奈良大和の食文化遺産
慎ましく生きた大和人(やまとびと)の食文化を記す場合✤、別述した地勢上の五地域内でも商家と職人家の町・街村(がいそん)、村落の農家・山村では定や「しきたり」で食習慣が異なるし、細かな村落・家格毎で異にする事もある。
筆者の食文化の地域認識は、大よそ次の13域に把握されると考えている。人口が集中する国中でも1北部町・農村奈良地域、2盆地中央部農村地域、3西部町・農村郡山いかるが地域、4西部農村當麻葛城地域、5東部町農村丹波市(たんばいち)桜井地域、6南部町農村御所(ごせ)橿原(かしはら)地域と、7西山中農山村生駒田原地域、東山中の8柳生(やぎゅう)山添(やまぞえ)都祁(つげ)農山村地域、宇陀山中の9口宇陀農山村地域、10奥宇陀農山村地域、吉野山中の11吉野農山村地域、12十津川北山山村地域、13口吉野農山村宇智(うち)地域である。
地域文化の特徴を述べるならば、吉野川(紀ノ川)を帰り船でさかのぼる鯖文化、十津川(熊野川)上ってくる秋刀魚に代表される干物文化、大和高原の茶文化、山麓斜面の果樹栽培の柿文化、国中の水稲・田畑輪換(でんぱたりんかん)文化に示されるが、近世期の伊勢参りや南都詣・西国三十三処観音巡礼に見られる様に人の移動に伴って名産品を生み、別でも述べたが魚簗船(やなぶね)の水運・街道の陸運によって四方より入った物資が流通した。
地域の人々は、伝統的暮らしの季節リズム(年中行事・人の一生の節目)で生活し、日常のアイ(ツネ)「褻(ケ)」とトッキョリ(時折)の「晴(ハレ)」の食文化である。年中行事と結び付いた農作物中心の食と川魚や鳥肉のタンバク源と他所からやってくるトッキョリの具材、供物を兼ねた餅をよく搗き食す文化でもある。
✤奈良大和の伝統的食文化を扱った書物はさほど多くはない。文献は、以下の六冊である。(1)田中敏子(1988)『大和の味』145pp 奈良:奈良新聞社、(2)藤本幸平・田中敏子ほか編(1992)『聞き書奈良の食事』日本の食生活全集29 348pp 東京:(社)農山村漁村文化協会 (のち『伝承写真館日本の食文化』8近畿 2006所収)、(3)田中敏子(2001)『大和の味 改訂版』173pp 奈良:(株)奈良新聞社、(4)富岡典子(2005)『大和の食文化―日本の食のルーツをたずねて―』139pp 奈良:(株)奈良新聞社、(5)特定非営利活動法人奈良の食文化研究会(2007)『出会い大和の味』266pp 奈良:(株)奈良新聞社、(6)成瀬宇平(2009)『47都道府県・伝統食百科』202-206p 東京:丸善出版(株)。
主に参考にしなければならないのは、(2) (3)文献である。その他は焼き直し誤認の文言も多い。
学史的には、松江重頼『毛吹草』(全七巻 明暦元1655)・人見必大『本朝食鑑』(全十二巻 元禄10 1697)・寺島良安『和漢三歳図會』(全百五巻 正徳5 1715)・平瀬徹斎、長谷川光信画『日本山海名所図會』(全五巻 宝暦4 1754)に全国特産品の列記があるのを嚆矢とし、戦時下に中澤辨治郎編(1942)『郷土食の研究-奈良縣下副食物之部』食糧報告聯盟本部刊が見出せる。
中世から近世前期の奈良大和の食特産品として「法論味噌・漬香物・溜糖・饅頭・飯鮨・僧坊酒・葛粉・御所柿・松茸・岩茸・煎茶・鮎白干・釣瓶鮨・三輪素麺・箸中糖粽・山辺米・空菽・梵天瓜」が見える。
[初出典:拙稿2015『奈良大和の食文化を考える』抜粋加筆]
【freelance鵤書林97 いっこう記】