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おりょう OwndBar

自分に似合う生き方で

2022.10.26 02:25

時間が手にはいった。

すると 芋づる式にいろんなことが蘇ってくる。何かに触れてもどこかに行っても。

いい機会なのでとことん自分を解体してみた。そして自分に自分をプレゼンしてみた。

それにはある程度生きるという時間が必要かもしれない。今もまだまだだけど。

生まれて10年20年ではほとんどDNAと環境に影響されていて、さしずめその物差しを長く伸ばしている時期。まだまだ伸び代がある。どう伸びていくかも生き方次第。

目盛りはざっくりでいい。

いずれ大体30年ぐらいには物差しの長さは決まってきて、その中で目盛りを刻んでいくこととなる。

だから周囲の大人たちは、できるだけ目盛りを細かく刻ませるより、多少折れても抜けてもまた、生え変わるし、すでに物差しが決まってしまった周囲の「あなた」より、全然大きく長く全く違う形に伸びる可能性があって。先を限定するようなことにならないよう留意すればいいのでは?

放任と自由は違うと断言したい。だってこれからを生きる伸び代たちは、まだ判断基準の物差しが短くてメモリも少ないんだ。その中で「嫌なことはさせない」「自分で選ばせている」というのは放任であり、もしかしたら「未知」という可能性を奪っているかもしれない。

誰かの庇護がいる小さな子供の頃は、生命の危機に本能的に敏感だから、初めてには「警戒」する。だから大人よりずっと保守的。だからこそ初めてのこと、怖い苦手なことも「とりあえず経験させる」。そして一定間安心するまで継続してみる。または達成までやり切らせる、そして見守っている。達成の瞬間、目を輝かせてほお紅潮させて振り返った時に「よかったね。すごいね。」と共感してあげればいいのではないだろうか。


さて物差しを伸ばしている途中の皆さんは?といえば。まだ途中なんだから自分でわざわざ未完成である自分を「だめだ」とか「他人のことを気にする」「何か趣味がなきゃいけない」大物に有名に「映え」なきゃいけない?

いや なんでもやってみればいい。納得のいくまで。ただ、未知な世界も人もありったけ出会ってみると、なぜか気づいたらすごいことになっていくかもしれない!

むしろその方が「瓢箪から駒」思いもしないほどのすごいことになっているかもしれないんだ。

その時に選択する自分は今の自分よりとてつもないことができるかもしれない。

いいねえ


昔 20代の前半 親から「お前は宇宙人だ。選ぶことに脈だくがない」と言われたことがあったな。生意気にも大きな意味に向かって「要素」を集めていて。「私の中では繋がっている」と言い放った。

で その後うん10年後のいま。振り返ればいろんなことが役に立ち、人様から見れば碌でもない人生なのだがそれなりに面白くやって来れた。残念なことは沢山申し訳ないことも沢山。しかしこれからもそれも役に立っていくのだと思う。自分の面白いこれからに。


それにあたり無意識で決めていることは「自分に似合う」かどうか、のようだ。

とことんぐだぐだボロボロになってみっともないサイクルに落ちても、とことんぐずぐずになりきればさっぱりするもんだ。そんなもん。生きていれば。

と 今のところは思っている。

そしてまだまだこれからが楽しみでもある。