容される山で、古くから修験道の場、信仰の山でし
た。奥秩父の山々は、そのほとんどが山頂まで深い原生林に覆われており、奥秩父らしい深い樹林や岩稜、高山植物、
360°の展望と変化に富んだ登山が楽しめます。山頂に屹立する五丈岩(ごじょういわ)は山のシンボルです。
廻り目平キャンプ場は金峰山荘に隣接しています。貸しテント、バンガロー、シャワー、水洗トイレの設備がありアウトドアライフを満喫できます。
小川山、金峰山への登山や釣り、ハイキングが楽しめる本格的なキャンプ場として、県内外の人たちで賑わいます。
川上村「花の見頃・紅葉」
金峰山
長野県と山梨県の県境に位置し、山頂には金峰山信仰のご神体、金峰山のシンボルとされる大岩「五丈岩」がある。日本百名山に数えられ、奥秩父山群の王者と評されている。
呼称について、山梨県側では「きんぷさん」と呼び、川上村では「きんぽうさん」と呼んでいる。
金峰山山頂
絶景雲海と海を照らす灯台のような岩山
金峰山急斜面、植物も雪で覆われモノトーンの世界
季節が巡る金峰山
金峰山のつづら折りに流れる源流
世にも珍しい奇岩石、飴のようにねじって立っている
金峰山の夏は短い
金峰山の紅葉は、まるで様々な色の毛糸の玉のように変わっていく
夕焼けも美しい
そして何時しかまた雪で覆われ自然の厳しさを知る
冬山は挑戦するのも良いし遠くから眺めるのも忘れることのできない日となる・・・
冬山の生活に薪は欠かせない、命の綱である
何をやるにしても作業が大変だ!
金峰山の山小屋も雪で覆われる
それでも山小屋の中は楽しい仲間たちと一緒なら暖かい
知らない間に何時しか頂上の雪が解け・・・
雲海が現れ・・・
また今年も大勢の人たちの笑顔を観ることが出来る。再会する人も初めての人も喜びで溢れている・・・みな大自然に生かされているのだ
月や星に手が届きそうだ!
奥秩父の展望台へようこそ
是非皆さん、今年は川上村、塩山、韮山の三方向からチャレンジしてみてください。きっと新しい景色が観えてくると思いますよ。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同、敬称略)
川上村役場 〒384-1405 長野県南佐久郡川上村大字大深山525 電話番号:0267-97-2121
(一社)信州千曲観光局〒389-0821 長野県千曲市上山田温泉2-12-10千曲市総合観光会館
TEL:026-261-0300
善光寺〒380-0851 長野県長野市元善町491〒380-0851電話:026-234-3591
金峰山小屋 〒384-1404 長野県南佐久郡川上村居倉535-60 TEL&FAX 0267-99-2030
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表) 03(5253)4111