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七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

164. 大学の恩師と老親と自分の老化 - 2022.10.30

2022.10.30 09:19

   

病気のことは何もないので、ワクチン4回目うって翌週に少し体調がわるかったとかありますが、前回の車のことが、自分で書いていて面白かったので、また自分語りをしようと思う。

 

大学の恩師のK先生は、いま 80代で既に公職からは離れていらっしゃるが、ご研究と執筆を続けられていらっしゃる。

在学中、飲み会のとき奥様のお迎えの車が無いとき、私が何度かご自宅までお送りしたことがあった。わたしは今は考えられないが、学生時代は、お腹いっぱい食べることのほうが関心があって、会合でお酒を飲まなくて運転係ねっていわれても、ぜんぜん嫌ではなかった。

 

わたしは、大学の専攻と直接の関係は無い(全く無いわけではないがすこしずれていた)民間企業に就職したので、仕事では、先生とのお付き合いはなかった。

しかし先生のお人柄や、先生の研究室やゼミの雰囲気が好きだったこと、そしてわたしが企業人となって、ある時期から意外に英語を使うことになって、その海外とかかわる仕事に上手く順応できたことは、大学当時の専門課程やゼミでの副次的な(専門の文献を読むため等の手段としての)英語の学びもあったと思う。

だから K先生への年賀状は欠かさずにいたし、大学の同期のなかでは、わたしの結婚はわりと早いほうだったので、ほとんどノリというか若さで、その披露宴には先生にもいらして頂いた。

  

昨日 10/29 (土) 東京宅に戻ると、K先生から、関連団体の事務局を通じて、近年の先生のご論考をまとめられた冊子が届いていた。

自分がアカデミックな立場であれば、こうした土日で拝読し、その読後感を、昔ならお手紙、いまならメールでもするのだろうと思った。

しかし書けない。全部読みきれないことが最大の理由だが、やはり、気の利いたことが書けない自分が恥ずかしい。

せめて年賀状には、お礼を書こうと思う。

FB で、いまもその専攻で活躍している大学の同期には伝えて、彼も、うん届いていたよ、とのこと。

 

その論考集のあとがきに、残された時間は長くはないかもしれないが...というくだりがあり、お年のことにふれられていた。

そのとき、ふと、私の父親と2才しか違わないことに気がついた。(わたしの父が2才若い。)

わたしの父は、会社員になる前の一時期、通産省の関連団体に勤めていたことがあった。年齢や卒年などから、K先生が農林省の研究系の職員として順調にキャリアを積まれていらっしゃった頃、時期としては重なっている。ただ職務の分野というか省庁が違うので、その当時での接点は無かったと思う。

しかし何というか、わたしがみるに、二人には共通のある時代の空気感のようなものを持っており、強いてわたしが自分の言葉でそれをいうと、それは "権威に対する懐疑的な姿勢" ということになる。


今日 10/30 (日) は、お昼を私の両親と外へ。

そのとき、父が、最近見た朝のドラマで、セリフの始めに "天皇陛下が..." という場面があったけど、戦時中に、いきなり "天皇陛下が..." というのは、ありえない。

と、ぼそっと言った。

天皇陛下って良いいいかたでしょう?とわたしがいうと

いや、"絶対に "おそれおおくも..." とまず枕詞をつけてから、 "天皇陛下が..." となるはず "

とのこと

ドラマの全体の時間の都合で脚本というより演出のことかもしれないが、まず "おそれおおくも" があって、皆が起立できるようにする(その枕詞が準備となる)、とのこと。

 

父は戦中は、たしかせいぜい小学校の1年生くらいのはずなのに、学校で毎朝、"天皇陛下が..." という語が口にだされる前の "おそれおおくも" のうちに起立をして、皇居の方向とされたほうに向かって礼をした(皇居では無い、別の言葉でしたが、私が忘れました)。そういうことは絶対に忘れない、といっていた。

そして当時の多くの家でそうであったように、戦争が、家族の構成やその後の自分の生育環境に大きな影響をおよぼしたので、ものすごい、そうした戦前の権威とその系譜というかそうした保守的な考えへの懐疑的な姿勢が、80才を過ぎた今でもある。

わたしの父は学生運動にかかわっていて、東京にいる大学生なのに、九州の三井三池の炭鉱の争議の応援にいったことは、飲んで昔話をするときに必ずでてくるエピソード。帰りの失意(?おそらく)のなかの電車で、関西辺りで、当時、関西で大学生だった母と(母は学生運動とは無関係)、偶然、いまふうにいうと電車の4人掛けのボックスシートで相席して出会ったことにつながるため。

 

K先生は、大学教員の退官パーティーのスピーチで、学生運動にかかわっていらっしゃったことをご紹介され、謙遜もあると思いますが、民間企業だと大学が推薦状を書かないので、試験だけで公平に採用される国家公務員しか進路がなかったと仰っていた。(このエピソードのご披露の瞬間、先生の前職の国の研究所からおみえの集団のかたがたが、ものすごい嵐のような拍手や大きな歓声をあげ、まだ20代だったわたしは、ちょっとびっくりしました。)

 

社会に対し自分がどうかかわるか、というテーマがあたりまえの時代というのでしょうか。

何か、わたしが会社の仕事で、小さな人間関係やちょっとしたふるまいなり言葉で、自分が腹を立てムッとしたりプーってふくれのるはアホらしいなって、職場の新潟から週末だけ東京の自宅に戻ってゆったり過ごすとき、やっと冷静になれます。まさにクールダウン。

俯瞰できる視点を持ちたいと思いました。


お昼に実家に行く前、早朝に東京宅の近くを散歩しました。小さな秋を感じました。日曜の爽やかな秋晴れ。手つかずの朝、といった感じでした。

 

  

ことしは初めからずっと忙しかったので、11月にやっと何日かまとまったお休みを頂いて、いよいよ泊りで山に一人で行こうと思います。

まあ縦走とかハードなものでなくて、年相応に1泊か2泊で軽めに💦

最近はよく、手に持っていた物を床に落とすので...あと老眼とか...アラフィフあるあるです...

こちらの 11月の山行も、いつかまた写真を up できればと思います。