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チカぷの一日一楽

年寄りは邪魔な存在? 老いは悪いの?

2018.03.13 07:25


いつも気になって様子を読みながら応援していた一頭の犬。


彼の名前は「チョビ爺」さん。


寝たきりになってから様子が悪いことを読んでいました。旅立ちの準備という事も読んでいました。


いつもと違うのは、明日からは「チョビ爺」さんの様子が読み知れないことです。


旅立ったそうなのです。

⇒ https://goo.gl/2vNBcs


季節の変わり目

新たな始まりもあれば

一区切りもある

出会いもあれば

別れも感じる時期ですね。


これから暖かくなるときに…


日向ぼっこが楽しむ彼らを

ゆっくりと流れる時間を

私たちは安らぎの心で

目を離すことなく見守る季節なのに。


永遠にあるはずもないことは分かっているけれど、悲しい。


別れは、どんな別れであっても悲しい寂しいものです。



あの日、田んぼに力なく佇む犬を見かけて保護してくれた。


運良く飼い主さんが判明するも、そこには考え深い事情があり、引き取ることを悩んでくださった。


どうすることが良いのかと。


それは、人間の都合ではなく、話ができない犬のためを考えてこその悩みが綴られいたのを今も忘れません。


犬たちは変化は苦手ですからね、

ときに環境の変化で命を縮めることさえあるからです。



けれど、迎え入れてくれた。

旅立つこの日まで「チョビ爺」さんは、仲間たちに囲まれて、安心できる皆さまの心からのお世話、温もりをかけ、いつも側にいてくださったおかげで元気に過ごせて、寝たきりになっても穏やかな時間を過ごせて、優しく生き尽きるまでを頑張れたことと思います。


可哀想なんかじゃない。

この上ない幸せだったと私は思います。


フィラリアの強陽性であった犬が

ここまで生き抜いて、穏やかな死を迎えられたのですから……。


保護してくださって

生かしてくださって

ありがとうございました。

チョビ爺さん

よく頑張ったね!

心よりご冥福をお祈りします。




ただひとつ

気になったことがあります。

目にしたり耳にすることが多い『虹の橋』という言葉です。


彼は、虹のたもとで誰を待つのか。

誰と橋を渡っていくのかと。

こればかりは知ることは出来ないことだけど、ふと気になったのです。


虹の橋の詩は、天国の手前に虹の橋と呼ばれる場所があり、亡くなったペットたちはそこで暮らしている。



元気だった頃の姿で、みんなが仲良く幸せに暮らしているけれど、大切な人、飼い主さんがいないことだけが寂しい。


そしてある日、その大切な人がやって来た時に、ペットと人は再会を果たし一緒に虹の橋を渡って行く

という内容ですよね!


そして、この詩には立場をかえた第2部と第3部があります。



私はブログだけではなく、日頃からこの『虹の橋』という言葉を使わないので、以前から疑問に感じた周りの人にも聞かれた事がありますので、今日はこの機会に少し書いてみようかなと思いました。


単純にいって、理由は私なりの違和感なだけです。


もちろん

優しい詩です。

安らぎを感じます。

だから

否定的なわけではないんですよ。


こんな世界が死後にあるのなら希望を感じたりもしますから。


しかし、そんな風に思う事が良いかどうかを考えることがあったから使わないだけです。


私も何度と寂しさに悲しみに溺れて苦しんだペットロス。同じように苦しむ人や、寂しさに悲しみ、最後に共にいられなかった人たち、迷子や交通事故などにより再会を果たせなかった心を痛める人たち、そうした人たちにとっての励ましや慰めにもなってほしいと思うけれども、『人間は都合のいいところがある』から考えてしまったんです。


