「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 和田合戦という悲劇をもっともドラマティックに書いた三谷幸喜氏
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 和田合戦という悲劇をもっともドラマティックに書いた三谷幸喜氏
毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について好き勝手に書いている。まあ、なんとなく歴史好きの人が書いたらこんなことになるというようなブログと思っていただきたい。
さて、今週は「和田合戦」である。そもそも泉親衡の乱という反乱の未遂から始まる。この反乱を、ドラマでは後鳥羽上皇の陰謀から行うということになっている。そしてその反乱に加担したということから、和田義盛の子の義直、義重、甥の胤長なども逮捕されているのである。和田義盛はり、将軍源実朝と北条義時に嘆願をした結果、これまでの忠勤から子の義直、義重は許された。しかし、他の人を反乱に勧誘した和田胤長は許されず、和田義盛は、一族98人を引き連れて御所を訪れ、甥胤長の宥免を嘆願したが認められず、縛られたままの胤長は二階堂行村に引き渡され、義盛は大いに面目を潰された形となった。ちなみに和田胤長は命は許されたものの奥州への入るとなり邸宅は没収される。
ココかは「吾妻鏡」を先に書いてみる。
あいつぐ挑発に怒りを抑えきれなくなった和田義盛は、とうとう合戦の決意をする。 北条義時に不満を持つ御家人は多く、義盛の一族三浦義村は起請文まで書いて味方することを約束した。武蔵国の横山党も義盛への味方を約束している。ところが、三浦義村は義盛を裏切り、義盛の挙兵を義時に伝えた。横山党の到着も遅れている中、義盛は自軍を三手に分け、それぞれ義時邸、大倉御所、大江広元邸を襲撃させた。将軍御所を攻められた源実朝は法華堂に避難している。この時の和田軍は、総勢150騎あまりだったという。義盛の三男朝比奈義秀の活躍もあって、和田勢は大いに奮戦したが、次第に北条軍に押され由比ヶ浜に退くこととなる。翌早朝、頼みの横山党3000騎が合流したことによって一時盛り返すものの、次々に新手を繰り出す北条軍の前に疲弊し、義盛の子義直が討ち取られた。再び由比ヶ浜に退いた義盛は、江戸義範の軍に討たれて最期を遂げている。
合戦後、固瀬川(境川)に梟された和田一族の首級は234にのぼった。北条義時は山内荘、美作守護を手に入れ、大江広元は武蔵国横山荘を与えられた。義時は義盛に代わり侍所別当を兼任し、それまで兼任していた政所別当と併せて幕府の実権を掌握し、執権体制の確立に努める。
さて、これが大河ドラマで三谷幸喜氏の手にかかるとどうなるのであろうか。
「鎌倉殿の13人」和田義盛が討ち死に 演じた横田栄司「一番好きな日本人になった」
[2022年10月30日20時48分]
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜午後8時)の第41回「義盛、お前に罪はない」が30日放送され、横田栄司(51)演じる和田義盛が「和田合戦」で討ち死にした。秋元才加(34)演じる妻の巴御前も物語を退場。同局を通じて2人がコメントを寄せた。
義盛の最期を演じた横田は「巴さんにも畠山重忠にも『お前は生きろ』だとか『もうちょっと生きていようぜ、楽しいこともあるぞ』なんて言っていた人が、結局ああいう死に方をしてしまうのが、時代なのか、運命なのか。『和田義盛は何を抜かったんだろう』なんてことを考えながら演じていました」と話す。
義盛は、北条義時(小栗旬)と三浦義村(山本耕史)に討たれる。横田は「和田義盛はどう思っていたかわからないですけども、私としては、義時も義村も理由があって生きている、生き延びていくという時代ですから、生き延びていくための最善の手段を彼らもとっているはずで」と理解しつつ、「義盛は『まぁ、お前たちもな、よくやってるよ。じゃあ元気で生きていてくれよ。生きてりゃ楽しいこともあるぞ』という、ちょっと『悔しいけどな』とか『ちくしょー』という気分もありながら、彼らのことを見つめていました」と振り返る。
義盛は豪快なキャラクターで視聴者に親しまれた。和田は「まっすぐな男で、うそをつかないし、最初のころからあまりキャラクターがブレていない、数少ないひとりなんじゃないでしょうか。三谷幸喜さんのおかげで和田義盛という人物が、僕は日本の中で一番好きな日本人になったと自負しています」とし、「本当に愛らしいキャラクターで、それをつくってくださったスタッフさん、共演者の皆さんに本当に感謝しています。そして応援してくださった皆様、和田義盛をかわいがってくださった皆様に心から感謝しています」と語った。
