ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた(公開タイトル:子供の情景)
ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた(公開タイトル:子供の情景)
Budda Collapsed Out of Shame/Buda Az Sharm Foru Rikht
2007年11月23日 有楽町 朝日ホールにて(第8回東京フィルメックス)
(2007年:イラン:81分:監督 ハナ・マフマルバフ)
コンペティション作品
イランの監督一家、マフマルバフ家の次女、ハナちゃん、19歳にして初長編映画です。
前作は、姉、サミラの映画の撮影というか、キャスティングの様子を追ったドキュメンタリーでしたが、今回は、お母さんである、マルズィエ・メシュキニが脚本、製作はお兄さんである、メイサム・マフマルバフという、信じられない家族映画・・・(って言うのかな)
この映画は、巨大仏像が大量破壊されたバーミヤンで撮影されています。
映画は冒頭、この仏像破壊シーンです。知ってはいるけれど、やはり、あまりにも暴力的であり、衝撃を覚えます。
何がここまでさせるのか・・・底知れない人間の破壊という行動を映す。
しかし、映画はその遺跡近くに住む6歳くらいの女の子。
学校に行きたいけれど、行けなくて奮闘する姿・・・なのですが、折角ノートを買ったはいいけれど(一冊のノートにえらく苦労する)、なかなか学校へたどりつけない。
男の子たちが、大人の真似をして「タリバンごっこ」「処刑ごっこ」をしているのに巻き込まれてしまうのです。
子供たちが多く出てきますが、大人たちが、どうにも、情けない。
車の走っていない道で道路整理をしているおまわりさんに、男の子たちが、処刑ごっことかいって、女の子たちをいじめてる、とやっと言いにいっても、「仕事中」・・・車走っていないのに、給油所があったり。
子供たちは、敏感に大人を観察して真似をする。
勉強をする、字を覚える・・・ということも、真似をすることから始まるのだなぁ、と思いますが、いいことばかり、子供はやらない。
もう、憎たらしいくらい、男の子たちは横暴です。
でも、「ごっこ遊び」なんだから、「処刑されて死んだふり」をすればいい、ということになりますが、ほっぺの赤い女の子は、「戦争ごっこはイヤ。戦争ごっこはイヤ」といって、「死んだふり」して妥協することをしないのです。
石像も文化ならば、学校のノートも文化の象徴ですが、男の子たちは、そんなノートを踏みにじる。
鉛筆がわりの、お母さんの口紅持っていたから、「アメリカかぶれ」と処刑決定。大きい子たちにとっては、格好のいじめがいのあるチビなんですね。
でも、そんなチビにも、わかっていることがある。「死んだふり」して見逃してもらおう・・・そんな事は出来ない・・という決心です。
そして最後、女の子は崩れ落ちる。
空はどこまでも青く、女の子の服は鮮やかな緑です。
ゆっくりと、たおれていく女の子。
「死んだふり」をしているのは、実は、大人たち・・・そんな戯画的なものを感じさせる映画です。
キャストは全て映画というものを知らない子供たちを、キャスティングしたそうですが、大変だったそうで、映画の撮影の時、監督のハナちゃんが誘拐されそうになったそうだし、姉、サミラ監督の映画の時は、爆弾を落とされた・・・とか・・映画というもので、戦う家族・・・なんです。
確かに、サミラやハナちゃんは、恵まれた家庭なのかもしれませんが、それ故に、映画という宿命のようなものを背負ってしまった。
そして、女でも、若くても、それに堂々と立ち向かう姿が、映画の向こうに透けて見えるようです。