日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第三章 月夜の足跡 2
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第三章 月夜の足跡 2
「金日浩のことか」
西園寺公一は、高級な牛皮のソファーに身を沈めながら、葉巻に火をつけた。多分ハバナ産と思われるの高級な葉巻の香りが、白い煙とともに、西園寺の事務所の応接室に広がり、菊池綾子の鼻を突いた。水商売をしている綾子にとって、得に嫌いな香りでも、また特に珍しい香りでもない。しかし、葉巻の煙というのは綾子にとって、同じ葉巻であってもそれを持つ人に酔って香りが変わるものであると思っていた。良いことをする人、偽善者、真の通った人、自分に正直な人、その人それぞれの特有の「雰囲気」が身体の香りになって、それが葉巻の香りの中に混ざって、他の人とは全く異なる香りが出てくるのである。この辺は、紙巻の煙草とは全く異なる内容であった。
この西園寺公一の香りは、自分の旦那の太田寅正の香りに似ている。もちろんその世界の人ということになるが、しかし太田寅正とは異なる、なにか大会社の社長のような香りも混ざっている。この感覚は綾子特融であるのか、相原桃子にはわからない内容なのかもしれないが、しかし、そのことで菊池綾子は、男性を見分ける「鼻」を盛っていたのかもしれない。
「はい、仲間の平木の事です」
「残念だったな」
西園寺は、特に感慨を含まない乾いた声で行った。西園寺にしてみれば、特に何か関係がある人間でもなければ、一回か二回一緒になったことはあっても、なにか関係がある人間でもないのである。逆に、菊池綾子との関係、いや、その後ろにいる太田寅正との関係で、「社交辞令」的に言ったのに過ぎない。しかし、西園寺の普段の性格を考えれば、このような「社交辞令」をいうだけでも、この西園寺にとっては珍しいことである。普段であれば、「そんな奴知らない」といって一言で終わるような人物だ。それだけ、太田寅正との関係は大事にしているということであろう。
「その平木を殺した組織についてなにか教えていただけることはないでしょうか」
「あたしからも頼みます」
横に座る相原桃子も、一緒になって西園寺に頼んだ。
「まず、虎徹会はあそこと戦う気はない」
そういうと、西園寺は菊池綾子をにらんだ。反論を許さない言葉であり、なおかつ、何も言わせない威圧を含んでいた。
「なにか仮があるので」
その威圧に負けず、綾子は声を上げた。西園寺は、自分の威圧が全く通じないということを確認すると、少し苦笑いを浮かべた。
「綾子といったな。太田さんはいい女を見つけたな。まあ、その勇気に免じて言ってやる。まず、我々の組のモノは、他の組と事を構えるには、それなりに作法もあれば、仁義もある。そのいみで、北朝鮮や韓国の連中は全くそういうことはなく、ただひたすらこっちに来るだけだ。だから敵にするには、それなりの覚悟がいる。あいつらなんかに借りは一つもない。しかし、事を構えるとなれば、それなりの準備も必要だし、被害も考えなければならない。そもそも桃子の店も、今のままでは不安定だ。桃子が平木のようになってしまうことも考えなければならない。そこまでして、平木に建てなければならない義理もないのだよ」
「はい、わかります」
「逆に、そこまで知っているから、それなりのことは知っている。うちの組にも北朝鮮の出身の奴は少なくない。桃子の店ではないが脱北者をホステスに使っている店もある。まあ、売春あっせんの飲み屋だから桃子とは関係ないがな。そいつらから話はいくらでも聞ける。桃子が世話になったから、あんたには教えてやろう。」
そういうと、もう一度葉巻の煙を大きく吐き出した。
「今回の件は、そもそも九州の内容が原因だ。九州は、京都の左翼連中が、東京の左翼主義者や政治家と組んで、天皇か誰かを殺すというようなことを言っているらしい。その内容を確実にするために、九州などほかの場所を棄権にして、京都だけが安全とするようなことらしい。その時に北朝鮮の連中が出しゃばって自分たちもひとつかませろということになったようだ。」
「北朝鮮の方から入ってきたのですか」
菊池綾子は呆れたように言った。
「どうもそのようだな。まあ、北朝鮮も日本の政治体制や皇室を破壊するのはやりたいだろうし、何よりも天皇を殺ったとなれば、それなりにあの国の中では表彰ものだろう。目の前においしい餌がぶら下がっているのを、ただ見ているだけの必要はない。まあ、要するに、元々の内容は東京の左翼の連中だ。それが現場である京都に着て、そこの北朝鮮が入ってきたという感じだろう。そして、その構図に気づいた平木が、北朝鮮に殺られたということだ。」
「平木さんはどうしてそれをわかったのでしょうか」
「さあ、それは俺よりも、そちらさんの方が詳しいだろう」
「ではどうして平木さんがわかったと、北朝鮮の人々はわかったのでしょうか」
「平木は、なにかしくじったのではないかな」
「しくじった」
「ああ、平木がしくじったというよりは、多分、東京から来た奴が、不用意に平木の店に行って、その平木とのやり取りを見破られたということだろう」
菊池はなるほどと思った。ということは、今田陽子が参加している学会の中に何かがいるということになる。その関係から今田陽子が尾行され、そこから平木の店が上がったということになろう。もちろん、平木もその世界では有名であったから、当然に何らかの形で見えていたと思う。しかし、そのことが、こんなに顕著に表れるとは思わなかった。
「これからどうなるのでしょうか」
「あいつらは、何事もなかったように物事を進めるだろう。多分平木の事件は、さすがにじこというわけにはいかないから、北朝鮮の若い者が、飲みの会計のトラブルかなんかで殺したことになる。京都府警もそのつもりで、この事件で北朝鮮の組織を全て明らかにして、一網打尽にするような感覚は持ち合わせていないし、そこまで大事にするつもりもないだろう。何しろ、日本の警察は、福岡で地下鉄4編成が爆発して、千人を超える人が犠牲になっていても、そのまま事故で済ませてしまうのであるから、平木一人くらいでは何もしないのは目に見えている。それだから、そのまま計画が進んでゆく。問題は、この事件を起こした後も、北朝鮮と左翼が共同歩調をとるか、そして北朝鮮と中国の関係がどうなるかということだろう。」
「北朝鮮と中国」
何も知らないのか、という目で西園寺は綾子を見た。
「いいか、北朝鮮と中国はそれ程仲が良くない。在日の世界では協力するような状況でありながらも、全く関係ない状況になっている。つまりその本質的なところでは仲が悪いということだ。お互いが利用しているといった方が正しいかもしれないな。そのお互いの利用の関係が崩れてしまえば、そのまま関係は悪化する。今回、福岡が事故で処理されたことで、左翼のれんちゅは北朝鮮に依頼した関係があるから問題はないが、中国の連中は北朝鮮がしくじったと解釈する可能性がある。そう考えれば、その内容をうまく悪化させれば、この二つが対立するはずだ。もしも、俺が寅正ならば、そこをうまく使うがな。まあ、東京からでは難しいかもしれない。」
「いくらで請け負ってくれる」
「まさか、こっちは噛まないよ。たまに、情報を渡すくらいだ。姐さん。交渉上手はは認めるが、さすがにそこ間ではむりだよ。ただ、天皇陛下は俺も、この組も、皆尊敬しているよ。」
そういうと、西園寺は、もう一度葉巻を大きく吐き出した。
「桃子、お客さん、お帰りだ。」