オリヲン座からの招待状
オリヲン座からの招待状
2007年11月29日 有楽町 丸の内TOEIにて
(2007年:日本:116分:監督 三枝健起)
原作は浅田次郎の短編で、『鉄道員(ぽっぽや)』におさめられた短編・・・と聞いただけで、ああ、なんかノスタルジックで、メランコリックな感じだろうな・・・と思っていたら、まぁ、その通りの映画だった訳です。
わたしは、ひたすら「昔は良かった」とは思っていないので、こういう観客に「昔は良かったでしょう」と語りかけるような映画は実はあまり観ないですね。
ただ、この映画はある名画座の終わり・・・を描いているので、「昔は良かった」だけではないし、10代の頃、熱心に名画座をめぐっていたわたしは、ビデオやDVDの普及でどんどん名画座がなくなっていくのを、寂しく思っていたので、こういう映画には弱いのです。
今、単館とか、ミニシアターという形に変化したけれど、やはり、メジャーな映画の事を描いたわけではないので、地味な内容になっていて、また、話も、日本映画『無法松の一生』になぞらえていて、この映画の中で上映されるのは何度もリメイクされた『無法松の一生』の一番最初1943年、監督 稲垣浩、脚本 伊丹万作、主演 板東妻三郎版です。
映画の中で、ちゃんとフィルムが出てくる・・・他にも『二十四の瞳』とかね・・・おおって、結構、贅沢なことをしている!
わあ、今はなき、銀座の日本映画専門名画座、並木座で、観た映画が・・・よみがえりますねぇ。
(並木座は、本当に日本の名作映画を惜しげもなく、若かったわたしに観せてくれました。並木座はいつ行っても満席でした)
映画は現代の東京から始まります。
子どもの頃、京都のオリヲン座に通っていた子供・・・だった田口トモロヲと樋口可南子は結婚したものの離婚の話が出始めている。
そこへ、「昭和25年に始まったオリヲン座を閉めることになりました。最後の上映へお越しください」という招待状が来る。
そして昭和30年代・・・京都で夫婦(宇崎竜童と宮沢りえ)が経営している映画館、オリヲン座へ、ひとりの若者がやってくる。
留吉(加瀬亮)は、家を飛び出して・・・仕事を探してここにたどり着いたのでした。
宇崎竜童に弟子入りして、映写技師の道を進み始める、留吉。
映画(活動写真)全盛時代・・・あちこちの映画館でフィルムの貸し借りがあって、フィルムの缶を自転車に積んで走り回る留吉。
ここで、映画館主兼映画技師の宇崎竜童が、とてもいい味を出していて、煙草の吸い方なんて、本当に「味がある」のです。
しかし、煙草の吸いすぎか・・・若くして亡くなってしまった館主。
未亡人の妻は、悩むけれど、留吉が、自分が全てやるから、映画館を続けよう・・・と頼み込み、未亡人である宮沢りえと留吉の二人三脚で、オリヲン座の経営は続けられます。
留吉は、『無法松の一生』の車夫の松五郎といった立場で、未亡人である宮沢りえを、ひたすら支え続けるのでした。
しかし、近所の人たちは、未亡人との仲を疑ったりして・・・寝取ったんじゃないの?などという。
実際は、この2人は、夫婦どころか恋人同士にもならなくて、本当に『無法松の一生』の松五郎と吉岡夫人と同じ仲です。
しかし、映画は、テレビの出現で、全盛期を終える。
また、オリヲン座に危機が来るわけですが、貧乏してもとにかく映画を上映し続ける。
時代遅れになってしまったもの・・・それが映画、活動写真。
テレビ全盛時代の後の、ビデオ、DVDの出現、インターネットの普及・・・それでも映画は息をし続けている。
それをわたしは、いまだに映画館に通っている。
少なくなってしまったけれど、そういう人は、いるのです。
留吉を演じた加瀬亮は、おとなしい、真面目な青年で、奥さんを演じた宮沢りえは、穏やかで、でも芯の強い人。
現代になっても、留吉と奥さんの関係は変わらない。
でも、足を怪我して背負う時だけ・・・ぽつりと留吉が言う「・・・夫婦のようなものだから・・・」
こういうストイックな関係というのは、今の映画では、むしろ貴重かもしれません。
昭和の時代の出し方も、蚊帳、浴衣、新聞紙で作った袋に入れて映画館で売っているピーナッツ・・・という、いかにも・・・を避けてさりげなく上手に出しています。
帽子・・・というか鳥打ち帽のエピソードなど、ああ、昔は、男の人は鳥打ち帽をかぶっている人がいたなぁ、とふと、思い出す。
映画館で映画を観ることが好きな人は、しみじみとする映画で、本当に地味だけれど、名画座の空気を知っている年代には、なんとも嬉しく哀しい気持になるのでした。
いい映画です。