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のらくらり。

「嫌いになりますよ」

2022.11.02 09:18

ルイスを寝かしつけて本を読みたいウィリアムVSウィリアムを寝かせたいルイスVS末っ子にアドバイスをする兄様。

この兄様に悪気はないしルイスに冗談は通じない。


「おはよう、ルイス」

「おはようございます。…兄さん、もしかしてまた徹夜したのですか?」

「さっき少し寝たよ」

「でも」

「ふふ、心配しなくても大丈夫だよ。さぁ顔を洗っておいで」

「…はい。行ってきます」


真っ白なシーツに包まれて眠っていたルイスのベッドには、昨日までそばにいたはずのウィリアムがいなかった。

確かに寝落ちる瞬間までは隣で一緒に横になっていたはずなのに、ルイスが目覚める頃には誰もいない。

人の良いロックウェル伯爵家の人間は養子であるルイスにも良くしてくれる上、充てがわれた部屋には鍵もかかる。

清潔で安全な環境は一人であろうと恐怖を抱くことはないけれど、少しばかり寂しい気持ちは否定できない。

だがそれ以上に、ここ数日のルイスはウィリアムに対して不満という名の怒りを覚えていた。




「僕には夜更かししないようにって言うのに、兄さんはいつも夜更かしばかりしてます!」

「そうか」

「ルイスの体にはたくさん睡眠が必要だから早く寝るんだよって、ホットミルクを用意して毛布をかけて子守唄まで歌ってくるのに、兄さんってば僕が寝たらこっそり書斎に移動して夜通し本を読んでるんですよ!」

