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逆のものさし講新聞 「後世への手紙」

社説 ▲3.11▼

2018.03.10 22:16


 あの日から7年が経った。しかしあの日はいつになっても過去にはならず、いつも、今、常にそばにあって、私自身に問いかける。

 「ちゃんと生きてるか?」

 ふとした時に問いは突然訪れる。そこで感じる悲しみは一体何だろう?「ちゃんと生きている」と言い切れない自分に対する残念な想いか。それとも、何気なく世間の時が楽観的に流れていくことに対する疑問か。悲しみと同時に、空虚を感じる。そんなとき、無性に言葉に触れたくなる。自分が言葉を渇望しているのが分かる。慰めるかのように、自然と若松英輔に手が伸びる。この人は言葉をとても繊細に扱っている人だ。

 『悲しみの秘儀』『悲しみが言葉をつむぐとき』『君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた』『魂にふれる』『死者との対話』。震災に関する(と感じる)著書どれを読んでも、乾いた土地を潤す水が如く、我が心を満たしていく。ただただ、私の悲しみに寄り添ってくれる安心感。あの日のことを考えるとき、湧き上がる感覚をどう表現したとしても、その瞬間全てが陳腐化してしまうようで、ただただそっとして過ごしている。だが、それもいいのだと胸を撫で下ろすことが出来た。

 震災当時岩手県釜石市で被災した禅僧、佐藤良規さんのメールマガジンを読んだからだ。以下に引用する。

 

僕を始め

 

東北の(特に沿岸部の)人たちは

この時期が本当に辛い。

 

「忘れない」なんて言うのは外部の人。

 

当事者の私たちは

忘れたくても

忘れられない。

 

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そこで、お願いです。

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3月11日はテレビを消して

そっと過ごしてください。

 

そして、こころ静かに

 

東北の風景を思って下さい

東北の友人を思って下さい

東北の痛みを思って下さい

東北の目覚めを思って下さい

東北の底力を思って下さい

東北の希望を思って下さい

(以下引用省略)

 

 「忘れないと言う」のと、「忘れられない」。この違いは簡単に乗り越えられるものではない。TVや新聞はこぞってこの日を特集し、「私たちは忘れない」と発信することだろう。でも、当事者の方たちは、「忘れられない」のだ。

 今の私にできること。それは、3月11日は、テレビを消してそっと過ごすこと。こころ静かに。東北を思って。

 

(全文は佐藤良規さんのブログに http://satoryoki.hatenablog.com/entry/2018/03/10/183728