実際に私は先に旅立った家族に対して虹の橋で待っていてくれているなんて考えたことはありません。


ただ、やはり愛する家族です。

いまだに毎日のように家族への愛から再会を思い、感謝を思い、出来るならと強く再会を願ってもいますが、犬たちにとっての世界もあると思っていたりもするからです。


さまざまな幸せと離れ

さまざまな苦痛からも離れて

世界中の犬や猫たちが、平等にあり、幸せに暮らせる世界があるならば、人間は生きてるとき以外は、彼らに関わらない方が良いのかもしれない…なんてことも考えたりしてきたことがあるんです。


人間社会でもない死後の世界くらいは、彼らが思い望む世界であってほしいと思うだけなんです。



もしまた互いに生まれ変われる時がくるのなら、必ず手を取り合い暮らしたい、前よりももっと幸せにできるように暮らしたい、私でもいいかな?と心底ねがったりもします。


だからかな (´▽`) 

ここに思う氣持ちとともに、今を共に生きること、生きられる今の時間を考えてみたいと思いませんか。


この詩が伝えること

動物を愛すること、愛されることの素晴らしさですよね。触れ合える形は失われても永遠に残る『大切なもの』について。


チョビ爺さん

彼が幸せであってほしいと願うばかりです。


(参考画像 https://goo.gl/GJRNdE)



◼️老犬が幸せであれる世界を

見て見ぬふりをしないで下さい。

体温維持が難しく

体力が衰え足腰が弱り

目や耳の不自由な老犬

迷子になると、どんな犬たちにとっても危険でしかありませんが、その何倍も命に関わる事があります。


彷徨う犬、老犬を見かけたら、出来る限り保護をして警察に届けたり、どうか力になってあげてください。

私たちが必要な助けとなりましょう。


飼っている犬が老犬になったら

自分たちの老後を思い、考えて、

思いやって下さい。

老犬の飼い方を室内に移し、年齢や季節にあった環境や飼い方、介護やお世話の仕方を知って学んでほしいです。


人も犬も同じです。

老いは難しいことなんてない。

知れば大丈夫なんです。


迷子の危険は飼い主さんが目を離す瞬間から始まります。家の庭だからと目を離したり、放し飼いしないでほしいです。


万が一、迷子にしたとき

首輪が飼い犬である事は示すけど

帰るべきを場所を示すけれど

法律により義務とされてる『所有者の明示』がなければ、お家へ帰ることはできません。


せっかく保護してもらえても

家も飼い主さんも分かりません。


愛情はファッションじゃないんです。

可愛い首輪や服でもない

首輪だけでは帰れないんです。


なぜ、義務であるのか。

なぜ、責任が必要なのか。

その愛情は、飼い主さんだけがペットである家族を守れるものなのです。

優しい皆さんなら守れるはずです。


動物を飼っていない方々でも、それぞれの立場でイメージすれば、多くの方にご理解いただけるのではと思います。犬や猫達、誰に対しても心優しい社会にしましょう。


⇒ https://goo.gl/oGPMpM

⇒ https://goo.gl/BzJdj2


昨日もTwitterでシェアしていた犬の訃報を知り、悲しさに溢れました。

無言の帰宅の報告でした。


なぜ見つかったのでしょうか。

首輪と鑑札の画像とあわせて、飼い主さんに似てる犬を見つけましたと投稿がありました。


近くの九十九里海岸に打ち上げられて、引き上げてくれた所を発見してくれた方からの投稿だったそうです。


鑑札と注射済票が、飼い主さんと家を示し繋いでくれたのです。帰りたかった家に帰ることができたんです。


まだ私自身も思うところが多く、混乱していますので、これはまた別のブログに書きます。ただ、気付いてください。義務の大切さを。

合掌


◼️チョビ爺さんについて


老犬を見かけたら保護してあげて

⇒ https://goo.gl/2gsgyG


悩んでます

⇒ https://goo.gl/9gky4y


結局、チョビ爺さんは…

⇒ https://goo.gl/3nyb3H


旅立ちの準備

⇒ https://goo.gl/vF3Hav