「ほう、そんなことまでしているのか」

「ホットミルクなんて作り慣れてないから、甘かったりそうじゃなかったりするくせに!」


昨夜のミルクはびっくりするくらい甘かったです、とルイスは頬を膨らませながら文句を言っている。

けれどそれが嬉しいのは明らかで、膨れた頬は綺麗な桃色に染まっていた。

甘さに驚きながらも喜んで飲んでは寝たのだろうルイスが容易に想像できて、アルバートは指を組んで膝の上に置いていた手を持ち上げる。

そうしてふわふわと細い髪の毛を軽く撫で、焼きたてパンのように膨らんだその頬をつついて中の空気を抜いてあげた。


「ルイスはウィリアムが一緒に寝てくれないのが寂しいのかい?」

「ちが、違います!僕、そんなに子どもじゃありません」

「おや、そうだったのか。僕の勘違いだったんだね、それはすまない」

「…いえ、大丈夫です」


気まずそうに誰もいない方向へ赤い瞳を向ける弟を、アルバートは愉快そうに見つつもそれ以上は言及しなかった。

図星を受けて強がるルイスを揶揄うのはさすがに可哀想だ。

最近になってようやく心を開いて兄と呼んでくれるようになった弟が、悪戯にからかいすぎてまたも心を閉ざしては困ってしまう。

だが続けられた言葉を聞いた瞬間、強がっているだけだと思っていたルイスが実はそうではなかったのだと理解する。


「…たくさん寝ると元気になるからと僕には早く寝るよう言ってくるのに、兄さんは全然寝てくれません。兄さんが体を壊してしまったら大変なのに」


どうやら照れている気配を滲ませながらも、その本質はウィリアムの体調を心配するルイスの優しさにあるようだった。

この屋敷の書斎にはアルバートでさえ興味深く思う本がいくつも揃っており、知識に飢えていたウィリアムからすればそれこそ天国のような空間だろう。

寝る間を惜しんででも読んでしまいたくなる気持ちも分かるし、寝るつもりがあったのについ熱中して時間が経ってしまうだろうことも分かる。

ルイスとて生き生きした様子で本を読むウィリアムがすきだからこそ、強気に出られなくて困っているのだろう。


「…僕、兄さんのちっとも寝てくれないところ、嫌いです」

「ふふ。ルイスにもウィリアムの嫌いなところがあったんだね」

「あと、自分は寝ないくせに僕はすぐ寝かせようとするところも嫌いです」

「これは大変だ。二つも嫌いなところがあるなんて」

「子ども扱いして僕を寝かしつけるところも嫌い」

「ほう、三つもかい?なんてことだろう、これは大事になってしまうな」


ぷぅ、とまたも頬が膨らんでくるのが面白い。

嫌いとは穏やかではないが、その内容を踏まえると不穏どころかどうにも可愛らしくて仕方がない。

アルバートは拗ねたように、けれど本人としては怒っているつもりらしいルイスの頬を再度つついて柔らかな頬を堪能する。

傷跡の残る頬に触れるのだけは我慢して、恐怖を与えないよう優しく微笑んだ。


「それで、ルイスはどうしたいんだい?」

「兄さんにちゃんと寝てほしいです」

「ではそうお願いすれば良い。ウィリアムはルイスの願い事を無視したりしないだろう?」

「一緒にベッドに入っても、起きたら書斎にいるんです。今朝もそうでした」

「ふむ…」


ルイスは不満げな視線を隠さずアルバートを見上げ、ちゃんとお願いしているのに聞いてくれないのだとウィリアムの悪癖を暴露する。

まず間違いなく、ルイスが眠って文句が言えないだろうことを確信してから移動しているはずだ。

ルイスが眠らなければ書斎には戻らないのだろうが、それを見越してわざわざ手を尽くして寝かしつけているところにウィリアムらしさを感じてしまう。

手間を手間と感じないところが実に彼らしいとすら思ってしまった。

そもそもウィリアムはルイスに甘い。

まだ短い付き合いの中でもそれはよくよく理解しているし、ルイスのお願いであればまず間違いなく断らないだろう。

なるほど、断らないけれど素直に守る性質でもないらしい。

良い性格をしているとアルバートが感心したように頷いていると、しょんぼりと落ち込んだルイスに気が付いた。


「…兄さん、どうしたら寝てくれるのでしょうか…」

「ルイス…」


アルバートにとってはウィリアムもルイスも等しく大事な弟である。

この歳になってようやく出来た、初めての家族と言って良い大切な存在が彼ら二人だ。

贔屓をするつもりはないしこれからもその予定だが、それでもまだ幼い末の弟の味方をしてしまいたくなるのは、年長者としての性なのである。


「ルイス、僕に良い考えがある」

「良い考え?」

「あぁ。今夜、僕の言う通りに行動しておいで。きっとウィリアムはちゃんと寝てくれるはずだから」

「…?」


ルイスの両肩に手を添えて力強く語りかければ、素直な末っ子は不思議に思いながらもコクリと頷いた。

そうして、兄様の言うことならきっと大丈夫、と言わんばかりの期待に満ちた瞳をアルバートに向けて、ルイスは教えられた作戦を頭に入れる。

そんなことで良いのだろうかとまたも首を傾げたくなったけれど、アルバートが見せてくれた綺麗なウインクには信頼しか抱けなかった。




「ルイス、もうそろそろ時間だね」

「そうですね」


大きなランプが備え付けられているとはいえ、薄暗い書斎は風通しも悪く冷えやすい。

ウィリアムとルイスは食事と入浴を済ませ、冷えないよう温かなパジャマを着た上にカーディガンを羽織った姿で書斎に居座り、本を読んでいた。

サイドテーブルに置いていた懐中時計に目をやって時刻を確認したウィリアムは、惜しむ様子もなく栞を挟んで本を閉じる。

そうしてルイスを部屋に送り届けるべく腰を上げたのだが、そのルイスはウィリアムが机に置いた本を手に取って胸に抱いていた。


「ルイス?」

「大丈夫です、兄さん。今日は僕も一緒に起きて本を読みます」

「え?」

「兄さんはいつも朝まで起きて本を読んでいるのでしょう?僕に気にせず読んでいいですよ」


はい、と手渡された本は先ほどまでウィリアムが読んでいた本である。

ルイスはルイスで先日ウィリアムが読んでいた本のページを開いており、真剣な表情で文字を追っていた。