巴御前役の秋元は、馬で駆けるシーンを演じ「シーン的には最終的にどうなったかというのは描かれていないんですけど、もしかしたら義盛殿の亡骸を探しに来たのかもしれないし、最後のセリフに『妻』や『忠臣和田義盛』という言葉が入っていたので、夫のプライドと妻のプライドを持って戦場に向かったのかなと思っています」。木曽義仲の愛妾として登場し、やがて和田義盛の妻となった。戦のシーンでは「以前の木曽義仲様(青木崇高)といたときの戦とはまた違った感覚で、夫婦の愛の証しじゃないですけど、操を立てるというか、そういう2人の関係を感じました」と話した。
木曽時代の巴は、自分が女性であることに葛藤を抱えていたが「和田家に行ってからは自分の女性性を受け止められた感覚です。すごく穏やかになったし、それと同時に戦に行っていたころの鋭い感じがなくなっているというのが不安でもあり、でも今の幸せはすごく手放しがたい、みたいな感覚でずっとお芝居をしていました」。
義盛とのラストシーンでは「ご飯粒をつけながら『心配するな』と言う義盛さんを見て、『なんてかわいらしい人と一緒になれたんだろう』と。2人の男性を愛した巴ですけど、すごく見る目があったんじゃないかな」と秋元。義仲と義盛については「2人ともすごくまっすぐに自分の中のプライドなど、そういうものをなるべく曲げずに素直に正直に生きてきたかっこいい男性2人だったと思うし、また違った愛情ですけど、その2人に愛された巴もすてきな女性だったんじゃないかなと思っています」と語った。
[2022年10月30日20時48分] 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202210300000595.html
史実の和田合戦では、上記のように壮絶に戦って戦死している。しかし、さすがに三谷幸喜氏はそのようなことにはしなかったようだ。一つは、「ダークサイドに落ちた」北条義時の感情をリアルに描くために、わざと悪役を主人公に演じさせながら、和田義盛が死んだ後に、男泣きの涙を流させる。これは、大泉洋氏演じる源頼朝が、信頼する弟源義経が死んだ後に来た首桶を前になんだ下シーンがあったが、そのシーンをそのまま再現した形だ。ある意味で「ダークサイドに落ちた」北条義時が、常々「源頼朝に見習いました」という言葉が、そのまま義経を殺した心の悲しさまで全て見習う結果になったのだ。そのような心の闇の部分まで全て義時が引き継いだということをうまく演出している。
そして、そのように演出するために、和田義盛を「裏切り」で殺した。罠を仕掛けて、そのうえで、殺した。特に、その内容を三浦義村にさせるということになっている。まさに、三浦義村と北条義時のつながりの深さ、そして三浦義村が北条義時とが同じような考え方で鎌倉を見ているということが演出として有為幕書かれていることになる。それだけ和田義盛の死を悲劇的に書いているしまた、そのことによって、源実朝が誰も信用できなくなるということにつながるのである。
この源実朝の「誰も信用できない」ということは、源実朝が後鳥羽上皇を頼るということに繋がり、そのことは源実朝は公暁に殺される形になるという「伏線」になっていることになる。もちろんそれだけでは無いが、一つの伏線になっていることは間違いがないであろう。そして、そのような状況であるから、最終的には北条義時と後鳥羽上皇の対立ということが出てくる。それが承久の乱に繋がるのである。
また「妻と夫」という関係も様々である。北条泰時と初、これは初が北条義時の考え方をよくわかっていて、しっかりしてもらいたいという感じになっている。さすがは三浦安村の娘だ。そしてのえと北条義時。のえに「危険だ」というとあっさりと「二階堂の家に逃げます」と実家に行ってしまう。そして、和田義盛と巴だ。
この巴御前を演じた秋元才加さんの演技が素晴らしかった。最後に「鎌倉一の忠臣和田義盛の妻」と言い、そのまま騎馬で去ってゆく演技は、最も涙を誘ったのではないか。木曽義仲、そして和田義盛と、自分の愛する人が二人も源頼朝・北条義時という「鎌倉」に殺された女性。この巴御前の最後には、NHKでは「91歳までお題を弔った」というが、実ははっきりしていないで、京都の南丹市にも「巴塚」はあり、また、新潟や信州にも巴御前が戻って暮らしたという伝説が残る。この時代にはそのようにはっきりしていない場合が少なくないのであるが、しかし、それがまたドラマが深くなり、三谷幸喜氏の解釈の幅が広がるようになっている。
そのように、元からの話があり、また今の新たな関係があり、そしてその現状が次の場面の伏線につながる。それは、ドラマだけではなく現実の話でも同じではないか。そのことがしっかりとしていることが、現実に生きる我々の心に刺さるドラマになっているのではないか。