シークレット・サンシャイン(原題)
シークレット・サンシャイン(原題)
Secret Sunshine/Miryang
2007年11月24日 有楽町 朝日ホールにて(第8回東京フィルメックス)
(2007年:韓国:144分:監督 イ・チャンドン)
クロージング作品
第60回カンヌ国際映画祭 主演女優賞受賞
観る者を引きずり込む・・・そんな力のある映画がたまにあるものです。
観る映画すべてが、そうともいえないのが特に東京フィルメックスで上映される映画なのですが、この映画は、観客はただ、のんびり口を開けて受け身で観る事をさせない力があるのです。
イ・チャンドン監督は『オアシス』以来5年ぶりだそうですが、『オアシス』もそうでしたけれど、観客に楽な思いはさせないのです。
かといって、退屈もさせない、大変な緊張感でもって、144分を引っぱり続ける。そして映画が終わった後のあの何とも言えない充実感。
・・・だから映画はやめられないんですよぅ、その力量の違いって何でしょうね・・・とぼそ、とつぶやいてみました。
この映画の主役のチョン・ドヨンは、この映画の演技で今年のカンヌの主演女優賞をとった・・・というのは知っていましたが、もともと、チョン・ドヨンという人は、演技がとても上手い人なので、まぁ、良かったね、チョン・ドヨンのおでこって可愛いもんね・・・くらいの気持で臨んでしまったこの映画。
もう、すごいです。チョン・ドヨン。
チョン・ドヨンは、ずっと映画の間、自分と闘い続けている。
シニという、幼い子どもを抱えて夫が事故で死んでしまった若い未亡人なのですが、シニという女性とチョン・ドヨンという女優が闘い続けているのです。
監督の言葉に「俳優たちには、自分自身を失うほどにそれぞれの役に深く入りこんでほしい」とありましたが、もう、それ、十分納得です。
『オアシス』の身体障害者を演じたムン・ソリといい、この映画のチョン・ドヨンといい・・・自分自身を失ってしまうギリギリのところがわかるのですね。
しかし、あくまでも、映画は「物語」にのっとっています。
いや、俳優って大変なことだと思いますね。
プロフェッショナル・・・という言葉が思い浮かびます。
また、もうひとり、シニという女性になにがあってもまとわりつくキム社長を演じた、ソン・ガンホ。
この人も実力有りですが、なんともこの映画での役への入りこみ方、プロだ・・・・。
プロフェッショナルなんて簡単になれるものではなくて、この映画くらい観る者を、ぐさっと深く刺せば納得ですね。
安直に使われているなぁ、と思う言葉に、「愛」「セレブ」「プロ」があると思うのですが、本当の意味を置いて一人歩きしている言葉のひとつ、「プロ」という言葉。
これぞ、作る方も演じる方もプロの仕事・・・とうなるのです。
もちろん、アマチュアにはアマチュアの良さ、荒削りであっても、若々しいとか、新鮮な発想とかあるけれど、堂々としたプロの仕事、観ておくのがいいでしょう。
シークレット・サンシャインというタイトルは、密陽という地名から来ています。
夫をなくしたシニ(チョン・ドヨン)が、夫の故郷である密陽という釜山に近い街に引っ越してきます。
車がエンコして、助けてくれたのが、38歳、独身の車修理会社のキム社長(ソン・ガンホ)
「密陽ってどんなところですか?」とシニが聞くと、キム社長は「何もない田舎町ですよ」
シニは、密陽って、秘密の光りの事で、いい名前ですよね、、、、とつぶやく。
シニはピアノが得意なので、街でピアノ教室を開きます。
幼い子どもと2人で、新しい生活をやりなおそう、とします。
車の故障で出合ったキム社長は、若くて美しいシニにまとわりつく。好意とはいえ、なんかしつこいんですけど・・・キム社長・・・もうね、下心丸見え。
シニは、いつも「ひとりで何とかしよう」と強がってばかりいます。
キム社長他、密陽の街の人と上手くやっていこうと思うと同時に、もう、ひとりでやるんだから、ほっておいて、という顔もする。
そこら辺が上手いんですよね。
強がるばかりに、見栄をはり、いかにも自分は、夫に愛されて、不幸になったとはいえ、十分なお金があるような言動をする。
土地を買って、家を建てようと思うの・・・キム社長にそんな相談を持ちかける。
狭い街だから、あっという間に、シニの存在は知られてしまうけれど、それがゆえに、シニは息子を誘拐されて失う・・・という失態をおこす。
呆然となったシニは、誘われるままに教会に行って、救われた・・・と思ったら、またとんでもない失態をおこす。
シニは、どんどん悲劇、不幸を通り越して、狂気に走っていきますね。
神に許してもらえなかった、自分が許せない、何故、自分は救われないのか、他人が救われるのか・・・怒りと迷いでギリギリの精神状態の淵をさまようシニ。
ここら辺が、キリスト教からみにしていて、難しいところなんですが、自分が許されたから、他人も許してあげましょう・・・なんて、高慢な気持の痛いしっぺ返しを、思いっきりくらうのです。
しかし、キム社長は、何があってもシニの側を離れない。
でも、キム社長って俗物丸出し・・・なのですが、だんだん、シニの精神状態がおかしくなってくると、キム社長は別の意味で、変わっていくのです。
前半のシニとキム社長の2人と後半の2人の立場と距離は同じかもしれないけれど、精神状態は、全く違うものになってきています。
キム社長は、田舎者で、俗物で、かっこ悪いかもしれないけれど、その分、強さが出てくる。許す、という一番難しいことが出来るのは、実はキム社長なのです。
反面、弱いのを隠そうと強がっていたばかりに、シニの精神は崩壊の危機を迎える。
その2人に焦点をあてながら、「人が生きる意味」といった芯の強いメッセージを発しています。
生きる意味なんて、難しいのですけれどもね。そんな事を、シニとキム社長は、それぞれ体現していくけれど、それは決して安直なハッピーエンドにはならない。
いつまでたっても、変わらないものは変わらないし、変えられない。
けれども、どうしたら傷ついてしまった人生を、歩み直せるのか・・・ということを体現しているのもこの2人です。
ハラハラドキドキのスリル満点のサスペンスではないのですが、秘密の光り・・・という名前のついた平凡な田舎町での、普通の人々を描きながらも、その描いているものは奥深い人間観察であり、思想の持ち方、そして生き方。
イ・チャンドン監督の脚本はあくまでも自然で、普通の人々の会話であっても、ちらりと話の流れを見せたり、変えたりする上手さがあり、そして、妥協を全く許さない姿勢が見えますね。
本当にすごいんだ、チョン・ドヨンとソン・ガンホ。
見終った後で、喉がカラカラになっているのに気がつきました。