いつものルイスならば素直に部屋まで送られてくれるのにどうしたことだろう。

ウィリアムは驚きて見開かれた瞳をぱちぱちと瞬かせ、ルイスの横顔に向かって語りかけた。


「ルイス、もう眠いだろう?ちゃんと寝ないと元気になれないよ」

「一日くらい平気です。兄さんはいつも起きてるじゃないですか」

「僕は良いんだよ」

「兄さんが良いなら僕も良いんです」

「ルイス」

「兄さん、この言葉はどういう意味ですか?」


ウィリアムの屁理屈に屁理屈で返してきたルイスに思わず大きな声を出せば、何も気にしていないように平気で質問を返してくる。

ルイスには少し馴染みのない分野の本だったせいで読むのが難しいらしい。

それでも投げ出さずに読もうとしていることが健気で可愛くて、ウィリアムは習慣のごとく反射的に答えをあげてしまった。


「なるほど。ありがとうございます、兄さん」

「どういたしまして」

「…」

「……いや、そうじゃなくて、ルイス」

「何ですか?」


知らなかったことを知って満たされたルイスは嬉しそうに笑ってくれた。

ウィリアムもそれに笑顔を返すといういつもの流れをやってから会話を戻そうとすれば、ルイスは眉を寄せていかにも怪訝な顔を見せている。

せっかく良いところなのに、とも取れるがおそらくは、せっかく一緒に徹夜するのに兄さんは嫌なんですか、の意味だろう。

ルイスの思惑を的確に受け取ったウィリアムは冗談じゃないと否定する。


「ルイスはもう寝る時間だよ。ほら、今日もミルクを入れてあげるから」

「いりません。僕、もう子どもじゃないんです。徹夜くらい出来ますよ」

「体に障るだろう。ほら、行こう」

「兄さんは体に良くないことを毎日しているじゃないですか。僕も兄さんにお付き合いしますよ」

「ルイス…」


ルイスは頑固だ。

それは生まれたときから一緒にいるウィリアムが誰より知っているし、こうと決めたら一途になって絶対に動かない。

これでルイスが悪いことをしているのならば強気に出られるけれど、生憎と悪いことをしているのはウィリアムの方である。

強気に出ようにも否定できるだけの情報がないためどうにも出来なかった。


「ルイス、僕に付き合って朝まで起きるなんてことはしなくて良いんだよ」

「僕がしたいんです。僕が兄さんと一緒にいたいから」

「……はぁ」


このままルイスとともに書斎で朝を過ごすなんてこと、ウィリアムには出来やしない。

ようやく療養環境として整っている清潔で安全な場所でルイスを休ませることが出来るのだから、みすみす体を悪くするようなことを許すわけにはいかないのだ。

ルイスが折れないのであれば、ウィリアムが折れるしかない。


「…分かったよ。じゃあ今夜は僕も寝るから、一緒に部屋に戻ろう」


いつものようにルイスを寝かしつけてから戻れば良いかと、さらりと嘘をつきなからルイスの腕を引いて立たせれば、深い赤がじっと見上げてくる。

そうしてこう言うのだ。


「一緒に寝て、朝起きたときに兄さんがいなかったら、僕は兄さんのことを嫌いになりますよ」


淡々と言ったルイスの言葉に、思わずウィリアムの肩が跳ねて背筋に嫌な汗が流れた。


「え?」

「兄さん、僕が寝た後すぐにここへ戻ってきて朝まで過ごしているでしょう?眠っていないんですよね?今日もそれをしたら、僕、兄さんのこと嫌いになります」

「…ルイス」


本気なのだろう。

ルイスは瞬き一つせず、大きな瞳でじっとウィリアムを見上げている。

薄暗い空間に仄めくランプの灯りと相まってどこか恐ろしい雰囲気だが、伝えられた言葉の内容こそがウィリアムにとって恐怖の対象だった。

ルイスに嫌われるなどあり得ないし、そんなことで嫌われるはずもない。

だが可愛い弟からその単語が出てくること自体、ウィリアムには耐えられないのだ。


「…僕、兄さんのことだいすきなので、嫌いになりたくないです」

「ルイス」

「兄さん、今日はちゃんと眠ってくれますよね?」

「っ、勿論だよ、ルイス」


本当ですか、と大きな瞳に見上げられて、ウィリアムは心からの同意を返すように大きく頷いた。

そうしてやっと信じたルイスは安心したように表情を綻ばせ、引かれるままに立ち上がってはその腕に自分のそれを絡ませる。

まるで、ウィリアムの意見が変わらないうちに、とばかりに兄を連れてルイスは急いで書斎を出た。

聞き入れたくない言葉を聞いてしまったウィリアムの衝撃などいざ知らず、ルイスの機嫌は至極良さそうだ。


「本はまた明日読みましょう。僕も一緒に読みます」

「…そうだね、ルイス」

「今夜はたくさん寝て元気になりましょうね、兄さん」

「……そうだね、ルイス」

「良かったです、兄さんを嫌いにならずに済んで」

「…!」


硬くなったウィリアムの表情に気付かないまま、ルイスは鼻歌すら聞こえてきそうなほどの上機嫌さで寝室を目指す。

それだけ自分の体調を懸念していたのだろうことは理解出来るが、まさか己に向けられるとは思っていなかった単語。

この可愛い弟からの愛情を失う未来など、絶対にあってはならない。

一刻も早く何とかしなければ、とウィリアムがベッドの中で夜通し思考を巡らせていることなど知らないまま、ルイスはすよすよと眠りにつくのだった。




(アルバート兄様、教えてもらったことを言ったら兄さんちゃんと寝てくれました!)

(それは良かった。眠れたのならウィリアムの体調もきっと良いだろうね)

(そうだと思います。僕も兄さんのこと嫌いにならずに済んで良かったです)

(…ん?)

(え?)

(……ルイス、ウィリアムに何を言ったのか具体的に教えてくれるかい?)

(兄様に教えてもらった通り、兄さんが寝ないなら僕も一緒に起きて本を読みますと言いました。あと、ちゃんと寝ないなら嫌いになりますって)

(…言ったのかい、後半の台詞も)

(?はい)

(…そうか。作戦が成功して何よりだ)


(……ウィリアムのことを嫌いになると言ってしまえば事は簡単だと冗談で口にしたが、まさか本当に言ってしまうとは。すまない、ウィリアム。悪気はなかったんだ、許せ)