禊と潔斎
Facebook近藤裕子さん投稿記事 《 迷生寂乱 悟無好悪 》
まよえば じゃくらん しょうじ さとれば こうお なし
(信心銘)
心に迷いがある時は 平静でいられなくなり、 悟れば 好き嫌いの感情に囚われなくなる という意味のようです。
好き嫌い、善と悪、白と黒、 勝ち負け、、、。人は 先入観や 固定概念で 物事を判断しがちです。これらは 見方によって 立場によって 変化します。
そして そのことが 人との対立を生み 心の乱れや 苦しみの原因を作ります。
その事を仏教の世界では 無明 というのだそうです。
悟りとは そういう対立した意識から脱却することのようです。
時は止まることなく過ぎて行きます。今、此処 を全力で生きること そうすれば
対立の意識などなくなります。〔悟れば好悪無し〕
心して 日々を過ごしたいものです。
マノマノ稲穂@manomano_farm
たとえ共感できなくても否定はしないことです。自分と違う価値観を人生から排除してしまえば、あなたの視野は狭くなり近視眼的なものの見方しかできなくなります。「共感はできないけど、そういう考えもあるんだね」というゆるやかな受け止め方ができれば、あなたの人生はもっと豊かになるのです。
http://genki3.net/?p=125890 【村松神社 ~禊(みそぎ)を守りつづける海岸の町にある「伊勢神道」にゆかりの神 社を参拝しました~】より
2019年の春、三重県伊勢市村松町に鎮座する「村松神社」を訪れました。
村松神社は、南北朝時代に外宮(豊受大神宮)の一禰宜(第一の禰宜)であった村松家行 (むらまついえゆき)卿を祀る神社です。
家行卿は、度会家行(わたらいいえゆき)という名前でも知られる伊勢神道の大成者です。
基本情報はこちら
当日は、氏子さんに境内を案内していただきました(とても勉強になりました。ありがとうございました!)
村松神社は、宇氣比神社の摂社になります。
宇氣比神社の御祭神は、主祭神の八王子神(五男三女神)と、合祀された牛頭天王(建速素盞嗚神)ほかの神々です。
村松町の大きなお祭りは、2月11日の御頭神事、4月14日の村松神社例祭、7月14日の天王祭、旧8月18日の宇氣比神社例祭です。
案内をしていただいた氏子さんは、御頭神事の神楽師で、伊勢市の文献編纂などにも協力していらっしゃる方です。
宇氣比神社の境内で、目を引くのが「潔斎場」の看板です。
村松町では、御神事を執り行 うにあたっての禊(みそぎ)を今も守りつづけているとのことでした。
禊は、神事の前に身の穢れを水や海で洗い清める潔斎です。
村松町は、斎宮の禊場で 有名な大淀海岸(尾野湊)から東南に続く海岸沿いにあります。
古来、脈々と行われきた、 禊の一端に触れることができ、身が引き締まりました。
宇氣比神社の境内には、御頭神社も鎮座しています。
社殿には、御頭(おかしら)さんが大切に保管されています。
御頭さんが御神体で、御頭神事の時にしか見ることはできず、御頭さんの写真撮影は原則お断りしているとのことでした。
次の言い伝えがあるそうです。
「昔、朝早くに神池の海岸に何か赤いものが流れ着いた。これを乞食が拾おうとすると、火の玉となって沖へ行ってしまう。またしばらくすると海岸に寄ってくる。こんな事が何度か続いた。
当時の神官の徳禰宜が寝ていると何処からか呼ぶ声が聞こえた。神のお告げと思い神池の海岸に行くと、御頭さんが流れ着いていた。マコモを差し出すと御頭さんはマコモに乗ってきた。恐れ多いと神社に納め、御神事が行われる ようになった」
その御神事が、受け継がれて、現在に至っています。
宇氣比神社では、氏子さんが心を込めて手作りした絵馬を求めることができます。
村松神社は、宇氣比神社から徒歩3分ほどのところに鎮座しています。
家行卿は、鎌倉時代から南北朝時代に生きた人(1256~1351)で、村松町に住んでいました。
家行卿の曽祖父が村松に居を移した時に、苗字を「度会」から「村松」に改めたそうです。
家行卿は、「初めに仏ではなく神がありき」と論理を展開して伊勢神道を大成。
著わした 『神道五部書』はその後の神道に大きな影響を与えました。
身近なところでは、『神道五部書』の「倭姫命世紀」は元伊勢伝承で引用されることが多く、私たちを元伊勢ロマンに誘います。
郷土の偉人を顕彰するために、1938年に造営されたのが、村松神社です。
2018年1月には、五度目の御造営が行われたそうです(氏子さんから1月4日の御造営奉祝祭の写真を見せていただきました。八雲琴の奏楽も行われたそうです)。
斎宮の時代と南北朝の時代に想いを巡らせながらの参拝でした。
https://garomusica.exblog.jp/24446900/ 【きちんとしたお清め(斎戒・潔斎)について調べてみた件。】より
この2日程お清めについて記事にしたので、きちんとしたお清め・禊ぎについて調べてみました。
札幌市の西野神社さん(ブログ→西野神社 社務日誌)のものが大変勉強になる上に、転載は自由との事なので内容を一部転載させていただきます。
本文中の青字のものが転載内容です。
神職の方の禊ぎには「斎戒(さいかい)」なるものがあるそうです。
斎戒とは「祭祀に臨んで、居室を別にし、衣服を改め、飲食(飲酒・肉食等)や動作(会葬・病気見舞い等)、不浄な思いや言葉などを慎んで、心身を清めること」だそうです。
私もアマテルにぃちゃんの絵を描き始めてからは、かなり厳しく食事制限をさせられていますが、これは斎戒に当たるのかもしれませんねぇ。。。
はい、そして「潔斎(けっさい)」というものもあり、こちらは「水または湯によって心身を清める沐浴の事で、斎食や斎宿などと共に、いくつかある斎戒の所作の一つであり、冷水を浴びる潔斎の場合は、禊とほぼ同義」だそうです。
それから西野神社さんの記事の中で面白いものを見つけました。
なんと!伯家神道では手水舎で手を洗う時に唱える神歌と祓詞があるそうです。(手水の作法)
リンク先の記事によりますと「伯家神道では、手水に際してはまず二拍手して、それから『洗ひつるこゝも高天原なれば洗ひすゝるも荒磯の浪』という神歌を口誦するか、もしくは『もろもろの不浄穢れを濁すことなく、汚すことなく、大海原へ持ち出で給へ、瀬織津姫の神』という祓詞を唱え、その後で手をすすぎ次いで口をすすぐのが、正式な手水の作法とされています。」
(略)
どうやら、祓詞・神殿拝詞(しんでんはいし)なるものを唱えるようです。
祓詞は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓え給ひし時に生りませる祓戸の大神たち 諸々の禍事罪穢有らむをば
祓え給ひ清め給へと白す事を聞こしめせと 恐み恐みも白す」
神殿拝詞は「此の神床に坐す掛も畏き天照大御神産土大神 大前を拝み奉て恐み恐みも白さく大神等の 廣き厚き御恵を辱み奉高き尊き神教のまにまに 直き正しき眞心もちて誠の道に違ふことなく 負ひ持つ業に勵ましめ給ひ家門高く身健かに 世のため人のために盡しめ給へと恐み恐みも白す」 だそうです。。。
うん、私はいつも通りでいいかな・・・。色んな意味で。