むすんでひらいて
むすんでひらいて
What the Heaart Craves
2007年11月24日 有楽町 朝日ホールにて(第8回東京フィルメックス)
(2007年:日本:98分:監督 高橋泉)
コンペティション作品
人と人との出会いというのは、何がきっかけでおきるのか?
まぁ、恋愛映画なんかでは、「こんなのあり得ない」っていう偶然の再会があったりして、お約束事のようになっているのですが、この映画ではそれがとても自然にさりげなく描かれています。
結婚式の二次会でたまたま出合った時、場を盛り上げる為に倉田(廣末哲万)は、その場にいる3人の家の鍵を、手の中で一本の紐につないでみせます・・という手品をする。
そして、返した鍵を、間違えてしまう。
それぞれ、家に帰って、家の鍵に合わない事に気がつく・・・向井という青年、その大学の同級生だった設楽という女性、そして倉田。
向井は、こずえという女性と同棲していますが、こずえは、以前は設楽とルームメイトでしたが、喧嘩して、設楽にはいい感情を持っていない。
こずえは、向井に「設楽がこの家の鍵を持っているかもしれないし、全く知らない男が、鍵を持っているかもしれないのは気持悪い」と責める。
その気持の底には、設楽という女性への敵対心があるようです。
鍵を取り戻す為にまた、集まることになった、向井、設楽、倉田。
倉田のアパートの隣のカップルは男が女に暴力をふるう・・・そして女の逃げ場所のようになっている。
少しずつすれ違っていく向井とこずえ。
鍵のことで、また話をするようになった、敵対心なのか、恋愛感情なのか、嫉妬なのかわからない、設楽とこずえの関係。
なんとなく話をするようになる、向井と倉田の男同士。
そして、暴力をふるわれる女性もそこに入ってくる。
若い人たちなのですが、皆なにか、もう、あきらめてしまっているような、怒る、というより、むずがっているような気まずい雰囲気が全編、漂っています。
この映画では、喧嘩や暴力が一方的です。
やり返す、言い返す・・・喧嘩になる・・・ということがなく、ただ、その場を収めて終わりにして、また、同じ事の繰り返しは仕方ないよね、ってあきらめている若い人たち。
明らかに、暴力をふるわれている女の子に、こずえも設楽も、「やられっぱなしだからダメ。もう、あんな男から離れなきゃダメ」と言っても、なんかはっきりとせず、ふわふわ笑っている女の子。
向井とこずえも、こずえが一方的に責めるだけで、向井は「はいはいはい」とあきらめ顔。
あまりの暴力に隣の部屋の男を責めても、逆に暴力をふるわれそうになると、「ごめんなさいっごめんなさいっ」と丸くなってしまう倉田。
争って自分の事を主張するのではなく、なんとなく言わなくてももうわかってよ、というワガママな子どもっぽい甘えが、あるんですね。
それが、人それぞれある、というのが、この映画の底光りしている怖さです。
しかし、そんなふわふわとした、一時的な感情に流されているだけの居心地悪い人間関係にも、決着をつけるときがきて、監督としては、色々なラストのもって行き方を考えていたそうです。
若い人たちの映画なのに、若々しさがない・・・もちろん年齢的には若いのですが、精神的に幼いと同時に年老いてしまって、疲労してしまっている・・・そんな姿がとてもわたしは怖いと思うのです。