近代アジアの動乱18-大政奉還戊辰戦争
2022.10.27 10:47
1867年10月14日、パリ万博の終わった直後に、徳川慶喜は「大政奉還」を決定、幕府は日本を代表する政府ではなくなったのは皮肉なことである。朝廷側ではこの日岩倉具視より「倒幕の密勅」が渡された。大政奉還はこの密勅の効力をなくし、今後の実質権力を握る狙いがあった。
慶喜の考える政体は、天皇を元首として頂きながら、徳川家が諸藩を束ねて引き続き政権を担当することだった。そして68年1月3日御所の9門閉鎖の上で「王政復古の大号令」が発せられた。征夷大将軍も摂政関白もなくなり、三職が政権の中枢に置かれる。続く「小御所会議」で薩摩の軍事的脅迫のもと、徳川家への「辞官納地」が決定した。
そうは言っても徳川家の領地を返還させるには武力しかない。討幕派は江戸で騒乱を起こすと、翌68年1月3日旧幕府軍が薩摩の暴挙を天皇に問いただすため入京を試みて、鳥羽伏見の戦いが開始された。
この戦いで「錦の御旗」が薩軍の東寺に翻ったため、旧幕府軍は「賊軍」となって勢いを失ったといわれている。慶喜も江戸に帰ってしまう。武家が権力を握ってからも、時の権力者天皇の権威を利用して「朝敵」をつくり続けてきた日本ならではの不思議な戦争である。